金前寺前の駐車場に車を駐め、小雨まじりのなか登城を開始。
階段を上り金崎宮を通って、幕末に台場として整備された鴎ヶ崎、そして本丸とされる月見御殿跡へ。本丸からは敦賀湾を一望できる。
来た道を戻り、三叉路を手筒山城方面へ。三の城戸跡、二の城戸跡と進んだところで雨が本降りになりかけたため、手筒山城への攻城は断念。二の城戸跡から金崎宮へ直接下る道を引き返す。
織田軍の「金ケ崎の退き口」の舞台を約50分攻城。
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2026/01/13 23:45
2025/08/17 14:42
2024/05/04 06:17
金ケ崎城址 (2024/05/03 訪問)
遺構は少ないですが、展望台から見る若狭湾は絶景でした。
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2022/12/25 20:37
どこまでが金ヶ崎城なの? (2022/12/03 訪問)
評価★☆☆☆☆
主な遺構★☆☆☆☆堀切
国吉城を終えて金ヶ崎城に行きました。金ヶ崎城といえば明智光秀の金ヶ崎の退き口が有名ですよね。国吉城から出陣した織田信長は一乗谷城を出陣した朝倉義景と戦うのですが、浅井長政の裏切りに遭い、織田信長は撤退します。しかし、豊臣秀吉や徳川家康はここでかなり苦戦します。そこで明智光秀が殿を務めたことにより、死を免れることができたといいます。なおこの出来事は明智光秀が織田信長の四天王となった一因であり、この出来事が起点となって織田信長に気に入られるようになったそうです。明智光秀の重要地点とも言えるでしょう。
とはいうもののどこまでが金ヶ崎城なのかよくわからないです。最初金ヶ崎城の本丸に行きました。そこは武将たちが月見をしたことで有名ですが、遺構は残っていません。がっかりしながら戻って金ヶ崎神社まで行きましたが、そこにあった模型を見てみると、どうやら遺構は山の中にあるそうだったので手筒山城方面を歩いて行きました。城戸がいくつかあり、激戦の舞台だったことが窺えました。また、堀切が二ヶ所あり、行ってよかったなあと思いました。しかし、まだまだ道は続きもう永遠に続いていたので疲れてきて、道が分かれたところで下っていきましたがさらに長く、最終的にお墓の背後の山から出てきました。だいぶきつかったです。
神社などには案内板がたくさんあったのでよかったですが、山の方にも案内板を設けてほしかったです。
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| 分類・構造 | 山城 |
|---|---|
| 築城主 | 平通盛 |
| 築城年 | 平安時代後期 |
| 主な城主 | 新田義貞、甲斐氏、朝倉氏 |
| 遺構 | 曲輪、堀切、堅堀 |
| 指定文化財 | 国史跡(金ヶ崎城跡) |
| 再建造物 | 石碑、説明板 |
| 住所 | 福井県敦賀市金ケ崎町1-1 |
| 問い合わせ先 | 福井県教育庁文化課 |
| 問い合わせ先電話番号 | 0776-20-0579 |