うとじょう

宇土城

熊本県宇土市

別名 : 城山、鶴ノ城、近世宇土城
旧国名 : 肥後

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石垣
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ぴーかる

宇土城 (2026/01/11 訪問)

【宇土城】
<駐車場他>宇土城(近世)駐車場あり。
<交通手段>車

<見所>石垣
<感想>1泊2日お人吉旅3城目。現地説明板によると宇土城は1588年に肥後南半国の領主となった小西行長が翌年に築城を開始した城です。小西行長は関ヶ原で西軍についたため、合戦後は加藤清正の領地となります。1612年加藤清正の没後に幕府の命で城は破却されます。また島原の乱ののちにも城は徹底的に破却されました。現在残る石垣は加藤清正時代の石垣だそうです。
 現地は公園になっています。主郭は広くて小西・加藤時代も広い主郭を中心にした城郭だったことをうかがわせます。周囲は主郭壁面と堀跡に加藤時代と思われる面を平らにしたいい石垣が現存しており、僅かしか残っていないが十分に見応えあります。
 ここは行ってみたかった城跡で、熊本城の宇土櫓は現存天守を差し置いても私の一番好きな現存建造物です。地震でも耐え残ってよかった。地震前のお気に入りの写真を添付します。

<満足度>◆◆◇

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モト

石垣の残る小西行長の城 (2024/05/03 訪問)

城跡は公園になって見学しやすくなってました。
小西行長の銅像が建ってます。
駐車場を少し歩くと石垣があります。
だいぶ草が生えて覆われてきておりましたが、素晴らしい石垣が顔を覗かせてました。
すぐそばに宇土古城もあります。
もちろん、そちらも登城します。
中世と近世の変化をセットで楽しんでまいりました。

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todo94

14年ぶりの再訪 (2023/05/04 訪問)

14年前も宇土古城とセットで訪れていましたが、いままでポチっていませんでした。晴れて宇土城、初投稿です。前回は石垣と小西行長の銅像をチェックしてそそくさと退散してしまいましたが、今回はしっかりと一回りしてまいりました。

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しんちゃん

小西行長と加藤清正の築いた城跡。破城の跡は妄想で補う。 (2023/01/03 訪問)

宇土城は天正16年(1588)に肥後南半国の領主となった小西行長が
翌年から築城を始めたを伝わります。
関ヶ原の合戦の後、肥後の国一国の領主となった加藤清正が自分の隠居城とするため
普請を行ったとされています。今現在、現存している石垣は清正時代の物らしいです。
清正は隠居することなく没し、慶長17年、幕府の命により城は壊されました。
寛永14年(1637)の島原の乱の後、さらにこの城は徹底的に壊され今は本丸の
一部の石垣が奇跡的に残っています。これは破城の際のお目こぼしなのでしょうか。
城を破壊した人たちも命令でやったことなので、加藤清正の築いた見事な
石垣をすべて壊すのも忍びなかったかもしれません。
現地の城の絵から確認すると本丸の西側の墓地が二の丸。南の宅地が三の丸に
なりますが東の高校も堀の内にあり第四の郭の役を果たしていたと考えられます。
もしくは果たす予定だったのでしょう。北の広大な住宅地も家臣団や寺社、住民の家として
城の外郭として機能していたと思われます。
いまはバーチャルがはやりですが、やはり古城跡を巡るうえで欠かせない物は
想像(妄想)力でしょう。

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城郭情報

分類・構造 平山城
天守構造 型式不明[3重/築年不明/解体]
築城主 小西行長
築城年 天正16年(1588)
主な改修者 加藤清正
主な城主 小西行長、加藤清正
廃城年 慶長17年(1612)
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 市史跡(宇土城跡)、市考古資料(慶長13年銘滴水瓦)
再建造物 石碑、説明板
住所 熊本県宇土市古城町
問い合わせ先 宇土市文化課文化財係
問い合わせ先電話番号 0964-23-0156