きつきじょう

杵築城

大分県杵築市

別名 : 木付城、勝山城、台山城、臥牛城
旧国名 : 豊後

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dougen

2017.11.26登城 (2017/11/26 訪問)

杵築市の中心部の近くの台山上に位置し、城山公園として整備されています。
現在は、周りを埋め立てられてしまっていますが、往時は三方を海に囲まれた要害だったことは、今でも想像は難しくありません。
城下町も保存地区に指定されていて、散策も楽しめる城址です。

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トク

杵築城(2/2):天守を見上げて今年の最後は温泉で (2024/12/22 訪問)

杵築城の続き(2/2)です。
上から眺めると、今度は逆に下から見上げてみたくなり、お城の方に下に降りられる道を聞き、八坂川の橋の上から写真を撮りました(写真①②)。ここから見上げると、とてもいいアングルです。下りて気づきましたが、台山は海や川方向から見ると城は断崖絶壁の上に建っています。どうやら海や川から攻めるのは難しそうです(写真③)。

夜は別府温泉「ホテル清風」に宿泊しました。通常は1泊2食で2万円くらいしますが、平日限定割引クーポンをGETできたので、何と半額の1万円で泊まれラッキーでした。海の見える展望露天風呂はとても気持ちよく、この時のために朝から何も食べずに日出城・杵築城と回ったのでお腹ペコペコ。もう着くやいなや食事処へいざ出陣、新鮮刺身や豊後牛などのこれでもかという豪華バイキングに大満足でした!😊(夜は写真⑧を2回、朝も2回、風呂には3回も入りもう満腹&のぼせ状態)。1年のいい締めくくりになりました!
 

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トク

杵築城(1/2):天守から眺めた景色は抜群 (2024/12/22 訪問)

2024年今年最後の登城は「杵築城」です。

室町時代に木付氏によって八坂川の河口にある台山に築かれたのが始まりのようです。戦国時代から豊臣期にかけて木付氏は大友配下となりますが、宗麟の子義統が朝鮮での敵前逃亡の罪で改易されると、木付統直は自刃し、そこで木付氏は絶えたようです。その後、丹後細川氏の飛地となり、家老の松井康之が城代となり三重の天守を建てますが、その後に落雷で焼失します。康之は九州の関ケ原では、再起した大友義統に攻撃されるも、何とか耐えこの木付城を守り抜きました。そして援軍に来た黒田如水とともに大友義統を別府石垣原にて破ります。しかしその後に、木付城は一国一城令で廃城となってしまいました。肥後加藤家改易後に細川氏が肥後へ転封すると、木付は豊後高田藩(能見松平氏)の所領となりました。ちなみに康之の子の松井興長は、肥後では細川忠利の筆頭家老となり、八代城の城代を任されています。

1712年に幕府が誤って朱印状に「木付」ではなく「杵築」と表記したため、その後は杵築城と表記されるようになったとか(何それ🤔?)。現在は三重の模擬天守が建ち、杵築市のシンボルとなっています。

暘谷駅からハーモニーランド経由のバスで杵築駅に着き、そこから杵築バスターミナル行のバスに乗り換え10分、杵築城入口で下車しました。ここから登城開始します(写真⑦)。途中公園になっている二の丸を過ぎ、本丸への門(写真⑨)をくぐると天守が見えてきました(写真⑩)。約15分程度の軽い登りで天守まで到着しました(写真①②)。

天守内部は資料館になっています(写真⑤)。1階では木付氏・細川氏・松平氏の資料が、2階では杵築出身の著名人が紹介されていました。太平洋戦争終結時、戦艦ミズーリ号の艦上でポツダム宣言受託の署名をした教科書にも載っている、あの外相「重光葵」は杵築の出身だったようですね(写真⑥)。

そして天守最上階からは、八坂川や守江湾から別府湾が見渡せ、遠く佐賀関や愛媛県の佐多岬までかすかに見えました(写真③④)。いや~とても気持ちのいい眺めでした。

次は、下から見上げたらどう見えるのかが気になり、八坂川へ下りてから、今夜のお楽しみ(温泉宿)へ向かいます。
 

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WEST

杵築城探訪 (2024/12/03 訪問)

大分県の杵築城を訪問しました。大分空港から自動車で約25分でアクセスできます。
駐車場は城山公園駐車場を利用しました。
杵築城は城山台地に築造されましたが、一国一城令により破却され、現在の天守は昭和に建てられた模擬天守となります。
模擬天守は歴史資料館となっており、杵築城の歴史などの資料が展示してあります。天守の展望室からは、守江湾が望めます。
また、お城の麓には九州の小京都と呼ばれる城下町が広がっており、散策することをお勧めします。坂、武家屋敷などを見ることができますよ。

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城郭情報

分類・構造 連郭式平山城
天守構造 型式不明[階層不明/1591年築/焼失(落雷)]、独立式望楼型[3層3階/1970年築/RC造模擬]
築城主 木付頼直
築城年 明徳4年(1393)
主な城主 木付氏、前田氏、杉原氏、細川氏、小笠原氏、松平氏
廃城年 明治4年(1871)
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、横堀(水堀)
指定文化財 国史跡(杵築城跡)
再建造物 模擬天守、石碑、説明板
住所 大分県杵築市杵築35
問い合わせ先 杵築城
問い合わせ先電話番号 0978-62-4532