轟城からの転戦です。「あわの妙」ホテルの駐車場(34.015687、133.780920)に駐車させてもらいました。
築城年代は定かではないようですが、鎌倉時代前期に近藤氏によって築かれたと云われています。 近藤氏は庄官として京から来ていたが次第に土着し大西氏を称したようです。
南北朝時代には白地城を中心とした一帯は大西氏が支配し、阿波の守護大名である細川氏に従いますが、戦国時代には、細川氏から実権を奪った三好氏に服属しました。
1577年(天正5年)四国統一を狙う長宗我部元親に攻められ、城主大西覚養は讃岐国麻城へ落ち延びました。
1585年(天正13年)豊臣秀吉の四国攻めの際には長宗我部氏の防衛拠点として使われ、長宗我部氏が戦いに敗れて土佐へ退いた際に廃城となりました。
廃城後、地域の拠点としての役割は、近くの大西城が担うこととなりました。
大西神社の背後に土塁跡とされる土盛がわずかに残っており、大西神社右に白地城址碑があります。
「あわの抄」ホテル中央植え込みに説明板があり、入口のバス停はそのまま『白地城址』(写真撮り忘れました)です。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=大西城に向かいます。
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