南北朝時代に南朝方に付きお隣の関城とともに落城したようです。
主要部分は大宝八幡宮の敷地のなっていますので駐車場も完備。
遺構は南側の高くて分厚い土塁も感動ものですが
先の投稿されているTokyobayさんが記されているように
北側の遺構必見です。
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2024/04/19 22:50
2024/02/22 00:46
2023/09/18 21:04
風鈴の音が響く城址 (2023/08/19 訪問)
関東鉄道常総線 大宝駅から徒歩5分で到着。
大宝八幡宮周辺に駐車場があります。
南北朝時代、大宝城は下妻氏の居城で、北にある関城(茨城県筑西市)と並び、南朝の拠点でした。北朝の高師冬軍と二年にわたる籠城戦の末、1341年に大宝城は落城。城主の下妻政泰は討死しています。
現在、城跡は、関東最古の八幡宮といわれる大宝八幡宮になっていますが、部分的に遺構が残っていて、まず大宝小学校南側の鳥居周辺には、土塁が残っていました。
けっこう高さがあって迫力がありました!!
変わって大宝八幡宮の北西側のあじさい神苑にも土塁があります。
大宝八幡宮では、訪問した際は風鈴祭りが行われており、大宝駅をはじめ、あちこちに風鈴が設置されていました。
大宝八幡宮の本殿裏手には、「贈正四位下妻政泰忠死之地」の碑(昭和6年建立)と「下妻政泰公忠死の碑」(昭和18年建立)が立っています。
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2023/09/06 22:38
南大手口の土塁が見事 (2023/05/04 訪問)
大宝城は糸繰川の東側の台地上に築かれていました。
関城の南2~3kmほどの位置にあり、かつては南朝方の拠点として
互いに連携し、舟で行き来出きたそうです。
西側と北側は断崖状になっており、本丸周辺は大宝八幡宮となり
遺構の大半は失われているものの、かつての大手の南側には
立派な土塁が残っており、ほかにも堀などの遺構が残っているようです。
かつての断崖の下には大宝沼が開け、沼を挟んで関城と対峙していたと伝わります。
下妻修理権亮長政が貞永元年に居城したのが始まりとされ、南北朝の争いの頃
下妻政康は南朝側の北畠親房の味方をし、親房が関城に入ると、春日中将顕国が
興良親王を奉じて大宝城に入ったとあります。足利の攻め手、高師冬は大宝城と
関城の連携を絶ち、康永元年(1342)3月、両城は敵の総攻撃を受け、
翌年の11月11日 大宝城と関城は同日に落城し、幼い城主、下妻正泰も
城と運命を共にしたとのことです。
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分類・構造 | 平城 |
---|---|
築城主 | 下妻長政 |
築城年 | 貞永元年(1232) |
主な城主 | 下妻氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
指定文化財 | 国史跡(大宝城跡) |
再建造物 | 碑、説明板 |
住所 | 茨城県下妻市大宝/筑西市関舘他(大宝八幡宮) |
問い合わせ先 | 下妻市役所総務課情報管理室 |
問い合わせ先電話番号 | 0296-43-2111 |