はとがじょう

鳩ヶ城

栃木県那須塩原市

別名 : 鳩ヶ森城、鳩が森城
旧国名 : 下野

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鳩ヶ森城跡入口標柱登城口
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カズサン

段丘に連郭式の造りしかし草に覆われてる (2023/11/13 訪問)

 真木城を終えて県道30号線を南下し約3km程で県道沿いに鳩ヶ城の登城口が有る、此処は真木城と同じく9月中旬宮城県福島県未踏の城廻り3日目、土砂降りの雨と雷で探訪中止した城郭で2ヶ月振りの挑戦初登城。

 駐車場:県道30号線西側の広い路肩三角コーナー(36°53'46"N 139°54'23"E)、GoogleMapの史跡マーク「鳩ヶ森城跡案内板」の前
 参考資料:余湖図コレクションさん、那須塩原市HP、グーグルマップ、城びとの投稿者「いんげん丸虫さん、赤い城さん」

 登城口に鳩ヶ森城跡の案内図が簡易縄張り図で掲示されてる、大変ありがたい、案内解説板は無い、登城路は草が刈られ登りやすいが、本丸側への登城路は草刈の後に伸びた草が茂って進入躊躇し二の丸跡へ進行、虎口辺りは草が刈られてるが二の丸跡の標柱辺り人が踏み込んだ痕は有るが草が茂り進入断念、二の丸の南側の土塁の一部は草が刈られて居り土塁歩き、南の下に三の丸が見える、三の丸導入路は草が刈って有り進入し、内部と二の丸南側の切岸を観察、本丸へは二の丸から奥に虎口が在りそうでしたが草に覆われてる二の丸を踏破は出来きず、二の丸と三の丸のみの探訪でした。

 鳩ヶ城は、鳩ヶ森城、宇都野城とも称されて、箒川の西に北に連なる河岸段丘に東西に堀切を設けて連郭式に築い城郭。
 
 歴史:那須塩原市のHPによると、寛治3年(1089年)に山本上総介家隆によって築かれた、山本氏は白鳳時代に創建された嶽山箒根神社の別当職を代々務めた家系で、後三年の役の際、当時別当職にあった隆珍は、源義家に従い軍功をたて、山本上総介家隆と名を改め、箒川沿岸8か村、伊佐野郷15か村を支配した。鎌倉、室町時代にかけて塩谷郡は宇都宮城主に従う豪族山本氏、氏家氏、塩谷氏が支配した。天文2年(1533年)城主山本伊勢守資宗の時代、大田原備前守資清に攻略され鳩ヶ森城は落城し、28代440年余続いた山本城主の歴史は終焉した。
  

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いんげん丸虫

いろんな名前 (2022/12/10 訪問)

9年前に宇都野城の名称で認識していて、今回再訪
して同じ城だと気付きました。
城びとさんでは鳩ヶ城、現地看板は鳩ヶ森城となっ
てますね。
戦国当時はよほどの有力者でないかぎり、城の名称
を公に広布などしなかったのかな。急ごしらえの砦
や村人達が隠れる城など、後世の人が地名や神社、
築城者、伝承などからつけたのが多いようですね。
入口の看板と本丸の看板で全く違っていたり、読み
が同じでも漢字が違ったり...

市指定史跡。段丘上に築かれた平山城です。
大きな空堀で区画されていて曲輪には土塁が巡って
います。登城口に案内看板があり駐車可能なように
道路も広くなってます。

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赤い城

別名は宇都野城 (2022/11/13 訪問)

県道30号線を那須塩原方面に向かう途中にあります。
城址の前の道路に駐車スペースがあります。
登城口から登るとすぐに城址。
3つの郭が並び、それぞれ堀切で区切られていました。
主郭と二郭には土塁も残っています。
鎌倉時代の城で、程よく整備された城でした。

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dougen

2014.11.22登城 (2014/11/22 訪問)

玉生城から国道461号で矢板市街まで戻り、県道30号を北上し、那須塩原市に入った宇津野地区の県道沿いに鳩ヶ森城址の看板があったので、急遽、立ち寄りました。
なお、登城口付近の路肩が広くなっているため、路肩に車を停めることができます。
案内板は、主郭から三郭が表示されていましたが、実際は、本郭の北側にも郭が確認でき、相当規模の大きい城址だった様です。
11月下旬でも下草が多く郭などの遺構を確認することが困難でしたが、巨大な堀切や空堀の遺構は確認できます。市の史跡に指定されていますので、さらに整備されると良い城址だと思います。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 山本家隆
築城年 寛治3年(1089)
主な城主 山本氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 市史跡
再建造物 説明板
住所 栃木県那須塩原市宇都野786−3
問い合わせ先 那須塩原市教育部生涯学習課文化振興係
問い合わせ先電話番号 0287-37-5419