続日本100名城

うすきじょう

臼杵城

大分県臼杵市

別名 : 丹生島城、巨亀城、金亀城、亀城、亀ヶ城
旧国名 : 豊後

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臼杵城
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todo94

2巡目の続日本100名城のスタンプラリー73城目 (2024/01/13 訪問)

2023年11月の出石城・有子山城以来の続100名城登城で2024年の初スタンプとなりました。初めて訪れた時は雨もよいの曇天で臼杵城には曇天のイメージがまとわりついてしまっています。5度目の攻城で初めて快晴に恵まれました。櫓の写真などは曇天の方が撮影しやすいのですけれどもね。

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しんしんちゃん

大友宗麟の居城。 (2023/01/09 訪問)

臼杵城はかつて臼杵湾に面した丹生島に築かれていました(今は陸でつながっています)。大友宗麟は大内氏に取って替り勢力を伸ばした毛利氏と激しく争いました。永禄4年(1561)門司での戦いで敗れ、北部豊前での戦いで大敗し、毛利氏へ対抗するために急遽この城を築城したとされています。
臼木丹生島に攻め込むためには陸路では六ヶ迫峠や津久見峠を越えなくてはならず、東は湾に面し西は臼杵川が流れているので防御の点でも申し分なかったそうです。臼杵城は宗麟の隠居城とされましたが、剃髪して休庵宗麟と名乗ってはいるものの実際にはまだ三十半ばで、実権は宗麟が握っていたため大友館に対するもう一つの本拠としての意味合いもありそうです。
城址は東が本丸跡で西が二の丸跡とされているようです。現在は公園化されていて様々なモニュメントで飾られ、天守櫓跡に面して空堀遺構が残っています。
※本丸周辺の写真は2014年1月の写真を流用しています。

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10Q-Nobu

今も街を護る城 (2023/06/18 訪問)

臼杵駅を降りるとすぐに大きな高台が見えてきて圧倒される。
かつては海によって隔たれた島を城にするロマンの塊のような臼杵城ですが、津波の際は近隣住民の避難場所になっており、登りやすいスロープが設置されている箇所もありました。
今は別の用途でも住民に必要とされ、残っていくのは良いですね。

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あみりん

大友氏の自然要害臼杵城。 (2023/05/01 訪問)

大分駅から、ソニックにちりんに乗り、臼杵城へ。
土砂崩れ防止防護策がつけられている石段を登り二の丸へ。
快晴で汗をかきながらも、良き城巡りとなりました。お堀に鯉とデカい鴨が水浴びしてました。

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城郭情報

城地種類 連郭式平山城
築城年代 永禄5年(1562)
築城者 大友宗麟
主要城主 大友氏、福原氏、太田氏、稲葉氏
文化財史跡区分 県史跡(臼杵城跡)
天守の現況・形態 複合式望楼型[3重4階/1601年築/破却]
主な関連施設 大門櫓、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、櫓、石垣、横堀(空堀)
住所 大分県臼杵市臼杵1175
問い合わせ先 臼杵市観光情報協会
問い合わせ先電話番号 0972-64-7130