真木城を終えて県道30号線を南下し約3km程で県道沿いに鳩ヶ城の登城口が有る、此処は真木城と同じく9月中旬宮城県福島県未踏の城廻り3日目、土砂降りの雨と雷で探訪中止した城郭で2ヶ月振りの挑戦初登城。
駐車場:県道30号線西側の広い路肩三角コーナー(36°53'46"N 139°54'23"E)、GoogleMapの史跡マーク「鳩ヶ森城跡案内板」の前
参考資料:余湖図コレクションさん、那須塩原市HP、グーグルマップ、城びとの投稿者「いんげん丸虫さん、赤い城さん」
登城口に鳩ヶ森城跡の案内図が簡易縄張り図で掲示されてる、大変ありがたい、案内解説板は無い、登城路は草が刈られ登りやすいが、本丸側への登城路は草刈の後に伸びた草が茂って進入躊躇し二の丸跡へ進行、虎口辺りは草が刈られてるが二の丸跡の標柱辺り人が踏み込んだ痕は有るが草が茂り進入断念、二の丸の南側の土塁の一部は草が刈られて居り土塁歩き、南の下に三の丸が見える、三の丸導入路は草が刈って有り進入し、内部と二の丸南側の切岸を観察、本丸へは二の丸から奥に虎口が在りそうでしたが草に覆われてる二の丸を踏破は出来きず、二の丸と三の丸のみの探訪でした。
鳩ヶ城は、鳩ヶ森城、宇都野城とも称されて、箒川の西に北に連なる河岸段丘に東西に堀切を設けて連郭式に築い城郭。
歴史:那須塩原市のHPによると、寛治3年(1089年)に山本上総介家隆によって築かれた、山本氏は白鳳時代に創建された嶽山箒根神社の別当職を代々務めた家系で、後三年の役の際、当時別当職にあった隆珍は、源義家に従い軍功をたて、山本上総介家隆と名を改め、箒川沿岸8か村、伊佐野郷15か村を支配した。鎌倉、室町時代にかけて塩谷郡は宇都宮城主に従う豪族山本氏、氏家氏、塩谷氏が支配した。天文2年(1533年)城主山本伊勢守資宗の時代、大田原備前守資清に攻略され鳩ヶ森城は落城し、28代440年余続いた山本城主の歴史は終焉した。
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