いわやどうじょう

岩谷堂城

岩手県奥州市

別名 : 岩谷堂要害、柄杓城
旧国名 : 陸奥

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本丸の八郭堂
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しんちゃん

岩屋堂要害 (2025/01/05 訪問)

岩屋堂城は本丸の周辺に遺構を良く残しています。やや南西寄りに虎口と見られる箇所が有り、周囲に土塁が良く残っています。本丸の川沿いの周辺には帯状の腰曲輪が取り巻いています。
鎌倉時代に周辺を所領とするに及んで、江刺郡に千葉頼胤の三男・胤道が配されたとされています。胤道に関しては豊田城主であったとする説もあるようですが、詳細は不明。南北朝時代の以降は葛西氏の一族・江刺氏が江刺郡の惣領職となり、江刺氏が勢力を増すにつれ葛西氏との争いが多くなり康安元年(1361)に両者の合戦が有り、文明17年(1485)と明応4年(1495)にも江刺降見と葛西政信の合戦がありました。後者の戦いで江刺氏が敗れたため、岩谷堂城には政信の孫・重胤が入り郡内を取りまとめています。
豊臣秀吉の奥州仕置で葛西氏が改易となった後は木村吉清の家臣・溝口外記が入りますが葛西大崎一揆で討死し、一揆の鎮圧後は伊達家の所領となり万治2年(1695)岩城宗規が5000石で入り、岩屋堂伊達氏の治める要害として9代続いて明治維新に至ります。

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しんちゃん

奥州藤原氏より続く歴史、岩屋堂伊達家 (2025/01/05 訪問)

みなさん「えさし藤原のさと」の写真を投稿されてますね。わたしも勿論行ってますが、写真がまだ残っているかな?
岩谷堂城の歴史は古く、平安時代末期には藤原経清と子の清衡が居住していました。藤原氏を顕彰する目的で本丸には八角堂(二清院)が建立されています。藤原氏以外にも多数の城主がいますが、なんといっても奥州市は藤原氏が強いですね’(昔は江刺市だったのだが)。
城址は人首川の西の丘陵に面していて、人首川にはドクロがいっぱい流れています(ウソ)。
夜中に訪れた人首城にはドクロがいっぱい転がっていました。。(ウソ)
二の丸東門は興性寺に移築されていて、参拝したら参拝者用にミカンが置いてありました。檀家さんが優先だろうし、ここは我慢しようとおもったのだけど。。

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にのまる

えさし藤原の郷 (2022/11/26 訪問)

約3年前に平泉館(柳之御所)に行った際に立ち寄った伽羅御所跡でその存在を知り、いつか行きたいと思っていた念願が叶いました。うれしいです。
伽羅御所のほか、午前中に行ったばかりの豊田館、政庁、金色堂、各城柵などなど閉園時間ギリギリまで見てまわりました。ドラマのロケ地もそうだったのかー!と懐かしんだり、ホントに楽しくて、何度でも行きたいです。今度は「ガイドでポン」でスタンプラリーをしたいな。

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にのまる

館山史跡公園 (2022/11/26 訪問)

豊田館から移動しました。
旧後藤家住宅(写真⑨)へ寄ったあと館山史跡公園を目指して歩いていると「源義経公供養塔入口」の案内が。スルーすることができずに坂を下ってみました(写真⑧)
戻って夢乃橋を渡って岩谷堂城址(館山史跡公園)に到着です。土塁や空堀が残されており、ちょうど整備の方が入っておられました。藤原経清・清衡親子を顕彰する二清院の安らぎを感じる佇まいに、かの時代のさまざまなできごとを思いました。

今回の一泊二日の小旅行で行きたかったのはお城よりえさし藤原の郷と中尊寺でした。えさし藤原の郷は岩谷堂城からすぐ近くに見下ろせます。夢乃橋を戻ったところの広場から一気に下れる遊歩道があるようでしたが通行止めだったため、先ほど通った義経公供養塔の前の坂を下り、人首川沿いを夢乃橋を潜って行きました。こちら側(麓)から見ても遊歩道は通行禁止でした。

※夢乃橋は冬季(12月~3月)は通行止めです。
えさし藤原の郷の写真をたくさん撮ったので続きます!

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 千葉胤道
築城年 鎌倉時代
主な城主 千葉氏、葛西氏、溝口氏、桑折氏、岩谷堂伊達氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
住所 岩手県奥州市江刺岩谷堂