続日本100名城

いちのみやじょう

一宮城

徳島県徳島市


旧国名 : 阿波

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一宮城
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しんしんちゃん

南北朝・戦国期と戦乱に明け暮れる。 (2018/01/04 訪問)

一宮城は鮎喰川の南側、標高144mの山上に築かれ背後には山々がそびえます。南北朝の時代に小笠原長宗が築き南朝の城として在ったとされています。北朝方の細川氏とはたびたび衝突し、正平17年(1362)細川頼之の軍と戦って敗れると一宮成宗は息子の成行に城主を譲って重清城に隠居したとあります。
戦国期の城主一宮成助は三好氏と対立しますが、頼みとしていた長宗我部元親に夷山城で殺されてしまったそうです。天正13年(1585)豊臣秀吉の四国征伐の際に蜂須賀家政が一宮城に入りますが、翌年に徳島に移り寛永15年(1638)に一国一城令によって廃城になったとのことです。
この日は麓から米蔵や周辺の郭を散策しながら尾根上に登り、財蔵丸・明神丸と巡回したあとに本丸に到達しました。その後は花畑や櫓台・陰滝などこの地方最大の山城を満期し下山となりました。

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2023/06/13 訪問)

※徳島城、洲本城と共に登城
※前日、徳島駅前のホテルに前泊

8:05徳島駅前(路線バス)、8:36一の宮札所前
 (徒歩1分)登山口(続百名城スタンプ 登山口看板横24HOK)
 一宮城跡散策
 ※阿波青石の本丸石垣が突然出てくるのは壮観です

11:09一の宮札所前(路線バス)、11:44徳島、
 (徒歩11分)徳島城跡(百名城スタンプ 徳島城博物館受付カウンター9:30-16:30月休)

14:25徳島、15:54洲本BC
(徒歩4分)洲本市役所4階教育委員会(6/12-15,9:00~17:00)
 ※本丸への登城は翌日です
 ※洲本城のライトアップが見れました

 泊:洲本市内

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とばつびしゃもん

豊臣VS長宗我部激戦の城 (2023/07/16 訪問)

二度目の登城。登城口横にある県道沿いの駐車スペースに駐車し登城開始。
登城口に続日本100名城スタンプが設置されておりそこでポン。パンフレットも入手。
本丸まで約40分。その間、才蔵丸と明神丸の間の堀切や竪堀など遺構が見られる。明神丸からは徳島市内と眉山を望む。見どころの一つ本丸石垣は、なんとも武骨な感じが印象的。
前回はここでUターンしたところを先に進む。大きな堀切を通って小倉丸へ。さらに椎丸へ向かう途中、登城中にはぐれた仲間を探しているグループに遭遇。登城道から外れないように注意しつつ、水の手丸を経由し貯水池から水量の少ない陰滝へ。陰滝への下りは滑りやすく要注意。登城道を下り一宮神社のある登城口へ戻る。約2時間の攻城。

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にのまる

阿波青石パラダイス (2023/01/05 訪問)

徳島駅から路線バスで「一の宮札所前」下車。
帰りのバスまで2時間半あるので時間を気にしないでゆっくり見てまわることにしました。
登城口から縄張り図のコースどおりに、まずは倉庫跡方面に向かいました。山道ですが整備された歩きやすい道でありがたかったです。しばらく登ると神宮寺跡、経筒出土地、神宮寺谷道の案内板があったので、コースからは外れますが行ってみることにしました。どこまでも続くかに見える石敷き道と随所に渋めの石積み。自然の中で芸術鑑賞をしているような気分を味わえました。石の道を抜け出たところは登城口のすぐそばだったので登城リスタートとなりましたが、それも全く苦にならないくらいの満足感でした。

コースに戻って左手の倉庫跡、竪堀、右手の上下二段(縄張り図を見ると三段のようでした)の曲輪跡を見学しつつ進みます。メイン会場にはまだ到達していませんが既に曲輪の数が多いなという印象です。その先進むと二つ目の倉庫跡の案内がありましたが、そちらは行けそうにありませんでした。さらに登るとダイナミックな堀切が見えて才蔵丸に到着。船戸谷川の景色を展望できました。
ここから分岐している外側の道へ進み城内最大の堀切を見て、本丸、明神丸へとまわりました。
はじめて見る緑泥片岩の野面積み石垣。想像していた以上の別天地で、唯一無二の個性の中に人の手による温かさを感じます。本丸を守る頑強な石階段を下り明神丸へ。本丸・明神丸・帯曲輪に三位一体の強さを感じました。

本丸に戻って小倉丸方面へ向かいましたが、この時点で10:30。帰りのバスは11:09発。
ここから後半の見どころだというのに、前半ゆっくりしすぎたせいで既に2時間が経過し、タイムアップまで残り40分を切ってしまいました。来た道を戻るのではなく一周する予定なのでこのあとどのくらいかかるかの見当もついていません。
……まっ、いいか。

小倉丸は虎口が崩落対策中ということでしたが行くことができて、湾曲した土塁や櫓台跡を見ることができました。才蔵丸も細長かったですがここはさらに細長かったです。青々と茂る羊歯に水場の近さも感じました。
空堀、竪堀を見つつ進むと、難所ありの椎丸経由で水の手丸へ行くか、椎丸を通らずに向かうかの二択を迫られました。時間もあまりないし、どちらにしてもこの先避けて通れない鎖場が待っているので椎丸には寄らずに進むことにしました。難所がないとは言え、登城口から小倉丸までの整備された道とは違い自然のままの山道を歩く感じでした。
水の手丸への分岐に着いたのが10:48。水の手丸に寄るとバスに間に合うかかなり微妙。「椎丸に寄らなかったついでに水の手丸にも寄らない」という意味不明な理由付けをして水の手丸はパスして貯水池と堤跡の方へ進みました。
ドキドキの鎖場は思ったほど大変ではなくて(でも鎖がないと降りられなかったです)ホッとしました。ここから登城口まで300メートルの表示があったのでダッシュして無事にバスに間に合いました。

このたびの四国7城めぐりのなかで一宮城がいちばん不安でしたが、楽しんで歩きまわることができました。もし一箇所だけ再訪できるとしたらここを選ぶと思います。(椎丸・水の手丸にも行きたいし。)
御城印収集は最近は積極的にはしていないのですが、整備の一助になればと缶バッチ2個とあわせて(500円硬貨しかなかったので^^;)購入させていただきました。
ここに限らずほぼすべてそうなのですが、城郭協会さんが100名城・続100名城の選定とスタンプラリーという一大企画を立ち上げてくださらなかったら知ることも行くこともきっとなかったので、城郭協会さん、それから何十年もお城に情熱を注いで険しい山道を登城し後進に道をひらいてくださったマニアの皆さまに感謝です。

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城郭情報

城地種類 山城
築城年代 延元3年〔南朝〕/暦応元年〔北朝〕(1338)
築城者 小笠原長宗
主要城主 小笠原氏、蜂須賀氏、益田氏
文化財史跡区分 県史跡(一宮城跡)、とくしま市民遺産
近年の主な復元・整備 蜂須賀家政
天守の現況・形態 不明
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、横堀(空堀)、竪堀、井戸跡
住所 徳島県徳島市一宮町西丁237
問い合わせ先 徳島市企画政策局広報広聴課
問い合わせ先電話番号 088-621-5091