新善光寺城(城びと未登録 福井県越前市)から10分弱歩き、龍門寺山門説明板前(35.898647、136.165730)に着きました。
1573年(天正元年)富田長繁によって築かれたと云われます。もともと龍門寺があった所と云われています。
1573年(天正元年)織田信長によって朝倉氏が滅ぼされると、朝倉氏の家臣であった富田長繁はいち早く信長に降って、府中を領し龍門寺城を居城としました。
1574年(天正2年)一向一揆が起こるとそれに加担して確執のあった守護代桂田長俊(前波吉継)を敗り、更に魚住景固父子を謀殺して越前一国を支配しました。
1575年(天正3年)富田長繁は悪政を施いたため、一向一揆の襲撃を受け、この戦いの最中に家臣の小林三郎次郎吉隆に裏切られ討死にしました。
1575年(天正3年)越前を再び平定した織田信長は北庄城に柴田勝家を置くとともに、府中城には前田利家、小丸城には佐々成政、龍門寺城に不破光治が入りました。
1580年(天正8年)不破光治は没し、不破直光が家督を相続したが、賤ヶ岳合戦後は前田利家に仕えました。
1585年(天正13年)若狭の木村常陸介が府中を支配し、1588年(天正16年)城内の南隅に龍門寺を再興しました。
現在の龍門寺一帯が龍門寺城跡のようですが、遺構はないようです。門脇に説明板があります。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=府中城に向かいます。
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