いちばじょう

市場城

愛知県豊田市

別名 : 大草城、小原谷大草城
旧国名 : 三河

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本丸の石垣
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しんちゃん

エセ開花情報?? (2025/03/23 訪問)

暖かいを通り越して、暑さすら感じる今日このごろ。黄砂に混じって、焦げ臭い匂いまでしてくる始末・・〇国、いいかげんにしろ~!
とかいいつつ、日本も私が子供の時分は公害大国でした。今の若い人には信じられないかな?
市場城の周辺は桜が3分咲きくらいです。とは言っても四季桜だけど。ソメイだけが桜じゃないぞ~。市場城は特別規模の大きい城ではありませんが、郭の数は案外多く、石垣や竪堀、堀切、土塁などの遺構が充実しています。本丸の南側と櫓のある曲輪は石垣で固めてあり、本丸の周囲は急な切岸で守られています。北西の竪堀群は見ごたえがあり、大手には枡形門もついています。
市場城は徳川家康が関東移封になった際に、鱸氏が関東への移動を拒んだために廃城になったとされ、現在残されている遺構がどのタイミングで築かれたか興味のある所です。小牧・長久手の合戦の後から小田原攻めの間に遺構の充実が図られたと思います。
個人的な考えですが、秀吉の徳川攻めの緊張が高まった時期に、本丸内に郭が増設され、和解後、もとに戻されたのかも??

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しんちゃん

ぐむむむ・・ (2025/03/23 訪問)

暖かくなってきました。東京では桜が六輪咲いたとかで騒いでいますが、市場城周辺の桜はすでに3分咲きくらいです。とはいえ、この周辺の桜は四季桜なので、気温の変化に敏感なのかもしれません。
市場城は徳川家康に従った鱸(鈴木)氏の城で、江戸時代には使用されていなかったにも関わらず、石垣や竪堀群など見ごたえのある遺構の多い城です。また、ここは四季桜と紅葉が同時に見れる隠れスポットでもあります。
市場城の縄張りを幾つか見て思うことは、ここは一時期、本丸を仕切る土塁が有ったのではないかということです。有名なものに古宮城があり、岩略寺城にも似たようなものが有りました。加藤先生の講義でもありましたが、小牧・長久手の戦いの後、徳川家康と豊臣秀吉の間に緊張が走った時期があり、東海道上や徳川領内の城は徳川勢によって改修を受けている可能性が高いということです。
本丸内に郭を増やすということは、継戦時間を延ばすのみならず、早期の降伏を認めないということになるので、時間稼ぎが目的だと思います。東海道を迂回してくる敵を防ぐため、古宮城や松平城山城などは改修を受けている可能性があるので、市場城も同様に改修を受けている可能性も有るのではないかと思います。
であれば、櫓台や本丸の石垣、竪堀群(本丸内の土塁)はこの時期に加えられたのかもしれません。石垣も登城側に設けられ、攻め手を威嚇するように築かれています。実際、徳川旗下で豊臣の大軍が来るのに何の手も打たなかったということは無いと思うので、どれか一つは当たりがあるんじゃないだろうか??

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POYO58

撮影の難しさに同情 (2024/12/14 訪問)

続きです。市場城は本丸、二の丸の石垣、空堀もチェックポイントですが、枡形門、竪堀群も見逃しては行けない遺構の一つです。
本丸から坂道を下ると畝状竪堀群が見えます。見た時はすげーと思いましたが、撮影が難しい😓 皆さんにわかるようにとるにはどうすればいいかわかりませんでした。朝田さんの気持ちがわかります。まあ結局頑張って数枚撮りました。
その後は枡形門が見えます。枡形門は自然の地形と人口の石垣を活かしたものとなっています。
その後は御屋敷跡に辿り着きますが、そこは跡よりもとにかく紅葉が綺麗でそっちに目がいってました。屋敷跡にもわずかに石垣が残っていました。当時のものかはわかりません。

市場城は桜と紅葉が一緒に見えるため、自然を楽しむのもいいと思います。だいたい11月から12月がベストシーズンだと思います♪

評価★★★★☆

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POYO58

マイナーで小さいが… (2024/12/14 訪問)

一ヶ月半ぶりのお城探訪となりました。一ヶ月半前は修学旅行で五稜郭に行きましたが、あいにくの雨と自由時間が短かったため、あまり探訪できませんでした。
山城は三ヶ月ぶりです。
市場城に行ってきました!
豊田市ということで比較的家に近かったので行ってみました。
車で途中まで行けます。駐車場は登山路の向かい側にあります。トイレもありました。
最初は長い上り坂ですが、一周するのに大体15分程度しかかからず、かなり山城にしては探訪しやすいと思います。全然疲れませんし。
市場城は1502年に鈴木親信が築き、以後は鈴木氏が支配し、1592年、家康によって廃城になるまで90年役割を果たしました。
今見られる遺構は4代の鈴木重愛が家康に命じられて改修されたものです。鉄砲の伝来の影響もあって、石垣造の城となっており、中世の城郭から、近世の城郭へと変化しました。

今回紹介するのは主に二の丸と本丸です。後ほど枡形門、畝状竪堀群の紹介をします。
二の丸には空堀、土塁、櫓台石垣が見られます。櫓台石垣は約5メートルほどの高さで野面積みとなっています。
本丸にも南部に石垣が残っていました。近年本丸は地元小学生による発掘調査が行われたそうです。

それでは次は竪堀群へと向かいます。 続く

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 鱸(鈴木)親信
築城年 文亀2年(1502)
主な城主 鱸氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、畝状竪堀群
指定文化財 市史跡(市場城址)
住所 愛知県豊田市市場町字城