たてばやしじょう

館林城

群馬県館林市

別名 : 尾曳城
旧国名 : 上野

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①土橋門
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昌官忠

日帰り東武伊勢崎線沿線城巡り①:館林城 (2026/04/08 訪問)

日帰り東武伊勢崎線沿線城巡り1城目は館林城です。
館林駅から徒歩20分くらいで本丸土塁入口(36.244181、139.545440)に着きました。
本丸跡の土塁を確認し、千貫門跡(36.246013、139.541706)➡三の丸復元土橋門(36.246160、139.540521)➡大手門石碑(36.248278、139.536798)の順番で巡りました。

1556年(弘治2年)赤井照康によって、築かれたと云われていますが定かではないようです。
越後上杉氏が関東に進出すると足利長尾氏が城主となりますが、後に北条氏の支配するところとなり北条氏規が城主となります。
小田原の役では落城せず後に開城となります。北条氏滅亡後は榊原康政が100,000石で入封しました。
榊原氏が3代続いた後、陸奥国小峰に転封となり替わって大給松平氏が入封しました。
1661年(寛文元年)3代将軍徳川家光の四男綱吉が250,000石で入封しました。 綱吉が将軍となるとその子徳松が城主となりましたが、徳松の死によって館林城は破却されました。
1707年(宝永4年)6代将軍家宣の弟松平清武が24,000石で入封し築城し直し、 のち太田氏、松平氏、井上氏、秋元氏と入れ替わり明治を迎えたようです。

攻城時間は徒歩移動時間を含め、50分くらいでした。次の攻城先=羽生城に向かう為、館林駅から羽生駅に向かいます。

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しんちゃん

榊原康政 (2025/03/16 訪問)

館山城は戦国時代に赤井氏によって築かれたとされるが、定かではないようです。その後、上杉氏と北条氏の間で争奪戦が繰り返されますが最終的には北条氏に従い、天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原攻めに際して落城しています。
その後は徳川家康の関東入封に伴い、榊原康政が10万石で入り近世城郭として築き直しました。本丸跡には向井千秋記念子供科学館が建ち、周辺は「館林城ゆめひろば」になっていて、土塁らしきものもありました。館林市役所も城域に含まれ、北西には千貫門跡の碑が立っています。三の丸西端あたりには土橋門が再現され、土塁も残っており、塀も再現されています。遺構は殆ど残っていないのですが、門と土塀が再現されているだけで、周囲には近世城郭としての雰囲気が漂っているので不思議なものです。

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まさお

館林城跡&つつじが岡公園 (2023/04/23 訪問)

館林駅からつつじが岡公園-館林城跡を回り駅に戻るコースをウォーキングした。

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榊原康政 (2023/08/10 訪問)

 館林駅より徒歩にて登城しました。土塁が各所に残り土橋門が復元されています。市内各所に遺構があるようですが、今回は散策していません。城沼を堀として活用した平城ですが、多く残っていればすばらしい景観だったのではないかと思います。

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城郭情報

分類・構造 梯郭式+連郭式平城
天守構造 型式不明[3重/1590年築?/破却(廃城)]、二重櫓[2重/1707年築/焼失]
築城主 赤井照康
築城年 弘治2年(1556)
主な改修者 榊原康政
主な城主 赤井氏、榊原氏、松平氏、徳川氏
廃城年 明治7年(1874)
遺構 曲輪、土塁、虎口
指定文化財 県重要文化財(館林城鐘)、市史跡(館林城跡、館林城本丸土塁および八幡宮)
再建造物 門、石碑、説明板
住所 群馬県館林市城町甲23-1他
問い合わせ先 館林市教育委員会文化振興課文化財係
問い合わせ先電話番号 0276-74-4111