5城目は一宮城。本日既に4城目、しかも山城2城目です。いい加減疲れている所に延々と続く石段。よく整備して頂いている事は有り難いのですが、石段の幅が微妙で疲れました。普通に坂道の方が疲れないのではないでしょうか?
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2025/04/28 10:00
2025/04/05 04:04
四国・淡路城巡りの旅③ (2025/04/02 訪問)
徳島最大の山城であり、阿波九城・続日本100名城のひとつである一宮城。
登山道の麓にある、一宮神社と四国八十八ケ所霊場第13番札所の大日寺で願掛けしてから登山開始。
登山口は無人だけど城のパンフレットと続日本100名城スタンプ、御城印(有料)が置いてある。
途中、鎖に捕まりながら降りる個所もあり、山城の中でもキツイ部類に入ると思うけど絶対に行く価値あり!
山を登りながら、切岸や堀切、明神丸を経て帯曲輪を渡ると突然目の前に壮大な本丸石垣が現れる!
この苔むした武骨な石垣は凄すぎる!迫力満点!階段手前の桜も満開で、ここに桜を植えた先人に拍手を送りたい!
下山道の最後に満開の大きな枝垂れ桜もあり、山攻めの疲れも吹き飛んだ。
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2025/01/19 17:46
2025城初め (2025/01/04 訪問)
遅くなりましたがまずはtodo94さん、香川県の登録城コンプリートおめでとうございます✨
今年中にはあとに続きたいです。
追ってにはなりますが今回は私もクイズ参戦しますね。
さて2025年の城初めは阿波九城のひとつ、一宮城にしました。
登城口の近くには13番札所の大日寺と阿波の一宮神社が隣接しています。
登城口に続100のスタンプがあります。
スタンプを押し、訪問ノートもあったのでサインしておきました。
整備された登城路を登っていきます。
削平地にたどり着き、竪堀を見学したあと左手に進むと倉庫跡。
見晴らしもgood。
さらに登って才蔵丸、さらには明神丸に進みます。
明神丸と本丸の間は土橋状の帯曲輪で繋がっていました。
本丸には皆さんの好物、石垣が残っています。
ここに縄張図があり、本丸下に堀切が描かれていたのでちょっと降りてみました。
あまり大きくは無いですがはっきりと堀切を確認。
本丸に引き返し小倉丸方面へ向かいます。
途中、この城最大の堀切、さらには竪堀となりかなり下まで落ちていました。
小倉丸から椎丸、水ノ手丸と進み、陰滝を経て下山しました。
西の丸台も行きたかったですが次のお楽しみ、城初めとしては十分満足な攻城でした。
見どころ
・本丸先、最大規模の堀切と竪堀
・小倉丸の土塁
・明神丸と本丸の間の土橋状の帯曲輪
・本丸の石垣
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2024/02/04 12:22
南北朝・戦国期と戦乱に明け暮れる。 (2018/01/04 訪問)
一宮城は鮎喰川の南側、標高144mの山上に築かれ背後には山々がそびえます。南北朝の時代に小笠原長宗が築き南朝の城として在ったとされています。北朝方の細川氏とはたびたび衝突し、正平17年(1362)細川頼之の軍と戦って敗れると一宮成宗は息子の成行に城主を譲って重清城に隠居したとあります。
戦国期の城主一宮成助は三好氏と対立しますが、頼みとしていた長宗我部元親に夷山城で殺されてしまったそうです。天正13年(1585)豊臣秀吉の四国征伐の際に蜂須賀家政が一宮城に入りますが、翌年に徳島に移り寛永15年(1638)に一国一城令によって廃城になったとのことです。
この日は麓から米蔵や周辺の郭を散策しながら尾根上に登り、財蔵丸・明神丸と巡回したあとに本丸に到達しました。その後は花畑や櫓台・陰滝などこの地方最大の山城を満期し下山となりました。
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城地種類 | 山城 |
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築城年代 | 延元3年〔南朝〕/暦応元年〔北朝〕(1338) |
築城者 | 小笠原長宗 |
主要城主 | 小笠原氏、蜂須賀氏、益田氏 |
文化財史跡区分 | 県史跡(一宮城跡)、とくしま市民遺産 |
近年の主な復元・整備 | 蜂須賀家政 |
天守の現況・形態 | 不明 |
主な関連施設 | 石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、石垣、土塁、堀切、横堀(空堀)、竪堀、井戸跡 |
住所 | 徳島県徳島市一宮町西丁237 |
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問い合わせ先 | 徳島市企画政策局広報広聴課 |
問い合わせ先電話番号 | 088-621-5091 |