武田信玄が天正12年(1543年)侵攻し山本勘助が縄張し築城、小田原征伐後戦功により豊臣政権の仙谷秀久が城主と成り、織豊系城郭に大改修、素朴な織豊系前期の野面積石垣が見所の一つでもある、三重の天守閣が建っていたとの事。
浅間山火砕流堆積台地の侵食渓谷を上手く利用し二重三重に掘られた大堀割も見所の一つであり、西の守り千曲川も景観と共に藤村も吟じた景勝地でも有ります。
今回は近年に、明治初めに民間に払い下げられていた大手瓦門が元の位置に修復再建されたとの前情報も有り、近くの龍岡城五稜郭を初登城した後12年前の平成22年9月下旬久しぶりの登城をしました。
車は小諸城北側の専用大駐車場を利用、そこから歩いて三の門までは直ぐ近くです。
目的の三の丸大手瓦門は後にして、三の門懐古園の額が架かってる、二の丸二の門跡、二の丸虎口、南の丸虎口、北の丸跡、黒門橋、同堀切、黒門跡、本丸をぐるっと回り、内部に、天守台に登る、本丸は天守台が北西隅に在り野面積の扇の勾配素朴で風情が有ります、周囲は石塁で囲んでる、本丸は台形で北谷、南谷、西谷、千曲川で守られ、東は黒門の堀切で守られている、侵食渓谷の様な大堀割は素晴らしく他に類を見ない圧巻絶景です。
今回目的の大手瓦門を二ノ丸、三の丸間の大堀切底を通ってるしなの鉄道地下道を通り抜けて公園に成ってる三の丸大手瓦門を観察見学撮影、二階櫓門で立派な門で、四の門とも言われてる。左右石垣に挟まれ民間に払い下げられた大手門は一部改築されて居ましたが、部材を用いて往年の大手門が復興再建されました、往時の佇まいを見られるようになり大変ありがたい事です。
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