評価★☆☆☆☆
主な遺構★☆☆☆☆堀切
国吉城を終えて金ヶ崎城に行きました。金ヶ崎城といえば明智光秀の金ヶ崎の退き口が有名ですよね。国吉城から出陣した織田信長は一乗谷城を出陣した朝倉義景と戦うのですが、浅井長政の裏切りに遭い、織田信長は撤退します。しかし、豊臣秀吉や徳川家康はここでかなり苦戦します。そこで明智光秀が殿を務めたことにより、死を免れることができたといいます。なおこの出来事は明智光秀が織田信長の四天王となった一因であり、この出来事が起点となって織田信長に気に入られるようになったそうです。明智光秀の重要地点とも言えるでしょう。
とはいうもののどこまでが金ヶ崎城なのかよくわからないです。最初金ヶ崎城の本丸に行きました。そこは武将たちが月見をしたことで有名ですが、遺構は残っていません。がっかりしながら戻って金ヶ崎神社まで行きましたが、そこにあった模型を見てみると、どうやら遺構は山の中にあるそうだったので手筒山城方面を歩いて行きました。城戸がいくつかあり、激戦の舞台だったことが窺えました。また、堀切が二ヶ所あり、行ってよかったなあと思いました。しかし、まだまだ道は続きもう永遠に続いていたので疲れてきて、道が分かれたところで下っていきましたがさらに長く、最終的にお墓の背後の山から出てきました。だいぶきつかったです。
神社などには案内板がたくさんあったのでよかったですが、山の方にも案内板を設けてほしかったです。
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