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にのまる

えさし藤原の郷 (2022/11/26 訪問)

約3年前に平泉館(柳之御所)に行った際に立ち寄った伽羅御所跡でその存在を知り、いつか行きたいと思っていた念願が叶いました。うれしいです。
伽羅御所のほか、午前中に行ったばかりの豊田館、政庁、金色堂、各城柵などなど閉園時間ギリギリまで見てまわりました。ドラマのロケ地もそうだったのかー!と懐かしんだり、ホントに楽しくて、何度でも行きたいです。今度は「ガイドでポン」でスタンプラリーをしたいな。

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小城小次郎

「館」のイメージとは (2022/06/25 訪問)

三浦和田氏の一族である、中条氏の本拠だったところで、国史跡・奥山荘城館の中核をなす。「館」の持つイメージに惑わされてつい単郭方形の館だと思い込んでしまうが、少なくとも二重の堀に囲まれた「城」だったようだ。

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にのまる

館山史跡公園 (2022/11/26 訪問)

豊田館から移動しました。
旧後藤家住宅(写真⑨)へ寄ったあと館山史跡公園を目指して歩いていると「源義経公供養塔入口」の案内が。スルーすることができずに坂を下ってみました(写真⑧)
戻って夢乃橋を渡って岩谷堂城址(館山史跡公園)に到着です。土塁や空堀が残されており、ちょうど整備の方が入っておられました。藤原経清・清衡親子を顕彰する二清院の安らぎを感じる佇まいに、かの時代のさまざまなできごとを思いました。

今回の一泊二日の小旅行で行きたかったのはお城よりえさし藤原の郷と中尊寺でした。えさし藤原の郷は岩谷堂城からすぐ近くに見下ろせます。夢乃橋を戻ったところの広場から一気に下れる遊歩道があるようでしたが通行止めだったため、先ほど通った義経公供養塔の前の坂を下り、人首川沿いを夢乃橋を潜って行きました。こちら側(麓)から見ても遊歩道は通行禁止でした。

※夢乃橋は冬季(12月~3月)は通行止めです。
えさし藤原の郷の写真をたくさん撮ったので続きます!

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零汰

終活5:100城・続100、城郭巡り:サンヨウ 5日目

城郭巡りの人間は、100城・続100城を巡る事は義務なのか?5回目

本日は広島の高山城を6:45分にスタート

11月21日(5日目)
1. 高山城(広島)・・・・・・・2時間10分:4km:累計高低差328m
2.◆新高山城(広島)・・・・・1時間35分:2.8km:累計高低差261m
3. 木村城(広島)・・・・・・・35分:1.1km:累計高低差122m
4. 鏡山城(広島)・・・・・・・35分:1.3km:累計高低差120m
5. 槌山城・鬼が丸城(広島)・・・・1時間10分:2.4km:累計高低差274m
◆は正続100城です。

昨日とは違い、1.2の訪問時間が平均時間より大幅にオーバーして、1か所行く事が出来ませんでした。ですがとても充実した1日でした。

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カズサン

紅葉が綺麗でした (2022/12/10 訪問)

 二俣城、清瀧寺信康廟を終えて二俣城を探訪したら鳥羽山城へ、来る途中に天竜川、鉄橋越し鳥羽山トンネルくぐる前に鳥羽山城の紅葉が盛りと綺麗でしたので、はやる気持ちで鳥羽山城の急坂を一気に登る、二俣城と違って駐車の車が多い。
 二俣城で遭った神戸の山城マニアのオートバイも有る、大手道から登り、大手東土塁石塁の角が見所、大手門では大勢の人聞くと地元の研究会の方々、鳥羽山城の書籍の確認とか書籍と現地の確認をしてる処との事で10人程。
 
 大手門の楓が紅葉して美しい、陽に当たった所は更に輝いて綺麗、紅葉と遺構を合わせた写真を撮ろうと、大手門内から外から、東門も内から外から、庭園遺構も、搦手から笹の丸、西の丸、本丸西側の外に在る鉢巻石垣と紅葉、腰巻石垣と紅葉、駐車場から本丸山頂に楓の紅葉が今盛りと輝いていた。
 
 来年の「どうする家康」で鳥羽山城も賑わってくるれでしょうか?
  

