りょうぜんじょう

霊山城

京都府京都市

別名 : 東山霊山城、東山御城
旧国名 : 山城

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堀切
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ぴーかる

東山霊山城 (2024/11/03 訪問)

【東山霊山城】
<駐車場他>東山山頂公園駐車場
<交通手段>車

<感想>東山霊山城は1552年に第13代将軍の足利義藤(のちの義輝)が築城したとされます。義藤はこの数年前より大御所の父である足利義晴と共に中尾城を築城し上洛できる活動を行ってきたが、父義晴が死に、中尾城の戦いにおいて三好長慶軍に敗れ近江朽木に幽居していました。後ろ盾となっていた六角定頼も死に、後継の六角義賢が三好長慶との和睦を働きかけ和議が成立し今出川御所に上洛します。同じく三好長慶に敗れた細川晴元が丹波で勢力を盛り返し京都まで迫ってくると、身の危険を感じた足利義藤は清水寺の裏山に東山霊山城を築城します。足利義藤の奉公衆たちは三好派と晴元派に真っ二つになり義藤は厳しい選択をせまられた末、三好長慶を「御敵」とします。1553年に三好長慶は大軍をもって東山霊山城を攻めて落城します。京都の船岡山に陣取っていた義藤は朽木に退去しここから5年間幽居することになります。(ちょど今この辺り勉強中なのでつい長文になりました<(_ _)>)

 攻め口ですが、南からの通路が立入禁止ということで北の将軍塚から。結局、添付写真にあるように北側も通路は立入禁止となっていました。お勧めしませんが直登できる所があります。将軍塚のある青蓮院門跡の山門の左脇に京都1周トレイルの東山22番から山に入ります。分岐を知恩院の方へ。十字路で左に曲がって南下します。丸太橋を渡り少し下ると左手の沢向こうに北側の立入禁止があります。そこを過ぎて更に少し下ると滝の手前に沢に降りれる国有林のピンクリボン誘導があります。沢に降りて渡っても斜面にピンクリボンがありますのでそれに沿って直登(以前は道があったようですが今はロストしています)します。登り切ったところが主郭南側の堀切に登り切ります。主郭南の堀切から南へは行きませんでしたので遺構はどうなっているか分かりません。主郭は登ってきた堀切と主郭は小さく、すぐ北に伊藤博文詩碑のある副郭、副郭の周辺は西奥の尾根は藪化、以外は急斜面で特に表面観察で確認できる遺構は残っていませんでした。登ってきた降りが大変で、落葉の堆積で表面層と一緒にずるっと背中からコケて2m程、お尻と背中が泥だらけになりました。頑張った割には見れる遺構が少ない。

<満足度>◆◇◇

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昌官忠

2022夏の青春18キップ9日目:東山霊山城 (2022/07/28 訪問)

朝早く起きて、ホテルの朝食前に東山霊山城を攻城しました。
宿泊先のアパホテル京都祇園EXCELLENTから徒歩15分ちょっとで、正法寺(元・霊山寺)階段前(34.998687、135.783041)に着きました。

室町幕府13代将軍足利義輝によって1552年(天文21年)に築城が開始され、翌1553年(天文22年)には陥落し、廃城となったと考えられるそうです。

正法寺の門(倒木の為、立入禁止になっていました)が閉まっていて中に入れません。
京都霊山護国神社は朝9時からなので、こちらのルートからも入れません。
別ルートとして将軍塚ルートがありますが、時間の都合で今回は行けませんでした。残念です。
攻城予定時間として60分を見込んでいましたが、時間が余ったので付近を観光しました。そちらの写真も併せて投稿します。
観光箇所は法観寺(八坂の塔)、高台寺(ねね)、八坂神社などです。
攻城時間は15分(観光した時間は含みません)くらいでした。次の攻城先=山科本願寺を目指す前に、一旦ホテルに帰り朝食を取ります。

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中川藤兵衛尉

東山霊山城 (2018/11/14 訪問)

京都・東山トレイルを東山山頂口から清水寺の方へ進むと、その脇にあるお城。写真では分かりにくいのですが、堀切や南曲輪群が視認できて非常に楽しいです。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 足利義輝
築城年 天文21年(1552)
主な改修者 不明
主な城主 足利氏
廃城年 天文22年(1553)
遺構 曲輪、堀切
住所 京都府京都市東山区清閑寺霊山町
問い合わせ先 京都府教育庁指導部文化財保護課
問い合わせ先電話番号 075-414-5903