【小里城】
<駐車場他>小里城跡駐車場あり。
<交通手段>車
<見所>石垣・本城枡形
<感想>日帰り小里城攻め旅3城目、本日のメイン。現地説明板によると小里城は1532年に小里光忠によって築城されたとされます。1572年(1570年の間違い?)の上村合戦で嫡男の小里光次が討死します。1574年に織田信長は岩村城攻めの拠点として池田恒興を小里城に配して改修を命じます。その後1576年に織田信忠が入城し石垣・土手・3重櫓を新築して小里氏に与えたとされます。関ヶ原後は小里氏は幕府の旗本として小里城を取り壊して麓に陣屋を築きます。1623年に小里氏は嗣子がいないため断絶し陣屋も取り壊されたようです。
登城口から陣屋跡の石垣が観察できます。陣屋跡は山の中腹下部に築かれていて山の稜線に沿って横に広く曲輪を段にしています。曲輪段の石垣と大手の石垣が見事に残されていて見応えがあります。
城跡は山城であり中腹の巨石で挟まれた通路を通ったり、巨石の転がる大手虎口を通ったりして山頂に向かいます。山頂付近からは2郭に入ります。石垣がお出迎えします。登城道の石垣と2郭の曲輪壁の石垣が見事です。2郭から上段に行くと主郭に入り天守台(現地では本城枡形と書いてありました)がいきなり見えて圧倒されます。天守台のある主郭は比較的小さく、主郭の南から西側にかけて広い副郭を備えています。副郭からさらに南にかけて傾斜になって最後は横広の腰曲輪で終わっています。副郭から傾斜にかけて廃城のためか巨石がゴロゴロと散らばっています。中には巨石間に苗木城で見たちょこっと間詰めした石垣が残り崩していない箇所が分かります。
天主台ですが現地説明板に後世地元の村民の有志で修復を施しているようで、どこまで手が加えられているかちょっと分かりませんでした。天主台の中に礎石が表面観察で見受けられれば重層の建物があったのでしょうが、半地下構造の石積みもどうでしょうか?石積み南面の巨石を抱き込んだ造りは見応えあります。やっぱりいい石垣遺構をみるとその上に建っていた建造物の想像は尽きないです。
<満足度>◆◆◆
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