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カズサン

井戸櫓と信康廟 (2022/12/10 訪問)

 二俣城「南の丸Ⅰ(伝蔵屋敷)綺麗に整備」の続きです。

 二俣城本丸二の丸南の丸Ⅰ北の丸を終えて、尾根続き北に約700~800mの所に浄土宗清瀧寺が在ります、そこには復元された井戸櫓と家康長男信康廟が在ります。
 車で国道152号線より西の山裾の道を清瀧寺へ、駐車は裾に在る「本田宗一郎ものづくり伝承館」前の駐車場を利用。

 復元井戸櫓は清瀧寺北の崖に復元されて居ます、井戸櫓は天竜川に沿って造られ、武田軍の水の手殲滅作戦のいかだ流しで井戸櫓は潰されて開城したとの逸話も伝わっている。
 井戸櫓の北隣に清瀧の滝と池、諏訪神社が在ります。清瀧寺の登り坂下に信康堂が在り現代の彫刻家による木彫りの信康像が二体祀られて居ます。
 坂道を登り切って清瀧寺山門、秋には銀杏の葉が落ちて山門屋根、参道が真っ黄色に成り絵になるシーンを期待したのですが訪問時期が遅すぎて、山門横に清掃され銀杏の黄色い葉っぱはゴミ袋の山積み。
 本堂横の銀杏は黄色い葉っぱは健在で彩って居ました、山門と本堂の間の参道両脇にミカンの木が黄色いミカンの実を付けている、このミカンは駿府城公園にある家康お手植えのミカンの木より苗を作り枯れた時の為にと静岡市から贈られた苗木を植えて育てている。
 
 本堂では法要の最中でお経が聞こえて来る、信康廟は本堂の裏の山手、周囲は墓所、石段を登り直角に曲がり石段を登り信康廟へ透かし門で閉まってる、廟に入った右脇に小さな五輪墓四基、殉死の吉良於初(初之丞)、当時の城主大久保七朗右衛門忠世、三方ヶ原で家康の身代討死した中根平左衛門正照、青木又四朗吉継と墓標に記載。山手に石垣、崖筋に白土塀参道が伸びて赤い門には三つ葉葵の紋が左右の門扉に付いている、その奥の墓石は見えません。
 私は、古い話ですが信康と言えば中村錦之助主演の東映映画を思い出します、その時反逆児の意味など分からず亡き両親と観て居たのですが。
 信康の切腹、母築山御前の殺害と悲しい事件でしたが時代の流れだったのでしょう、来年の「どうする家康」大河ドラマの描き方が楽しみな所です。
 来年は二俣城、清瀧寺信康廟、鳥羽山城も少しは賑わって呉れるでしょうか?
  

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赤い城

大きな石碑 (2022/12/03 訪問)

京浜東北線の蕨駅から徒歩で10分。
蕨市民会館に隣接する蕨城址公園が城跡です。
遺構はほぼ消滅していますが大きな石碑背後の池が堀跡と言われています。足利家の一族、渋川氏が築いたとされます。
江戸時代には徳川将軍家の鷹狩御殿として使用されました。
隣の和楽備神社も城の一部だったようです。

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零汰

終活5:100城・続100、城郭巡り:サンヨウ 4日目

城郭巡りの人間は、100城・続100城を巡る事は義務なのか?5回目

本日は岡山の猿掛城を6時半に開始、終始順調に訪問出来ました。

11月20日(4日目)
1. 猿掛城(岡山)・・・・・・・1時間20分:1.9km:累計高低差254m
2. 鴨山城(岡山)・・・・・・・30分:0.8km:累計高低差62m
3. 神辺城(広島)・・・・・・・30分:0.7km:累計高低差50m
4.◆福山城(広島)・・・・・・・25分:0.9km:累計高低差40m
5. 相方城(広島)・・・・・・・30分:0.5km:累計高低差50m
6. 鷲尾山城(広島)・・・・・35分:0.8km:累計高低差89m
7. 賀儀城(広島)・・・・・・・20分:0.5km
8.◆三原城(広島)
◆は正続100城
南下しながら評価の高い城を訪問しました。最初の猿掛城の後は城内に直接乗り入れが出来たり、すぐ脇までに近づく事が出来た。それでいて遺構が乏しい事も無く時間も掛からない。手軽に楽しめる事が出来て当初行く予定の無かった賀儀城まで行く事ができました。

