江上館は三浦和田氏の総領家・中条家の居館と考えられていて、主郭は堀まで含めて
一辺約110mの方形で、北と南に門が設けられています。北側には土塁を備えた北廓が配され
北廓の西端には鷹麻神社が建てられています。小ぶりですが主郭の南に南郭があり、各郭の間を
木橋で繋いでいます。南北の門は木橋からすこしずらした配置になっており、15世紀ごろに
喰い違い虎口の形状に作り直されたと見られています。当時としては先駆的な構造として
注目されているようです。
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2023/09/24 20:05
堀と土塁(おそらく復元)を良く残す国の史跡。 (2021/05/09 訪問)
江上館は三浦和田氏の総領家・中条家の居館と考えられていて、主郭は堀まで含めて
一辺約110mの方形で、北と南に門が設けられています。北側には土塁を備えた北廓が配され
北廓の西端には鷹麻神社が建てられています。小ぶりですが主郭の南に南郭があり、各郭の間を
木橋で繋いでいます。南北の門は木橋からすこしずらした配置になっており、15世紀ごろに
喰い違い虎口の形状に作り直されたと見られています。当時としては先駆的な構造として
注目されているようです。
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2023/05/17 06:59
2022/12/13 20:54
2021/09/26 14:04
「江上館」 (2020/04/06 訪問)
<オススメ>★★★★★
江上館跡は、標高約18メートルの微高地に占地し、三浦和田氏の惣領家である 中条氏の居館跡とされる。戦国時代には中条藤資が長尾為景に仕える。中条藤資は、本庄房長や色部昌長らと抗争。永正の乱でも長尾為景の勝利に貢献した。為景の没後は長尾晴景と対立するが、晴景の弟である上杉謙信が国主となると筆頭重臣として活躍した。1561年、川中島の戦いでは謙信より血染めの感状を貰うほどの智勇兼備の名将であった。中条藤資の没後は娘婿で吉江氏の景泰が中条氏を継いだ。中条景泰は、上杉謙信のはからいにより中条氏を継いだ。謙信の死後は上杉景勝に属し、魚津城を守備する。1581年、織田氏の柴田勝家と戦い、討ち死にした。子孫は引き続き上杉氏に仕え、陸奥会津や出羽米沢藩に転封されると従ったとされる。現在、曲輪、土塁等が遺されている。
<アクセス>
JR中条駅 徒歩20分
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分類・構造 | 平城 |
---|---|
築城主 | 中条氏 |
築城年 | 15世紀 |
主な城主 | 中条氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀)、横堀(水堀) |
指定文化財 | 国史跡(奧山荘城館遺跡) |
再建造物 | 碑、説明板、櫓門、木橋 |
住所 | 新潟県胎内市本郷町 |