てづつやまじょう

天筒山城

福井県敦賀市

別名 : 手筒城
旧国名 : 越前

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展望台
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昌官忠

2022夏の青春18キップ9日目:天筒山城 (2022/07/28 訪問)

金ヶ崎城の一の木戸から登山道を尾根づたいに徒歩20分くらいで、天筒山の展望台に着きました。

展望公園の北側に展望台(丸い形)が建てられ、その北に見張り台説明板があり、見張り台があります。
天筒山公園として整備されいます。頂上から金ヶ崎城や敦賀湾、遠く敦賀半島が望めます。

天筒山城は金ヶ崎城の支城として、朝倉氏が支配していたようです。
元亀元年(1570年)織田信長による越前侵攻の際、寺田采女丞が守将でした。
信長軍は手筒山城を攻略し、ついで金ヶ崎城を攻めたが、浅井長政の離反により退却を迫られ、有名な「金ヶ崎の退き口」につながります。

細長い展望公園の北側に展望台、その北の鞍部に見張り台説明板と見張り台があります。
どこからが天筒山城址なのか金ヶ崎城址との境がわかりませんが、天筒山城址に向かう途中、見事な竪堀がありました。(少しピンボケしていますが、投稿します)
展望台から下る途中に山の神神社がありますが、遊歩道から500mくらい離れているようなので行きませんでした。
攻城時間は45分くらいでした。その後、明日の攻城先=金剛院城(城びと未登録 福井県越前市)を目指す為、敦賀駅に戻り電車で本日の宿泊先がある武生駅に向かいました。

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中池見湿地方面に遺構 (2022/05/26 訪問)

 金ヶ崎城より尾根道を歩いて登城しました。以前、金ヶ崎城には行ったことはあったのですが、手筒山には来ないで引き返してしまいました。直接手筒山に登るより楽かなと思って金ヶ崎城経由のコースを選択しました。帰りは山の神社方面へ下りましたので、比較すると楽だとは思いますが、ただ階段が多く閉口しました。
 中池見方面に郭、切岸、堀切が残っているとの案内板があり見てきました。堀切は言われるとそうかなと思うくらいで、ほとんど埋まっていました。うっかりして切岸②を見逃してしまいました。

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城好きのメガネ

「天筒山城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
天筒山城は、金ヶ崎城の支城で、越前・朝倉氏の支配下であった。織田信長による越前侵攻の際に落城する。織田勢が金ヶ崎城に攻め寄せるも、浅井長政の離反により退却を迫られ、「金ヶ崎の退き口」につながる。現在、土塁等が遺されている。

<アクセス>
JR敦賀駅 徒歩35分

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イオ

眺望は抜群! ですが… (2021/05/04 訪問)

南北朝初期に足利方が金ヶ崎城攻略の拠点として築いた城で、戦国後期には金ヶ崎城の支城として朝倉氏の支配下にありましたが、織田信長の侵攻を受けて落城。そのまま廃城となったようです。

金ヶ崎城から尾根伝いに登城しました。山麓の永厳寺からの登城道が切通道として交わる大堀切からが城域と思われます。大堀切からは10分弱で見張台跡の説明板がある削平地に至ります。その一段上の天筒山頂には展望台があり、西には金ヶ崎城から敦賀湾、気比の松原を、東には天然の要害となる中池見湿地を見渡す眺望を堪能できます。展望台の奥にも休憩所やトイレ、東屋が建つ削平地が広がっていますが、公園として綺麗に整備されていて、遺構らしきものは見つけられませんでした。

山頂から中池見湿地に下りて行く途中には堀切があるようですが、下調べ不足で未確認です。また、大堀切から金ヶ崎城側に少し行った尾根道西側にあるのは竪堀? それとも自然地形でしょうか?? 下調べで縄張図を入手できず、現地の案内板に加えて旧敦賀港駅ランプ小屋や金崎宮で入手したパンフレットを参照しながらの散策でしたが、ちょっと消化不良でモヤモヤした感じが残りました。
 

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 足利氏
築城年 南北朝時代
主な城主 足利氏、寺田氏(朝倉氏家臣)
遺構 曲輪、櫓台跡、堀切、竪堀
再建造物 碑、説明板
住所 福井県敦賀市金ケ崎町