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いんげん丸虫

鶴ヶ渕城 栃木県日光市 (2022/12/10 訪問)

1600年上杉景勝が徳川家康の侵攻に備え普請した
防塁遺構です。土橋から35m四方の馬出、土塁を
伴った長塁が150m伸びて山を登るように続いてま
す。
国道121号線や鉄道会津鬼怒川線によって分断され
ていますが、とても貴重な遺構ですね。
国道121号線の男鹿川を渡る橋を渡って直ぐに看板
があります。当日は午前7時頃に行ったのですが、
橋の上が凍結していてチェーンで侵入出来ないよう
になってました。橋の付近に駐車可能です。

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カズサン

南の丸Ⅰ(伝蔵屋敷)綺麗に整備 (2022/12/10 訪問)

 「今年も秋の装い見事なり」の続きです。

 本丸、二の丸から大手門跡を降りて南の丸Ⅰ伝蔵屋敷へ、綺麗に灌木、草が刈られて整備万全よく観察が出来ます、南の丸と二ノ丸の間の堀切も底まで草刈り綺麗に整備、二の丸南土塁のもみじが紅葉して彩を添えています、南の丸南側石垣も周辺草刈りされておりよく観察可、西側の残存石垣の確認を良く出来ます、南の丸Ⅱへの虎口から覗くが竹林のままで放置状態、西の丸への階段が西に続いてる、眺めるだけ、西から堀切を眺めて二の丸西虎口より二ノ丸、本丸、北の丸、駐車場へ。
 この後一本銀杏の紅葉が美しい清瀧寺の井戸櫓と信康廟参拝探訪へ向かう。
 続きます。
 

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カズサン

今年も秋の装い見事なり (2022/12/10 訪問)

 二俣城の紅葉探訪に少し出遅れたかなとの12月10日、北の丸下駐車場に車を駐めて登城開始、北の丸西下の登城路登って行く、本丸北下の堀切も草が刈って有り良く観察できる、本丸北土塁の樹木林間から紅葉が逆光に映える、北の丸橋、北の丸の銀杏も色ずき綺麗、本丸北門(搦手食違い虎口)より本丸に進入、北土塁上の紅葉、東土塁石塁上の紅葉も丁度良い頃、今年も綺麗に色付いてくれました、本丸中仕切り門上には紅葉が重なりトンネルの様、二の丸下は紅葉の落ち葉と上天の紅葉で装ってる、二の丸南土塁を大手門跡も紅葉と共演、静かな散策かなと思って居ると、同好の士か撮影してる、声を掛けると神戸の方今朝早くオートバイで来たとか、山城が特に好きとの事、この後鳥羽山城へとの事、道順をお教えして数分の会話もまた良し。
 
 この続編で南の丸Ⅰ(伝蔵屋敷)を投稿します。
 

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城好きのメガネ

「松戸城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
松戸城は、古河公方の支城として築城された。現在は、水戸藩最後の藩主・徳川昭武(徳川慶喜の弟)が建てた戸定邸として整備されている。明治時代の徳川家の住まいがほぼ完全に残る唯一の建物で、戸定邸(国指定重要文化財)と庭園(国指定名勝)として指定されている。

<アクセス>
JR松戸駅 徒歩15分

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赤い城

静勝寺 (2022/12/03 訪問)

赤羽駅から徒歩で5分。
静勝寺が城跡です。
石段の下に稲付城の石碑が立っていて長い石段が城の気配を感じさせます。
山門脇に説明板もあります。
遺構はありませんが築城者である太田道灌の木像がある道灌堂など見どころもあります。
木像は毎月26日に公開されるそうです。
紅葉もちょうど見頃でした。

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T-Shionoya

日本初の稜堡を持った戸切地陣屋 (2022/10/13 訪問)

