草刈も終え整然としていたからかもしれない、静まり返った広い場所を終始独りで歩いていたからかもしれない。門に入るなり立ちすくむ。乱暴な言い方ですが土塁と空堀の組み合わせだけです。それだけなのに色んな顔を見せてくれる。何故土の切り盛りだけなのにこんなに美しく見えるのでしょうか。遺構が残っていてくれて良かったと思います。
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2024/06/21 20:32
2023/11/10 14:43
2022/12/11 21:30
日本初の稜堡を持った戸切地陣屋 (2022/10/13 訪問)
10月の函館旅行で寄った幕末の城を、築城順で振り返り。
2つ目は北海道北杜市の戸切地陣屋。
函館平野の西端、山地の麓の比高30mほどの野崎の丘。
南西部は戸切地川の段丘崖に守られ、対する北東側も小さな沢がある模様。
木々がなければ函館平野と函館湾を広く見渡せ、以前から松前藩の本拠移転候補地に挙がっていたというポイント。
箱館開港が決まった直後の1855年、戸切地陣屋が箱館エリアの警備拠点として松前藩により築かれます。
台地の先端側(南東側)に土塁で囲んだ武家屋敷群を配置し、陣屋本陣は洋式の四角い星形の土塁で囲んだ構造。
守りが手薄なその東側の一角に、矢じり状の稜堡が設置されました。
現在は戸切地陣屋史跡公園となり、2つの門が復元され建物跡の位置が表示されている状態。
実際に訪問すると、大砲狭間ならぬ6つの砲座を持った稜堡は軍艦の船首の様。
2つの門は、内側に進入を妨害する馬隠しと呼ばれる土塁があり、大砲を運び上げるスロープが設けられていました。
裏門先の弾薬庫跡は行きそびれましたが、滞在時間は45分。
日本初の稜堡を持った要塞が、私の城巡りの134城目となりました。
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分類・構造 | 稜堡式 |
---|---|
天守構造 | なし |
築城主 | 松前崇広 |
築城年 | 安政2年(1855) |
主な城主 | 松前藩 |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀)、砲台 |
指定文化財 | 国史跡(松前藩戸切地陣屋跡) |
再建造物 | 大手門、搦手門、柵、石碑、説明板 |
住所 | 北海道北斗市野崎66-10 |
問い合わせ先 | 北斗市観光協会 |
問い合わせ先電話番号 | 0138-73-2408 |