かめだじょう

亀田城

秋田県由利本荘市

別名 : 天鷺城、(亀田陣屋)
旧国名 : 出羽

投稿する
美術館入口
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

ぎりょう

模擬天主が建つテーマパーク (2022/08/14 訪問)

由利本荘市の二ヵ所目は亀田城に。本荘城址から日本海東北自動車道を秋田方面へ、松ヶ崎亀田IC経由で19km、23分ほど。
ここは戦国時代は由利十二頭の赤尾津氏が拠った地。最上氏が由利郡を領有するにあたりその臣楯岡氏が配され赤尾津城に入るが、その後、支配の拠点は本荘城に。最上氏改易の後、本多氏を経て、由利郡は亀田・本荘・仁賀保・矢島の四藩に分割され、亀田には信濃川中島より岩城修理大夫吉隆が20、000石で入部すると、吉隆はかつての赤尾津城の麓に亀田陣屋を築いた。元和9年(1623)の事である。その後岩城氏は13代続くが、嘉永5年(1852)8代隆喜(たかひろ)のとき、善政を認められ城主格となり亀田城と呼ばれるようになったと云う。慶応4年(1868)の戊辰戦争にあっては、当初は奥羽越列藩同盟に加盟するも久保田藩が新政府軍側に付くと亀田藩も列藩同盟を離脱する。しかし列藩同盟側の庄内藩勢が矢島藩・本荘藩を攻めると、一転して庄内藩側に組みしたため、久保田藩勢に攻められ焼失したと云う。
富原文庫蔵の陸軍省城絵図には「旧亀田県城郭之図」として明治五年時点の姿が描かれている。東西百五間南北百間とあり、本丸・二ノ丸ともに建物は焼失したためか描かれていないが、本丸と二ノ丸の土塁、水掘、大手外舛形と喰違虎口三ヵ所がしっかりと残されており、かつての堅固さを偲ぶことができる。
現在城址周辺は、史跡保存伝承の里「天鷺村」として美術館や藩政時代の士農工商の建築物、石垣と櫓門、模擬天主が並ぶテーマパークとなっている。


+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

亀田陣屋 (2020/06/29 訪問)

亀田城佐藤八十八美術館裏手駐車場(39.498984、140.0859)に駐車して攻城。あいにく月曜日だったので、佐藤八十八美術館(模擬城門)お休みで閉まってました。しかたなく、近くにある天鷺村の模擬天守を見て撤退しました。攻城時間は30分位です。

+ 続きを読む

まめ五郎

亀田城 (2020/05/07 訪問)

近くに天鷺城なる、天守があり紛らわしい。

+ 続きを読む

カズサン

真田信繫五女「直」絡みの陣屋 (2017/05/25 訪問)

 一昨年の5月下旬秋田県城廻り能代市の檜山城を終えて高速秋田道、日本海東北道経由して松ヶ崎亀田ICを降り亀田陣屋初登城。
 車は模擬天守が建ってる天鷺村前の駐車場に停め、先ず陣屋跡地の旧亀田小学校、グランド、天鷺神社を探訪し小学校跡地には城郭風の佐藤八十八美術館、陣屋奥の山頂はワイナリーと成り高城山には中世城跡出羽赤尾津城跡として公園化、城石碑が在る。
 麓の模擬天守閣大手城門を控えた天鷺村は古民家、武家屋敷、史料館、歴史館が揃って居り歴史館では大河ドラマ真田丸に絡んで真田信繫五女「直」の展示が有り大変勉強になりました。
 佐竹義宣弟宣家と真田信繫五女直と結ばれ重隆を生み岩城氏亀田藩を継ぐ、佐竹宣家は岩城宣隆に改め藩主と認められ二代目、三代目は子息重隆と続き明治まで至る。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 平城
天守構造 複合式層塔型[3重3階/1989年築/RC造模擬]
築城主 岩城吉隆
築城年 元和9年(1623)
主な城主 岩城氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物 模擬櫓門、模擬天守、石碑、説明板
住所 秋田県由利本荘市岩城下蛇田字高城4
問い合わせ先 亀田城佐藤八十八美術館
問い合わせ先電話番号 0184-74-2500