とどろきじょう

轟城

愛媛県四国中央市

別名 : 大西城
旧国名 : 伊予

投稿する
高速道路下の登城口
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

赤い城

私有地で入れず (2024/03/04 訪問)

国道192号線沿いに登城口があります。
すぐに分岐がありますが、高速に沿って登ると大きな石碑が立つ曲輪がありました。
おそらく二の丸跡かと。
肝心の部分は松山道建設によって消滅しています。

ここから少し戻り、高速をくぐり高速の逆サイドを登ります。
かなりの急坂、石段ですが山城2本の後で太ももパンパンに。
ちょっと堪えました。鈍ったのか?

山頂部には石碑と説明板が立ちますがその先は私有地で入れません。
トラロープが張ってありました。

以前は入れたようですが仕方ありませんね。
ロマンを感じるのみで退却しました。

馬路城主の大西元武が長宗我部氏に追われてここに築いた城、遺構も少し残るようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征6日目:轟城 (2022/07/25 訪問)

松尾城からの転戦です。ホシザキ四国㈱さん前の空地(33.990689、133.590473)に駐車しました。駐車禁止場所なので早めに戻りました。
そこから、登り口(33.990183、133.592187)まで徒歩2~3分で着きます。

築城年代は定かではないようですが、応永年間(1394年〜1428年)に信藤周防守正国によって築かれたと云われています。
その後、信藤氏が七代続き、享禄年間(1528年〜1532年)に信藤周防守正親が下野して廃城となりました。
1574年(天正2年)大西備中守元武によって城が修築されその居城となりました。その後、仏殿城主河上但馬守安勝と兵火を交え攻略したといいます。
1577年(天正5年)松尾城主の真鍋大炊介通近が長宗我部氏に通じ、大西元武は長宗我部軍と戦ったが敗れ、山川国秀の屋敷へと逃れたが、敵に取り囲まれ自刃して果てたそうです。

駐車場所から国道192号を少し歩くと、右に登る坂道があります。
登ると二股になっているので、自動車道の右側を登って階段を上がると、二の丸北東隅に出ます。城跡碑が建てられています。
轟城にはまだ本丸と南郭がありますが、急こう配の坂道に痛めた右ひざが悲鳴を上げている為、攻城は二の丸のみで撤退しました。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=白地城に向かいます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

主郭の消失 (2019/02/17 訪問)

四国中央市のホテルに泊をとったので、至近の轟城に朝駆けをかけて参りました。松山道の建設に当たって山頂部にあった主郭部分がごっそりえぐり取られてしまっていますが、それなりに城の雰囲気は残っています。城址碑と説明板があることが何より嬉しい限りです。長宗我部元親に従わなかった城主・大西備中守元武は自刃。

+ 続きを読む

城郭情報

分類・構造 山城
築城主 信藤正国
築城年 応永年間(1394〜1428)
主な改修者 大西元武
主な城主 信藤氏、大西氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、井戸
再建造物 石碑、説明板
住所 愛媛県四国中央市金田町金川