元弘3年(1333)に新田軍が鎌倉に攻めてきた際の関戸合戦で周辺が戦場となり、新田義貞が敵を敗走させた後、陣をこの台に据えたことから「天守台」の名がついたとされています。戦国時代に陸奥国で討ち死にした北条氏家臣・佐伯道永が守将を務めたとされています。城址は金比羅社付近と頂部の天守台あたりではないでしょうか。関戸古戦場の近くにある延命寺は佐伯道永の屋敷があった場所とされています。
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2024/07/03 20:36
2022/12/11 19:43
2022/11/19 11:00
2022/10/16 19:33
関戸城はバーター側でした (2022/06/05 訪問)
関戸城は既に2014年に訪問済でしたが、術後2週間でどれだけ動けるか確認する為に、未訪問だった[寺方大屋敷(〒206-0003 東京都多摩市東寺方757)]に行った際のタイアップでバーター的に立ち寄りました。
寺方大屋敷がもっと平坦なところにあると思っていたのに、まさかあんな坂上にあるとは。。。(←まだまだ坂登る様な負荷かかる運動は駄目だった)
後で医者から常識を疑う・・・と説教を受けました。。。てかそれ退院の時に早く言ってよ~(危)
で、結構な比高のところまで登ったついでに関戸城に行った次第です。。。丁度未投稿だったのでついで感満載ですが(汗)
ちなみに関戸城は寺方大屋敷から距離はそれ程離れておりませんが、寺方大屋敷から更に登ったところにある為に15~20分くらい掛かったと記憶しております。
関戸城の標柱があるところから階段で下った場所に遺構残っているとの事ですが、正直体に余裕無かったのでスルーしました。
戻りはここから「耳をすませば」の舞台参考とされるスラロームの坂道側から聖蹟桜ヶ丘駅に向かいました。
折角なので写真は関戸城と寺方大屋敷の両方upしておきます。
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分類・構造 | 山城 |
---|---|
築城主 | 不明 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 佐伯氏? |
遺構 | 消滅 |
再建造物 | 碑 |
住所 | 東京都多摩市桜ケ丘1(地図は碑の場所を示す) |