石田会館で教えてもらった経路で進みました。日吉神社に向かう石段手前を右に曲がり細い道を登りました。距離を示す道標に励まされながら40分で頂上に着きました。道中お手洗いはありませんでした。
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2026/01/25 13:27
2023/06/16 22:34
北城から伊吹山、南城から琵琶湖。絶景が映える東近江の出世城。 (2023/04/09 訪問)
登城道はいくつかあるようです。私は南の観音寺からのルートで攻めました。
南の尾根伝いに北上、尾根の南端部分からすでに郭の雰囲気があります。
城は尾根状に沿った形状をしていて、南城から北上して行って北城に主郭があり、
そこから西側に郭が伸びていっています、L字をさかさまにしたような形をしているんですね。
この形状だと郭同志の連携は難しいですが、尾根上を防御するのには適しています。
南城の中心部と北西の郭は一部 周囲に土塁が残り、堀切で敵の侵入を遮断しています。
今でも遺構が良く残っており、秀吉が最初に城番を務めたことから
出世城と言ってもよい城です。墨俣城には資料としての裏付けがとぼしく
秀吉が横山城で初めて城番を務めたとする仮定の話です。
主郭からは伊吹山が良く見えます。
南城からは琵琶湖をながめることができます。
案外、秀吉も城番を務めながら絶景を肴にたまに一杯やってたりしたのでしょうか。
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2022/12/18 18:45
横山城 (2022/11/12 訪問)
【横山城】
<駐車場他>駐車場はなし。桜神社の脇<35.387453, 136.326473>にスペースあり。
<交通手段>車
<見所>堀切・土塁
<感想>横山城は1561年に浅井長政が六角氏からの防衛拠点として築きました。浅井長政は織田信長と手切れになった時には小谷城を守る前衛の重要な城となりますが、姉川の戦いの後に信長に攻略されて信長は城番に木下秀吉を置きます。浅井氏滅亡後は秀吉の領地となりますが秀吉は長浜城を築いたので廃城となったようです。
登城口の日吉神社の手水舎の横に2台程駐車場所がありますが知らずに上記場所に駐車し石田三成屋敷跡碑と産湯井戸を巡り登城した。城跡までの距離は1.2㎞程で、ハイキング道になっていますので登り易いです。一応縄張り図的に北城と南城に分かれてはいますが曲輪続きになっているので説明時の識別程度でよいでしょう。
日吉神社からのルートは北城の西側から入ります。まず土塁があり次に大きな堀切があり見応えあります。北城主郭山頂は狭いが琵琶湖側と伊吹山が間近に見えて眺望が抜群です。北城の主郭から北の下段の曲輪はかなり大きいようなのですが笹薮が酷くて勿体ないです。北城から南へ鉄塔のある曲輪、谷を降りて鞍部の曲輪群、南城主郭は土塁・井戸・梵鐘堂があり姉川合戦の死者慰霊で誰でも撞くことができますので1つ撞かせてもらいました。南城主郭南側は高い切岸・堀切で遮断していて防御されています。
<満足度>◆◆◇
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2022/04/16 22:54
日吉神社方面から (2022/04/16 訪問)
浅井氏に対する織田方の拠点となった城で木下秀吉が城番をしていたことで知られています。
堀切や土塁、竪堀などを見ることができます。BUGTIさんも指摘されているように二重の堀切が見どころだと思います。縄張り図を見ると竪堀などがもっとありそうでしたが、藪になっているところもありよくわかりませんでした。
登城ルートはいくつかありますが、日吉神社の横から上がっていく道を選択しました。道は整備され傾斜も比較的緩やかで歩きやすかったです。
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| 分類・構造 | 山城 |
|---|---|
| 築城主 | 浅井長政 |
| 築城年 | 永禄4年(1561) |
| 主な城主 | 浅井井演、三田村国定・野村直隆・大野木秀俊(浅井氏家臣)、木下秀吉(織田氏家臣) |
| 廃城年 | 天正元年(1573) |
| 遺構 | 曲輪、土塁、竪堀 |
| 再建造物 | 石碑、説明板 |
| 住所 | 滋賀県長浜市堀部町 |
| 問い合わせ先 | 長浜市教育センター |
| 問い合わせ先電話番号 | 0749-74-4359 |