きつきじょう

杵築城

大分県杵築市

別名 : 木付城、勝山城、台山城、臥牛城
旧国名 : 豊後

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しろりん

360°の眺望が素晴らしい (2024/07/28 訪問)

1394年、木村頼直によって高山川と八坂川の河口にあたる台山に築城しました。これが杵築城(木村城)のはじまりです。1615年に幕府の一国一城令によって破却されました。1970年(昭和45年)に市内外の多数有志の協賛によってコンクリート造りの模擬天守が建てられました。館内は資料館になっていてお城関係のもの以外に、地元出身の名士関連の資料も展示されています。天守閣展望台からは360度の展望が素晴らしかったです。入館料大人400円、無料駐車場があります。

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前ちゃん

大分遠征③完 (2024/02/13 訪問)

3日目、2日間の疲れ(運動不足)も相まって、朝8時過ぎまでゴロゴロと。
杵築駅からは、バスー杵築バスターミナル(290円)。そこからは徒歩で。腰痛と戦いながら、杵築城へ。大原家、資料館のセット券(1000円)を購入し、散策。武家屋敷群(ポスターで有名な酢屋の坂、塩屋の坂界隈)で雛人形も飾っているのでご覧あれ。

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朝田 辰兵衛

開館時間前の入館,ありがとうございました! (2023/07/08 訪問)

杵築城の開館時間は,午前10時。15分ほど前からうろついていたら,開けていただけました。大変にありがとうございました!
どこから来たのか聞かれ,「越後です」と返答してもすぐに理解されていたようで,逆に驚きました。以前,若桜では「越後ってどこ?」という状況になっていましたので。
登城途中に駐車場があり,そこから眺める模擬天守も一興の趣がありました。

「杵築」はもともと「木付」。城址碑も「木付」表記です。これに関しては,正徳2(1712)年,能見松平氏3代藩主重休(しげやす)の時,6代将軍徳川家宣からの朱印状において「木付」の文字が「杵築」になっていたので,幕府に伺いをたてて以降,「杵築」と表記することになったそうです。

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くらのり

杵築城 (2023/06/12 訪問)

三方を海に囲まれた海城で、戦国時代には大友氏と島津氏の戦いの舞台となり、また「関ケ原の戦い」の際には当時、丹後宮津城主の細川忠興に飛び地として与えられていた杵築城は旧領の回復を計画する大友勢の吉弘統幸によって攻められますが、黒田官兵衛によって救援されています。
現在、山上は城山公園として整備されており、石垣が一部残っています。
また模擬天守(資料館)が建てられ、中では甲冑を着る体験もできます。杵築城の最大の魅力はその城下町で、武家屋敷群、職人町寺町など、当時の風情が色濃く残っています。

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城郭情報

分類・構造 連郭式平山城
天守構造 型式不明[階層不明/1591年築/焼失(落雷)]、独立式望楼型[3層3階/1970年築/RC造模擬]
築城主 木付頼直
築城年 明徳4年(1393)
主な城主 木付氏、前田氏、杉原氏、細川氏、小笠原氏、松平氏
廃城年 明治4年(1871)
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、横堀(水堀)
指定文化財 国史跡(杵築城跡)
再建造物 模擬天守、石碑、説明板
住所 大分県杵築市杵築35
問い合わせ先 杵築城
問い合わせ先電話番号 0978-62-4532