津田城は元八幡神社があったという標高87mの津田山に
あったとされています。
主郭部の北側は失われているようで、ロープが張っていない箇所で
崖になっている箇所もあります。近づかないほうが良いでしょう。
下側には郭が残っています。
城主桑村隼人亮は日奉氏の家系で、鎌倉時代の井戸城主薬師寺政村の
後裔です。三好義賢のために兵器を堺で買ったが
帰途、淡路の生石崎沖で海賊に襲われ戦死したと伝わります。
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2023/08/25 22:52
城主も城址も散々である。 (2023/08/14 訪問)
津田城は元八幡神社があったという標高87mの津田山に
あったとされています。
主郭部の北側は失われているようで、ロープが張っていない箇所で
崖になっている箇所もあります。近づかないほうが良いでしょう。
下側には郭が残っています。
城主桑村隼人亮は日奉氏の家系で、鎌倉時代の井戸城主薬師寺政村の
後裔です。三好義賢のために兵器を堺で買ったが
帰途、淡路の生石崎沖で海賊に襲われ戦死したと伝わります。
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2022/08/20 06:37
2022夏の青春18キップ遠征7日目:津田城 (2022/07/26 訪問)
徳島城からの転戦です。津田寺駐車場(34.051839、134.575644)に駐車しました。
築城年代は定かではないようです。
城主は桑村隼人亮で井戸城主薬師寺阿波守政村の子孫だそうです。三好実休のために堺で武器を買って帰る途中、淡路国生石崎で海賊のために討死したそうです。
津田寺駐車場から山頂に登る道を入ってみたが、遺構は消滅とのことなので入口から少し入ったところで引き返しました。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=夷山城に向かいます。
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2020/03/24 06:01
2019/11/24 13:30
遺構は見当たりません (2019/11/21 訪問)
津田城跡があったとされる津田山麓の「津田八幡神社」の由緒には、
(本社は)往昔には津田山上に鎮座、津田塁の城主桑村隼人の崇敬社として、
天文年間は三好氏崇拝の篤く、慶長の頃東麓の現在地に遷座した。藩政期は
藩主蜂須賀氏の参勤交代の東上に当り、安全を祈願した。現在の社殿は宝永
2年(1773)蜂須賀綱矩公の時に再建されたと伝わる」と記されています。
築城年代は不明ですが、城主は桑村隼人亮と言われ、三好義賢のために堺で
武器を買って帰る途中、淡路国で海賊に遭い戦死したと伝わっています。
津田八幡神社駐車場(数台)を利用、登城口<34.051839,134.575644>から
狭い登城路で津田山の山頂部に辿り着くが、読めない石碑が建っているだけ、
遺構は見当たらない。中腹に削平地があるが、往時のモノか分からない。
一方、北側は土地造成等で失われて絶壁状態、大変危険です。
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分類・構造 | 平山城 |
---|---|
築城主 | 桑村隼人亮 |
築城年 | 戦国時代 |
主な城主 | 桑村隼人亮 |
遺構 | 消滅 |
住所 | 徳島県徳島市津田西町 |