続日本100名城

いちのみやじょう

一宮城

徳島県徳島市


旧国名 : 阿波

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一宮城
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にのまる

阿波青石パラダイス (2023/01/05 訪問)

徳島駅から路線バスで「一の宮札所前」下車。
帰りのバスまで2時間半あるので時間を気にしないでゆっくり見てまわることにしました。
登城口から縄張り図のコースどおりに、まずは倉庫跡方面に向かいました。山道ですが整備された歩きやすい道でありがたかったです。しばらく登ると神宮寺跡、経筒出土地、神宮寺谷道の案内板があったので、コースからは外れますが行ってみることにしました。どこまでも続くかに見える石敷き道と随所に渋めの石積み。自然の中で芸術鑑賞をしているような気分を味わえました。石の道を抜け出たところは登城口のすぐそばだったので登城リスタートとなりましたが、それも全く苦にならないくらいの満足感でした。

コースに戻って左手の倉庫跡、竪堀、右手の上下二段(縄張り図を見ると三段のようでした)の曲輪跡を見学しつつ進みます。メイン会場にはまだ到達していませんが既に曲輪の数が多いなという印象です。その先進むと二つ目の倉庫跡の案内がありましたが、そちらは行けそうにありませんでした。さらに登るとダイナミックな堀切が見えて才蔵丸に到着。船戸谷川の景色を展望できました。
ここから分岐している外側の道へ進み城内最大の堀切を見て、本丸、明神丸へとまわりました。
はじめて見る緑泥片岩の野面積み石垣。想像していた以上の別天地で、唯一無二の個性の中に人の手による温かさを感じます。本丸を守る頑強な石階段を下り明神丸へ。本丸・明神丸・帯曲輪に三位一体の強さを感じました。

本丸に戻って小倉丸方面へ向かいましたが、この時点で10:30。帰りのバスは11:09発。
ここから後半の見どころだというのに、前半ゆっくりしすぎたせいで既に2時間が経過し、タイムアップまで残り40分を切ってしまいました。来た道を戻るのではなく一周する予定なのでこのあとどのくらいかかるかの見当もついていません。
……まっ、いいか。

小倉丸は虎口が崩落対策中ということでしたが行くことができて、湾曲した土塁や櫓台跡を見ることができました。才蔵丸も細長かったですがここはさらに細長かったです。青々と茂る羊歯に水場の近さも感じました。
空堀、竪堀を見つつ進むと、難所ありの椎丸経由で水の手丸へ行くか、椎丸を通らずに向かうかの二択を迫られました。時間もあまりないし、どちらにしてもこの先避けて通れない鎖場が待っているので椎丸には寄らずに進むことにしました。難所がないとは言え、登城口から小倉丸までの整備された道とは違い自然のままの山道を歩く感じでした。
水の手丸への分岐に着いたのが10:48。水の手丸に寄るとバスに間に合うかかなり微妙。「椎丸に寄らなかったついでに水の手丸にも寄らない」という意味不明な理由付けをして水の手丸はパスして貯水池と堤跡の方へ進みました。
ドキドキの鎖場は思ったほど大変ではなくて(でも鎖がないと降りられなかったです)ホッとしました。ここから登城口まで300メートルの表示があったのでダッシュして無事にバスに間に合いました。

このたびの四国7城めぐりのなかで一宮城がいちばん不安でしたが、楽しんで歩きまわることができました。もし一箇所だけ再訪できるとしたらここを選ぶと思います。(椎丸・水の手丸にも行きたいし。)
御城印収集は最近は積極的にはしていないのですが、整備の一助になればと缶バッチ2個とあわせて(500円硬貨しかなかったので^^;)購入させていただきました。
ここに限らずほぼすべてそうなのですが、城郭協会さんが100名城・続100名城の選定とスタンプラリーという一大企画を立ち上げてくださらなかったら知ることも行くこともきっとなかったので、城郭協会さん、それから何十年もお城に情熱を注いで険しい山道を登城し後進に道をひらいてくださったマニアの皆さまに感謝です。

