柳川城は文亀年間に蒲池治久によって築かれたとされています。戦国時代に龍造寺隆信や鍋島直茂の攻撃に耐え抜きますが、天正9年に蒲池鑑並が龍造寺隆信によって謀殺されると柳川城は龍造寺氏の支城になりました。その後、大友氏の将・立花道雪と高橋紹運が柳川城を攻めるも落城させることは出来なかったようです。
豊臣秀吉の九州征伐後は立花宗茂の居城になりますが、関ヶ原の合戦後は田中吉政が筑後一国32万5千石で入り、城を全面改修しました。
元和6年(1620)に田中忠政が後嗣なく病没し田中家が改易になると立花宗茂が10万石で再び柳川城主となりました。
現在は柳川中学校と高等学校の敷地内にあり、石垣や天守台跡が残っています。
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