松倉城からの転戦です。城碑説明板前(36.195048、137.212278)から林道へ、ゲートを開けて進んで、林道終点に駐車しました。
築城年代は定かではないようですが、天文年間(1532年〜1555年)に広瀬左近将監利治によって築かれたとも云われますが、それ以前の寛正3年(1462年)頃とも考えられていまする。
広瀬氏累代の居城であったが、1583年(天正11年)広瀬山城守宗城のとき、三木自綱によって攻められ落城、宗城は討死しました。
広瀬宗城の子で広瀬兵庫頭宗直は、飛騨を脱して越前国大野城主の金森長近の元に身を寄せました。
その後、三木自綱は家督を二男秀綱に譲り、隠居して高堂城と広瀬城を居城としました。 この三木自綱の時代に城は大きく改修されたそうです。
1585年(天正13年)羽柴秀吉の命により金森長近が飛騨へ侵攻するとその先導役として活躍し、高堂城・広瀬城に籠もった三木自綱を降伏させ、その後、高堂城も廃城となったようです。
麓の公民館左の城碑・説明板前から主郭まで約2Kmくらいだと思います。
距離はありますが「馬止場」から主郭までの最後200mを除いて比較的歩き易いです。
主郭は山頂にあり、主郭部付近には土塁や堀切などはありませんが、高い切岸はあります。
麓の外気温9℃でしたが、山頂の主郭は風があり、体感で5~6℃。とにかく寒かった。
攻城時間は80分くらいでした。次の攻城先=広瀬氏居館(城びと未登録 岐阜県高山市)に向かいます。
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