続日本100名城

うすきじょう

臼杵城

大分県臼杵市

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臼杵城
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ブラタヌシ

夏とお城 続100名城 (2018/08/13 訪問)

大分の臼杵、大友宗麟ゆかりの城🏯
中は公園ですが、見応え有りますね😃

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オダリン

丹生島に築かれた海に浮かぶ城。大友宗麟によって築かれた (2010/09/29 訪問)

現存櫓が2つあり大門櫓は復元。本丸の石垣がかなり残っており見ごたえがある。

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takatch

丹生島と国崩し (2018/04/30 訪問)

臼杵市中心部にある丘に、臼杵城あり。
今でこそ陸地ですが、当時は島(丹生島)。
丹生島城という別名はここから由来。
干潮時のみ陸続きとなる陸繋島だったそうな。

築城は、豊後国はじめ隆盛時には九州六カ国を治めた大友宗麟公。
以後、大友氏の主な本拠地へ。
南蛮船も来航し、城下町には教会などキリスト教信仰施設があり、キリスト教信者も多かったそうです。

1586年12月、戸次川の戦いにて、島津軍が四国連合軍を倒し、豊後を次々と攻めます。

そして、丹生島の戦いへ。
大友軍は、「国崩し(くにくずし)」とよばれたポルトガル製の大砲で、島津軍に応戦。
頂上の臼杵公園内に、国崩しのレプリカ像あり。


その後、宗麟公は豊臣秀吉公に九州出兵を要請→秀吉公は九州出兵を実施→島津軍は撤退を余儀なくされました。

臼杵城を死守した宗麟公は、翌1587年5月6日に死去。
のちに、息子である大友義統公が朝鮮出兵時の失態で豊後改易→福原氏が入城→福原氏が豊後府内城へ移ったのち、太田氏が入城→関ヶ原の戦いで西軍に与していた太田氏が降服→郡上八幡城主の稲葉氏が入城、以後明治維新まで15代続いたそうです。


城内には、大手門、本丸址、卯寅櫓、臼杵護国神社などあり。
市民の憩いの公園ともなっております。


JR日豊本線臼杵駅から徒歩10~15分程度。
続日本100名城スタンプは、麓の臼杵観光交流センターにあり。

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kucucu

現存櫓 (2018/04/30 訪問)

現存櫓が二箇所、石垣もよく残っています。
スタンプ置き場の観光プラザには無料駐車場がありますが、この日は催し物があったせいか地元の車で満車でした。

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城郭情報

城地種類 嶋城
築城年代 弘治2年(1556年)
築城者 大友義鎮
主要城主 大友義鎮、福原直高、太田一吉、稲葉氏
文化財史跡区分 県指定史跡
近年の主な復元・整備 大門櫓、時鐘櫓
主な関連施設 臼杵市歴史資料館
主な遺構 畳櫓、卯寅口門脇櫓、西の丸居館庭園、天守台、石垣など
住所 大分県臼杵市臼杵1175
問い合わせ先 臼杵市観光情報協会
問い合わせ先電話番号 0972-64-7130