江川邸(城びと未登録 静岡県伊豆の国市)から徒歩5分ちょっとで、登城口付近(35.05484、138.95709)に着きました。
1491年(延徳3年)小田原北条氏の祖、伊勢宗瑞(北条早雲)によって築かれました。
駿河国興国寺城主伊勢宗瑞は、堀越御所の内乱に付け込み堀越公方足利茶々丸を滅ぼして伊豆の領主になると韮山城を築いて居城を移しました。
1495年(明応4年)宗瑞は相模国小田原城を奪い、北条氏の居城が小田原城に移ったのちも韮山城は伊豆支配の拠点として重要視されました。1519年(永正16年)北条早雲は韮山で没しました。
1590年(天正18年)の豊臣秀吉による「小田原征伐」では激しい攻防戦の舞台となりました。
山中城をはじめ、関東の諸城が攻略されるなか韮山城は落城せず、朝比奈泰勝を使者として開城を促し、氏規は開城し退去しました。 この氏規の家系が江戸時代に河内国狭山に大名として続きました。
その後は、関東に入った徳川家康の家臣、内藤信成の居城となりましたが、1601年(慶長6年)に駿府に転封となったため廃城となりました。
城址には現在も曲輪や土塁の跡などが残されており、散策路が整備されていますす。
南北に細長い丘陵は北から南に三の丸、権現曲輪、二の丸、本丸と続いています。
三の丸は、現在テニスコートになっています。
権現曲輪には神社が祀られ、南に土塁と堀切があります。そこからさらに高く成った所に二の丸があります。
二の丸は低い土塁が巡り、南の本丸との間に堀切があります。
攻城時間は40分くらいでした。次の攻城先=蛭ヶ小島(城びと未登録 静岡県伊豆の国市)へ徒歩で向かいました。
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