むろはらじょう

室原城

岐阜県可児市

別名 : 長洞城
旧国名 : 美濃

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北尾根を縦断する遺構
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しんちゃん

各郭の間を堀切で遮断し、北と西の尾根上に長大な堀と土塁を備えている。 (2023/10/22 訪問)

室原城は永禄8年(1565)に可児六郎左衛門秀行によって築城されたと現地にある
石板に記載があります。登城ルートは少しわかりづらいですが、西側の尾根から登る
ルートが手堅いでしょう。北側の尾根からも登れますが、山岳用のGPSや国土地理院
のアプリなどがないと解りづらいと思います。登城道のしっかりしてない城で案内も
無いので、何らかの備えは必要だと思います。西側の尾根から登る場合は登城口の
近くの沼のわき道をすぐに左折せず、そのまま直進し尾根側にとりつくように回り
込んでいきます。西尾根ルートは尾根がそのまま登城道のようになっているので
比較的わかりやすいです。両側が土塁の高まりになっていて、その間の堀のような道
を登っていくと郭のようなエリアに入り、土橋のかかった堀切を渡ると、食い違い
虎口を経て南の郭にたどり着きます。この北側に堀切と土橋があり、その先に北の郭が
あります。北の郭の東にも一段下がって郭があり、北、東の郭の周辺が主要部なので
はないかと思います。ここで南の郭に戻ってさらに尾根を南に進むと、また土橋の
かかった堀切があってその先は尾根上に土塁が続きます。あとは北上して北の郭の
先の遺構を確認しに行くと、堀切があってその先は尾根上に土塁と堀が尾根を伝って
下方に続いています。私はこのまま下山しましたが北側の尾根は西に比べて急で
ルートは自分でアプリを見ながら確認する必要があります。主要部の遺構は少し
わかりづらいですが、各郭の間を土橋を備えた堀切で遮断し、北と西の尾根の高低差を
利用して堀と土塁でしっかりガードしているようでした。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)6日目:室原城 (2023/04/23 訪問)

塩河城からの転戦で、登城口(35.387279、137.021956)付近の空スペースに駐車しました。

室原城の城年代は定かではないが可児氏累代の居城であったようで、1565年(永禄8年)頃に可児六郎左衛門秀行によって築かれたと云われているようです。
可児秀行は金山城主森家に仕えて各地を転戦しましたが、1584年(天正12年)森長可に従って小牧長久手の合戦に出陣した際、楽田八幡林の一戦で長可共々討ち死にしたそうです。

登城口から登って行ったら鉄塔に着いてしまいました。
どこかで道を間違えてしまったようです。
方向音痴の自分は案内表示がないと辿りつけません。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=土田城に向かいます。

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可児秀行 (2022/12/17 訪問)

 小牧長久手の戦いで戦死した森長可の家臣可児六郎左衛門秀行の城と伝わっています。入口以外に案内はなく縄張り図も入手できなかったので少し難渋しました。入口にある石碑から進み鉄塔のある場所まで行きましたが、そこから道がわかりません。グーグルの位置情報を確認し、尾根伝いに倒木を避け、藪漕ぎ(たいしたことはありませんが)をしながら主郭を目指しました。城域と思われるところまで来ると藪はほとんどなく歩きやすくなります。山頂部にいくつかの曲輪を配置した連郭式の山城であることがわかります。浅くなっていますが、堀切や土橋、竪堀と思われるところもありました。ネットで見た竪堀の土止めの石積みも見つけることができました。よく見ると木につけてあるリボンがあり、それを頼りに散策し降りて行きました。途中でリボンを見失ってしまいしましたが、何とか下山することができました。思ったより城域は広かったですね。

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じゅんじん

山城 (2012/01/28 訪問)

雑木林でした。でもこうゆうのも好きです。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 可児秀行
築城年 永禄8年(1565)?
主な城主 可児秀行
遺構 曲輪、堀切
再建造物 石碑
住所 岐阜県可児市室原
問い合わせ先 可児市文化財課
問い合わせ先電話番号 0574-62-1111