10月の函館旅行で寄った幕末の城を、築城順で振り返り。
2つ目は北海道北杜市の戸切地陣屋。

函館平野の西端、山地の麓の比高30mほどの野崎の丘。
南西部は戸切地川の段丘崖に守られ、対する北東側も小さな沢がある模様。
木々がなければ函館平野と函館湾を広く見渡せ、以前から松前藩の本拠移転候補地に挙がっていたというポイント。
箱館開港が決まった直後の1855年、戸切地陣屋が箱館エリアの警備拠点として松前藩により築かれます。

台地の先端側(南東側)に土塁で囲んだ武家屋敷群を配置し、陣屋本陣は洋式の四角い星形の土塁で囲んだ構造。
守りが手薄なその東側の一角に、矢じり状の稜堡が設置されました。

現在は戸切地陣屋史跡公園となり、2つの門が復元され建物跡の位置が表示されている状態。

実際に訪問すると、大砲狭間ならぬ6つの砲座を持った稜堡は軍艦の船首の様。
2つの門は、内側に進入を妨害する馬隠しと呼ばれる土塁があり、大砲を運び上げるスロープが設けられていました。

裏門先の弾薬庫跡は行きそびれましたが、滞在時間は45分。
日本初の稜堡を持った要塞が、私の城巡りの134城目となりました。

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零汰

終活5:100城・続100、城郭巡り:サンヨウ 3日目

城郭巡りの人間は、100城・続100城を巡る事は義務なのか?5回目

11/19は宿泊地近くにあるコンパクトな城2か所からスタート。以降は正続100城を訪問しました。

11月19日(3日目)
1. 庭瀬城(岡山)
2. 撫川城(岡山)
3.◆備中高松城(岡山)・・・・・20分:0.9km
4.◆鬼ノ城(岡山)・・・・・・・・・1時間40分:3.8km:累計高低差260m
5.◆備中松山城・大松山城(岡山)・・・2時間40分:5.4km:累計高低差516m
6.◆岡山城(岡山)・・・・・・・・・35分:1.4km
◆は正続100城です。

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朝田 辰兵衛

往路はいろは坂,復路は関戸古戦場跡廻りで。 (2022/11/27 訪問)

起点は京王線の聖蹟桜ヶ丘駅。往路はいろは坂,復路は関戸古戦場跡廻りでループを描きました。
ジブリアニメ「耳をすませば」の影響か,いろは坂を健康目的で登っておられる方が多い印象でした。金比羅宮も聖地(杉村告白地)ということで,休憩地点となっていました。
関戸古戦場跡は,危うく通り過ぎるところでした…。

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うさ

大草城 (2022/12/11 訪問)

公園として整備されていて少年野球の練習中で活気がありました。

水堀、土塁、良かったです。

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うさ

大野城 (2022/12/11 訪問)

上の駐車場に車を停めました。下の駐車場から入った方が楽しめたかな、と少し後悔。
堀を歩けます。

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小城小次郎

城下が離れている? (2022/06/25 訪問)

久々に訪ねてみたら駐車場とガイダンス施設が出来ていた。さすがは国史跡。山麓の居館部分を山側の土塁・堀に至るまで良好に残すお城なのだが(中世の)城下と思しき集落が城から離れていることにふと気が付いた。

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チェブ

城びと未登録のお城攻め「百草城」。 (2022/11/06 訪問)

東京都日野市の「百草城」。
調べれば調べるほど、お城だったのかな?と、よく分からない「百草城」です。
1987年に発見されました。
一応、鎌倉時代~戦国時代にあったようです。

八幡神社方面から出陣。四季折々の草花が楽しめる『百草園』からもお邪魔できるかもしれません。

1段高い、土塁に守られた八幡神社です。
立派な説明板がありました。(百草城のではありません。)
平安時代から、真慈悲寺という大寺院がありました。
源 頼朝さんのご先祖でもある、源 頼義さん・義家さんが八幡神社を再建しました。
新田 義貞さんVS北条氏の分倍河原の戦で八幡神社は焼失。ただ焼失の痕跡がないそうです。
江戸時代には、徳川 信康さんを追悼する為の御寺があったそうです。

う~ん。御寺と神社はあったのでしょう。
「百草城」は?
歩けば、堀切や土塁はあります。

「百草城」は謎です。
城内に御寺や神社があったのか?存在年数がかぶるので、やはり謎。
大切な御寺や神社を守る為の、堀切や土塁にも見える「百草城」です。

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