消化不良だった海老ケ島城を終えて、南西約12km程、多良埼城主目的常陸未踏の城探訪7城目(ラスト)道沿いの駒城を初登城。
駐車場:無し、案内板の南側幅寄せして路駐(36°13'13"N 139°55'13"E h=30m)
参考資料:城郭放浪記さん余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。
東より県道233号線走行し県道の1本北の道に入り200m程に史跡マークの駒城、こんもり樹木が茂り案内板が有り直ぐに分かります、案内板、城名標柱が道路脇、城名石碑は奥の土塁上に設置、立派な石碑です、季節柄草が生い茂り中に進入し難く道路上で眺め写真を撮って終了。
案内板によると。
ここは東西120m、南北180mにわたる駒城の北西部にあたると有り、鬼怒川の東傍で西側の濠代わりとし東は水田当時は湿田か沼地で守っていた様子がグーグルマップの航空写真で推測が出来ます。
南北朝時代藤原実寛が城主としてたてこもり、小田城に在城していた南朝方の北畠親房、関城の関氏、大宝城の下妻氏ともに北朝方の
高師冬との激しい戦いを繰り返し1340年5月駒城は落城、藤原実寛は捕らえられた。(案内板抜粋)
駒城で多良埼城主目的常陸未踏の城探訪7城登城完了。
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