やながわじょう

柳川城

福岡県柳川市

別名 : 柳河城、舞鶴城
旧国名 : 筑後

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立花宗茂 (2024/10/24 訪問)

 久しぶりの柳川城です。近くへ来たので寄ってきました。蒲地氏が築いた城です。立花宗茂の印象が強い城ですが、本格的な近代城郭にしたのは関ヶ原の戦い以後領主となった田中吉政と伝わっています。この城の特徴は複雑に入り組んだ掘割です。敵が攻めてきたときは、水門を開放することで掘割の水があふれて、城の中心部を残し、そのほか周辺の町を水没させることができたといわれています。今は川下り(お堀めぐり)を楽しむことができ観光資源となっています。自分は川下りはやったことがなく、機会があれば船に乗ってのんびり堀をめぐってみたいものです。

 昼飯に鰻せいろ蒸しを若松屋さんでいただきました。

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todo94

20年前の攻城 (2004/04/11 訪問)

計画段階では蒲池城から20年ぶりに柳川城を再攻略する予定でした。雨予報のため、やむなくスルーしましたが、本当は、御花や松島を模したという松濤園など、柳川を堪能するつもりだったので残念です。鰻のせいろ蒸しはかなり熱くて食べにくく味もよくわからなかったのでリピートするかどうかは微妙です。20年前は三柱神社も火災に遭う前でした。

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トク

「水郷柳川」日帰り散歩⑤(天守跡で新発見?) (2024/03/04 訪問)

日帰り散歩④の続きです。北原白秋の歌を口ずさみながら、掘割り沿いを歩き、柳川城の本丸天守跡に着きました。今は何も残っていませんが、ここには天守台の石垣とその上に五重の天守が建っていました(写真①②③④)。

関ケ原当時は、ここは立花宗茂の居城でした(写真⑤)。そして関ケ原後には田中吉政が、石田三成を捕らえた功績で、岡崎10万石から筑後柳川32万石に加増されて1601年に入り、その五重の天守を築きました。明治5年までその天守は残っていましたが、火災で焼失したとの事です。その明治期の写真が説明板にありました(写真⑥)。それをいつものように眺めていると(ん?🤔)ここで新たな発見が・・・ 天守部分を拡大してみます(写真⑦)。この写真、どこかの城にそっくりだと思いませか? そう岡崎城に何となく似ていると思いませんか?

そういえば岡崎城を建てたのも田中吉政(家康時代は土造りの城)、柳川城の天守を建てたのも田中吉政(宗茂時代は土造りの城)です。そう普通に考えると、ここには岡崎城にそっくりな天守が建っていたとしても、何の不思議ではない気がします。

でもよく考えると、吉政は岡崎城の天守台までは造りましたが、実際に建てたかはわかっていません。その後に入った本多康重・康紀父子が、吉政の天守台を拡張して1617年に三重の天守を完成、その天守が明治の廃城令まで残っていたとされています(現在は模擬天守)。

ならば、なぜ先に完成した柳川城が後に完成した岡崎城に似ているのか? あるいは、本多父子が吉政の指南を受けながら柳川城をまねて岡崎城を築城したのか? あるいは、吉政はmini版の岡崎城を築城していて、本多父子は単にそれを拡張して造り変えただけなのか? はたまたこれは単なる偶然なのか? それとも私の目の錯覚なのか? 疑問が尽きなくなりました。

はたして真実は?
お聞かせ下され吉政殿~!(写真⑧⑨⑩)
 

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トク

「水郷柳川」日帰り散歩④(さげもんめぐり) (2024/03/04 訪問)

柳川で「柳川雛祭り:さげもんめぐり」が行われているので訪れてきました。昨年9月(①~③)以来の柳川訪問です。街の至る所にさげもんが吊るされていて、今の柳川はとても楽しく散策する事ができます。

さげもんとは、江戸末期頃から伝わるもので、女の子が生まれると初節句のお祝いに、古布に縁起物などを入れて吊るし、健康・無病息災・良縁を願ったというこの地方の風習だそうです。立花家の別邸「御花」(おはな)では、立花家に代々伝わる雛人形とさげもんが展示されていて、とてもきれいでした。

近くに北原白秋の生家もあるので訪れてきました。それから、田中吉政公が作った堀割り沿いをずっと歩いていると、川下り船がのんびりと横を通り、とてものどかな光景で、何だか癒されてしまいます。そしてそのまま、白秋が作った歌を口ずさみながら、柳川城の天守跡の方向へ向かって歩きました。

 この道は~♪
 いつか来た道~♬
 ああそうだよ~♪
 アカシアの 花が咲いてる~♬

次は、柳川城天守跡へ続きます。
そこで今回新たな発見が・・・
 

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城郭情報

分類・構造 平城
天守構造 複合式層塔型[5重5階/1601年築/焼失(放火?)]
築城主 蒲池治久
築城年 文亀年間(1501〜1504)
主な改修者 田中吉政
主な城主 蒲池氏、立花氏、田中氏
廃城年 明治5年(1872)
遺構 曲輪、天守台、石垣、横堀(水堀)
指定文化財 市史跡(柳川城本丸跡)、国名勝(水郷柳河)
再建造物 石碑、説明板
住所 福岡県柳川市本城町88
問い合わせ先 柳川市生涯学習課文化係
問い合わせ先電話番号 0944-77-8832