久能山城は、駿河湾を見下ろす標高 216mの有度丘陵に位置し、長い年月かけた浸食作用によって堅い岩層だけが残り、現在ある孤立した山の姿になったようです。南面は急崖で駿河湾に接し、東西両面は浸食谷、北面は屏風岩により日本平の高地と隔てられた天然の要害です。
1568年武田信玄が今川氏真を破り、駿河を占領、山頂から駿河湾沿岸を一望でき、遠く伊豆西海岸をも望むことができるこの地に着目、寺院を他所に移して城郭に改造します。東の清水城に水軍を編成し、西の持舟城とともに駿河湾の海上権を握るため、重要な役割を担ったようです。甲斐武田氏の戦略・戦術を記した軍学書「甲陽軍艦」によると甲斐の岩殿城、上野の岩櫃城ともに武田三名城と言われています。この3城いずれも岩肌むき出しの急峻な岩山で視覚効果抜群の威圧感をもっていますね。
武田家滅亡後は徳川家康の所領となり、家康は江戸幕府を開くも終の棲家に駿河を選びます。さらに遺言でこの地に埋葬されます。そして東照大権現として祀られ、久能山東照宮の現在に至ります。人質だった少年期も含めて、駿河がとてもお気に入りなんですね。
アクセスは、風光明媚な日本平から快適極楽なロープウェイによる方法と南麓から試練のように自分の体力を信じてひたすら1,159個の石段を上る二択になります。
私も勿論、1,159段(いちいちご苦労さん)してきました。ご褒美は、信玄、家康も眺めていたであろう山頂から、駿河湾の眺望を満喫すること。達成感は、あります。
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