別名:小原市場城、大草城、小原谷大草城
石垣とかなかなか立派。
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2026/05/03 16:08
2025/07/23 10:03
市場城 (2025/07/19 訪問)
愛知県豊田市市場町の市場城(大草城)に行ってきました。
今でこそ町村合併によって豊田市になっていますが、四季桜の小原村と行った方が愛知県民にはわかりやすい山里の地です。
広い駐車場ときれいなトイレが整備されていました。
マムシとツキノワグマがでることもあるようです。
昨今、クマは人里でも出現しますので油断できません。
熊鈴を忘れた私は、急いで「熊鈴アプリ」をダウンロードして使いました。
周遊路が整備されているので、それに沿ってまわることができます。
市場城主の供養塔,空堀,二の丸,本丸 ,帯曲輪,畝状竪堀,枡形門,さんざ畑(家老の屋敷跡)
と見て回りました。
近くにある西運寺山門は1693(元禄7)年に移築されたと伝わっているようです。
今は鐘楼門になっていました。
所要時間:55分
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2025/03/26 21:24
エセ開花情報?? (2025/03/23 訪問)
暖かいを通り越して、暑さすら感じる今日このごろ。黄砂に混じって、焦げ臭い匂いまでしてくる始末・・〇国、いいかげんにしろ~!
とかいいつつ、日本も私が子供の時分は公害大国でした。今の若い人には信じられないかな?
市場城の周辺は桜が3分咲きくらいです。とは言っても四季桜だけど。ソメイだけが桜じゃないぞ~。市場城は特別規模の大きい城ではありませんが、郭の数は案外多く、石垣や竪堀、堀切、土塁などの遺構が充実しています。本丸の南側と櫓のある曲輪は石垣で固めてあり、本丸の周囲は急な切岸で守られています。北西の竪堀群は見ごたえがあり、大手には枡形門もついています。
市場城は徳川家康が関東移封になった際に、鱸氏が関東への移動を拒んだために廃城になったとされ、現在残されている遺構がどのタイミングで築かれたか興味のある所です。小牧・長久手の合戦の後から小田原攻めの間に遺構の充実が図られたと思います。
個人的な考えですが、秀吉の徳川攻めの緊張が高まった時期に、本丸内に郭が増設され、和解後、もとに戻されたのかも??
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2025/03/24 20:46
ぐむむむ・・ (2025/03/23 訪問)
暖かくなってきました。東京では桜が六輪咲いたとかで騒いでいますが、市場城周辺の桜はすでに3分咲きくらいです。とはいえ、この周辺の桜は四季桜なので、気温の変化に敏感なのかもしれません。
市場城は徳川家康に従った鱸(鈴木)氏の城で、江戸時代には使用されていなかったにも関わらず、石垣や竪堀群など見ごたえのある遺構の多い城です。また、ここは四季桜と紅葉が同時に見れる隠れスポットでもあります。
市場城の縄張りを幾つか見て思うことは、ここは一時期、本丸を仕切る土塁が有ったのではないかということです。有名なものに古宮城があり、岩略寺城にも似たようなものが有りました。加藤先生の講義でもありましたが、小牧・長久手の戦いの後、徳川家康と豊臣秀吉の間に緊張が走った時期があり、東海道上や徳川領内の城は徳川勢によって改修を受けている可能性が高いということです。
本丸内に郭を増やすということは、継戦時間を延ばすのみならず、早期の降伏を認めないということになるので、時間稼ぎが目的だと思います。東海道を迂回してくる敵を防ぐため、古宮城や松平城山城などは改修を受けている可能性があるので、市場城も同様に改修を受けている可能性も有るのではないかと思います。
であれば、櫓台や本丸の石垣、竪堀群(本丸内の土塁)はこの時期に加えられたのかもしれません。石垣も登城側に設けられ、攻め手を威嚇するように築かれています。実際、徳川旗下で豊臣の大軍が来るのに何の手も打たなかったということは無いと思うので、どれか一つは当たりがあるんじゃないだろうか??
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| 分類・構造 | 山城 |
|---|---|
| 築城主 | 鱸(鈴木)親信 |
| 築城年 | 文亀2年(1502) |
| 主な城主 | 鱸氏 |
| 遺構 | 曲輪、石垣、土塁、畝状竪堀群 |
| 指定文化財 | 市史跡(市場城址) |
| 住所 | 愛知県豊田市市場町字城 |