【三瀬館】
<駐車場他>「北畠家の遺跡をたどるみち駐車場」3台分程に駐車しました。館跡にも2台分程のスペースがあります。
<交通手段>車
<見所>曲輪・石垣・山腹の詰めの曲輪
<感想>日帰り伊勢志摩の平山城巡り旅2城目。現地説明板によると三瀬館は伊勢国司8代北畠具教の隠居地で1569年に大河内城の戦いに敗れ和睦の条件として織田信雄を養継子とした後、この地に居館を造り隠居します。北畠具教は1576年に三瀬の変において織田信長の刺客により誅殺されてしまいます。
まず館跡の南にある北畠具教公の胴塚にお参りし館跡を散策しました。館跡は説明板には3段とありますが最上段の砂防壁の曲輪(石積み跡が僅かに残っているので)まで入れると5段程のひな壇状の曲輪になっています。正面虎口の大石の石垣が見事です。中段程に庭園跡らしき池や石組暗渠が残っています。また石段も良く残っていて当時の館の雰囲気が残ります。
次に見張り台跡に登りました。東屋のある曲輪と秋葉神社がある曲輪の2つの曲輪が南北にあり、間を堀切で仕切っています。神社のある曲輪からは三瀬地区が一望できます。
以前から三瀬の変は歴史小説か何かの本で読んで、信長の苛烈さに衝撃を受けて知っていました。プランを立てている時から散策終わりまでずっと頭の中に「三瀬の変」がくっついていました。
<満足度>◆◆◇
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