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侍ホリタン

淡路・徳島の100名城を訪ねて④ (2022/02/12 訪問)

本日、4城目一宮城です。御城印、100名城スタンプは登山道入口の案内板隣にあります。スニーカーで大丈夫ですが、山城なので登山靴等の登山の準備をした方が良いと思います。駐車場は登山口入り口前に2台ほど停めれるスペースが有りましたが、車にて訪問される方は事前に調べておいた方が良いと思います。

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朝田 辰兵衛

押印スペースがない… (2020/11/14 訪問)

登城口のスタンプ設置場所に,押印スペースがないのが気になりました。私は晴天に恵まれましたが,悪天候時にはかなり苦労されるハズ。あらかじめ,押印台になりそうなモノを持参されるとベターです。厚めの書籍とか…。
竪堀は全く確認できませんでした。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征7日目:一宮城 (2022/07/26 訪問)

夷山城からの転戦です。一宮神社入口(34.037867、134.4633)から進入して、その先の駐車場に駐車しました。
登城口(34.037577、134.4632)で続100名城スタンプを押印して攻城しました。

1338年(暦応元年・延元3年)小笠原宮内大輔長宗によって築かれたと云われています。
小笠原長宗(一宮長宗)は阿波国守護職小笠原長房の子長久の四男で、一宮国造の一宮宗成を滅ぼして一宮城を築き、一宮氏を称しました。
南北朝時代に一宮氏は南朝方として活躍しましたが、1362年(貞治元年・正平17年)一宮長宗は北朝方に下り隠棲しました。
その後、阿波国守護職となった細川氏の被官となり、細川氏に代わって三好氏が実権を握ると三好氏に従いました。
一宮成助は三好長慶の妹を妻に迎えて、三好義賢の重臣でした。三好義賢が没して三好長治が家督を継ぐと、1577年(天正5年)細川真之と三好長治が争うこととなりました。
成助は伊沢城主伊沢頼俊とともに細川真之に応じて挙兵し、三好長治を今切城に攻め長治を自刃させました。
讃岐国虎丸城に居た長治方の武将矢崎駿河守はこの知らせを受けて伊沢頼俊を討ちとりました。その後、成助は長宗我部元親と通じて勝瑞城を巡って十河存保と争います。
1582年(天正10年)中富川の戦いで長宗我部氏が十河氏を敗って阿波を平定すると、成助は三好康長に通じたとの理由で夷山城にて謀殺されました。
その後、元親は北城に谷忠澄、南城に江村親俊を置いて一宮城を守らせましたが、1585年(天正13年)豊臣秀吉による四国征伐で豊臣秀長率いる四万余りの軍勢によって攻められ開城しました。
1585年(天正13年)阿波に入部した蜂須賀家政は当初一宮城を居城としましたが、徳島城を築いて居城としたため、益田宮内を城番として阿波九城と呼ばれる重要な支城の一つとしました。
1638年(寛永15年)一国一城令により廃城となりました。

一宮神社の駐車場から遊歩道を登って行きます。米倉跡手前に竪堀があります。
米倉跡の先の登城道を上がって行くと、登城道側面から石垣が積まれているのがよく見えます。
財蔵丸と明神丸との間の堀切は深く、左側は財蔵丸への虎口となっています。
明神丸の反対側にある本丸の虎口は、よく写真などで紹介されている立派な石垣です。
本丸には若宮神社が祀られています。
続100名城ですが、阿波9城のひとつです。
攻城時間は60分くらいでした。次の攻城先=矢野城に向かいます。

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城郭情報

城地種類 山城
築城年代 延元3年〔南朝〕/暦応元年〔北朝〕(1338)
築城者 小笠原長宗
主要城主 小笠原氏、蜂須賀氏、益田氏
文化財史跡区分 県史跡(一宮城跡)、とくしま市民遺産
近年の主な復元・整備 蜂須賀家政
天守の現況・形態 不明
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、横堀(空堀)、竪堀、井戸跡
住所 徳島県徳島市一宮町西丁237
問い合わせ先 徳島市企画政策局広報広聴課
問い合わせ先電話番号 088-621-5091