はくちじょう

白地城

徳島県三好市

別名 : 白地大西城
旧国名 : 阿波

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本丸跡には温泉ホテル
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赤い城

四国の役で長宗我部元親が拠点とした城 (2024/07/15 訪問)

国道319号線から少し登ったところに宿泊施設があり、この周辺が城趾です。
バス停の名前も白地城址、しかし地形以外にはその影も無さそうですが、ホテル駐車場に説明板が立っています。

一段下がったところには老人ホームと大西神社があります。
ここも曲輪跡、神社の横に石碑が設置されています。
その背後には土塁の塹壕があり、遺構と言えるのはこれくらいかな。

皆さんのレポートにもあるようにここはまさしく四国の中心。
伊予、讃岐、阿波の三国にも街道がつながる要所と言えます。
一度ここにも泊まってみたいです。
リーズナブルな城泊かな?

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征6日目:白地城 (2022/07/25 訪問)

轟城からの転戦です。「あわの妙」ホテルの駐車場(34.015687、133.780920)に駐車させてもらいました。

築城年代は定かではないようですが、鎌倉時代前期に近藤氏によって築かれたと云われています。 近藤氏は庄官として京から来ていたが次第に土着し大西氏を称したようです。
南北朝時代には白地城を中心とした一帯は大西氏が支配し、阿波の守護大名である細川氏に従いますが、戦国時代には、細川氏から実権を奪った三好氏に服属しました。
1577年(天正5年)四国統一を狙う長宗我部元親に攻められ、城主大西覚養は讃岐国麻城へ落ち延びました。
1585年(天正13年)豊臣秀吉の四国攻めの際には長宗我部氏の防衛拠点として使われ、長宗我部氏が戦いに敗れて土佐へ退いた際に廃城となりました。
廃城後、地域の拠点としての役割は、近くの大西城が担うこととなりました。

大西神社の背後に土塁跡とされる土盛がわずかに残っており、大西神社右に白地城址碑があります。
「あわの抄」ホテル中央植え込みに説明板があり、入口のバス停はそのまま『白地城址』(写真撮り忘れました)です。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=大西城に向かいます。

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小城小次郎

土佐にも伊予にも讃岐にも阿波にも出られるということは (2020/10/17 訪問)

土佐から見て伊予にも讃岐にも阿波にも出られる便利な立地は逆に言えばどの国の中心からも遠く、実に旅程が組み難かった。宿建設で遺構が消滅した現在、実は対岸から遠望するのが最も城跡を実感できる手段なのかもしれない。

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ぽんたっく土佐守

四国の「ヘソ」 (2018/09/15 訪問)

JR阿波池田駅から車で10分ほどで着きます。
現在は「あわの抄」という温泉宿泊施設(?)になっています。
訪れたのは土曜日の昼頃でしたが、
建物入口には「土曜日定休」の文字が…。
宿泊もできるとのことですが、
駐車場はガラガラで本当に営業しているのかわかりません。
国道32号線(高知~高松)と国道192号線(徳島~四国中央市)が
交差しているところで、
昔から交通の要所であったことがうかがえます。


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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 近藤京帝
築城年 鎌倉時代前期
主な改修者 長宗我部元親
主な城主 近藤氏、大西氏、細川氏、三好氏、長宗我部氏
廃城年 天正13年(1585)
遺構 曲輪、土塁、切岸
再建造物 石碑、説明板
住所 徳島県三好市池田町白地本名
問い合わせ先 三好市役所
問い合わせ先電話番号 0883-72-7600