にらやまじょう

韮山城

静岡県伊豆の国市

別名 : 龍城
旧国名 : 伊豆

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①権現曲輪の堀切
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昌官忠

(東海&関西)遠征25日目(最終日):韮山城 (2025/06/08 訪問)

江川邸(城びと未登録 静岡県伊豆の国市)から徒歩5分ちょっとで、登城口付近(35.05484、138.95709)に着きました。

1491年(延徳3年)小田原北条氏の祖、伊勢宗瑞(北条早雲)によって築かれました。
駿河国興国寺城主伊勢宗瑞は、堀越御所の内乱に付け込み堀越公方足利茶々丸を滅ぼして伊豆の領主になると韮山城を築いて居城を移しました。
1495年(明応4年)宗瑞は相模国小田原城を奪い、北条氏の居城が小田原城に移ったのちも韮山城は伊豆支配の拠点として重要視されました。1519年(永正16年)北条早雲は韮山で没しました。
1590年(天正18年)の豊臣秀吉による「小田原征伐」では激しい攻防戦の舞台となりました。
山中城をはじめ、関東の諸城が攻略されるなか韮山城は落城せず、朝比奈泰勝を使者として開城を促し、氏規は開城し退去しました。 この氏規の家系が江戸時代に河内国狭山に大名として続きました。
その後は、関東に入った徳川家康の家臣、内藤信成の居城となりましたが、1601年(慶長6年)に駿府に転封となったため廃城となりました。

城址には現在も曲輪や土塁の跡などが残されており、散策路が整備されていますす。
南北に細長い丘陵は北から南に三の丸、権現曲輪、二の丸、本丸と続いています。
三の丸は、現在テニスコートになっています。
権現曲輪には神社が祀られ、南に土塁と堀切があります。そこからさらに高く成った所に二の丸があります。
二の丸は低い土塁が巡り、南の本丸との間に堀切があります。
攻城時間は40分くらいでした。次の攻城先=蛭ヶ小島(城びと未登録 静岡県伊豆の国市)へ徒歩で向かいました。

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takataka

韮山城跡に行きました (2024/09/16 訪問)

韮山高校のテニスコートは三

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とばつびしゃもん

幕末の偉人江川英龍の住宅近くの城 (2023/10/08 訪問)

城池横の数台の駐車スペースに車を駐車し、三の丸と権現曲輪の間の登城口から登城開始。
権現曲輪には神社がある。二の丸を経由して本丸へは10分で到着。
下城後、城池越しに城址全景を眺望し、国重文の江川邸へ。そこで韮山城のパンフを入手。
江川英龍は続日本100名城の品川台場の建造に関わった人物で、邸内主屋には台場の絵図が展示されていました。江川邸ガイドの方の丁寧な解説を聞き、幕末の偉人を知ることができました。
世界遺産韮山の反射炉を見学し、吉名温泉に宿営。

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しんちゃん

韮山城付属砦・天ヶ岳砦 (2019/05/12 訪問)

天ヶ岳砦は韮山城から尾根続きで行ける山の頂上部に築かれています。登城時は国土地理院の地形図をスマホにインストールしていなかったので、カンを頼りにひたすら尾根道を登りました。虎ロープでなければ登れない箇所もあり、急な痩せ尾根や崖などヒヤヒヤする箇所もありました。堀切や郭を確認しそれなりに収穫はあったとして引き返しましたが、この山は分岐した細尾根上に幾つもの堀切や小規模な郭が配されているようです。
ただこれらの遺構を全部見ようと思うとかなりの体力と時間が必要になりそうです。

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城郭情報

分類・構造 連郭式平山城
築城主 北条早雲
築城年 延徳3年(1491)頃
主な城主 北条氏、向井氏、内藤氏
廃城年 慶長5年(1600)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸跡
再建造物 石碑、説明板
住所 静岡県伊豆の国市韮山
問い合わせ先 韮山郷土史料館
問い合わせ先電話番号 055-949-4127