国土地理院の識別標高図で堀と土塁が確認でき、興味のあった愛知県知多市の大草城。
伊勢湾の東岸、矢田川の北の比高10m程度の段丘の縁に築かれた城。
矢田川河口部の大野湊は水軍基地でもあり、伊勢湾海上交通の拠点の1つであったとのこと。
大野城からの移転にあたり1581年に信長の弟の織田長益(後の有楽斎)が築城を開始。しかし翌年の本能寺の変により工事が中断された未完の城。
それでも長益は館を築き1586年まで住んでいたとのこと。
現在、三の丸は宅地化されているものの、本丸と二の丸は堀と土塁が明瞭に残り小さな模擬天守が立つ大草公園。
また航空写真を確認すると、少なくとも1980年代までは三の丸北側の堀と土塁の痕跡が残っていたようである。
個人的には東側の入城口から水堀を北に進み巨大な土橋から徐々に南へ向かうルートがお勧め。
樹木が多いが、残る土塁は高く厚みがあり強固な印象。
模擬天守1階の小さな展示場で大草城の学習ができ、今は廻縁に出ることも可能。
展示資料(尾張藩作成の古城絵図)によれば、三の丸北東部に枡形虎口を装備していたとのこと。
また三の丸の堀について調べていたところ、気になる場所があり本日急遽再訪問。予想以上の高さの盛土は土塁の跡でしょうか。
石垣は存在しないものの"織田"のブランド力を感じた気がする、私の城郭巡りの189城目でした。
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