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チェブ

浮き城と御神木。諏訪神社の巻き。 (2022/04/10 訪問)

「忍城」の行田市郷土博物館側の道の向こうに『諏訪神社』の立派な鳥居があります。
前々から気になっていたので、お邪魔しました。

鳥居をくぐると「忍城」とは違った穏やかな空間です。
参拝している方々がいらっしゃいましたので、写真は説明板と鳥瞰図のアップのみです。

諏訪神社は、成田 親泰さんが「忍城」を築いた時に遷座 したようです。
時代はとんで明治の頃、「忍城」の取り壊しを命ぜられます。樹木まで全てです。
諏訪神社の杉から赤い生血のようなものが流れ、手出しできず現在まで残る御神木がありました。
余談ですが、ネット検索したら『木から赤い樹液』ありました。木の種類は違いますが、生血に見え怖いです。

鳥瞰図がありました。
「忍城」は沼地があった所に、島が点在した地形を利用して築城された事が分かります。
そして思っていた以上に「忍城」が広大な敷地だったのですね 。想像以上だったので驚きました。
鳥瞰図から、この諏訪神社も「忍城」の城内だと分かりました。

今回の諏訪神社訪問で、明治政府の徹底高圧と、神罰を信じる心の、違った戦を見たようです。

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にのまる

【城と看板】

一人で7か所……o((⊙﹏⊙))o.

熊も怖いけど小さいヤツも怖いです💦

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にのまる

【城と標柱】

最強の記録媒体ヽ(^o^)丿
大事なことは石に刻んで残したいφ(..)

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カルビン

大雪の後の市街地のお城 (2014/02/19 訪問)

2014年の年明けは公共交通機関がマヒするような大雪が何度かありましたが、その影響が消えるのを待てずに訪問した茅ヶ崎城。

実際JR茅ヶ崎駅からは全然離れているので、遠方から来られる方は間違えない様に要注意で御座います。
(最寄り駅は横浜市高速鉄道のセンター南駅)

最寄り駅から徒歩10分程・住宅街の中に小高い丘があり、そこが茅ヶ崎城跡公園になっております。

町中にあるお城なので大したこと無さそうに思われがちですが、ここ茅ヶ崎城はなかなかの規模で遺構の残り具合も良好でした。
近場に小机城がある為そちらに持っていかれがちではありますが、初心者が土の城を体感するにはもってこいの場所であると思います。

平安時代末期に多田太郎という方によって築城されたと解説版には書かれておりました・・・おそらく上杉氏(扇谷かな?)の家臣の方と予想されます。
多分戦国時代には後北条氏のお城になっていたと思いますが、残念ながら北条的な畝掘りのようなモノはありません。


制限無しのGWでみんな出かけてるけど・・・コロナのリバウンド怖くないのかな・・・

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北条氏勝

優良城郭なのに無料! 知識だけじゃもったいない大和郡山城 (2022/05/02 訪問)

花より城郭。
 桜の名所としても有名な大和郡山城ですが、行きたいときに行く城が一番楽しい。ということで、昨夜『御城プロジェクト:RE〜CASTLE DEFENSE〜』という城を擬人化したゲームで「大和郡山城」をガチャで引き、「城が俺を呼んでいる」と一人勘違いした男が城攻めをしてきました。

 最寄りの近鉄郡山駅に到着。・・・する前に!
 最後の最後にお目にかかれるであろうと思っていた石垣と櫓が車窓からベストポジションで登場。あまりに最高なアングルだったので、下車せず電車から撮影するのが一番なのではないか、と思ってしまうほどでした。
 京都方面(北)から南へ下ってきた電車が駅に着き、降りて駅を出たら、さっきの場所へ線路沿いから逆走。水堀沿いに電車が走っているので、線路を挟んでお城とは反対のほうから撮影を試みます。そうすると見えてくるのが大和郡山市役所。・・・の前の石垣!町中にある石垣(門跡)を見ると、これから待ち受ける(文字通りの)本丸に胸が高まります。そうして辿り着いた先ほどの場所。水堀・石垣・櫓の3点セット。お城の図鑑では、ズームアップの写真しか見ることができないため、これは実際に来なければ見られない最高の景色です。大和郡山城を見くびっていました。

 そこからの攻城ルートは省略しますが、大和郡山城、本当に攻めている気になれるお城でした。その理由は、掘がそのまま残っているからだと思いました。今までの経験上、曲輪と曲輪の間にある堀は、もともと城を攻めてくる敵を阻むものという構造上、それが不要になってからは埋め立てられることが多いものです。ですが、大和郡山城は、城の中心部の堀がそのまま残っており、「なかなか向こうにいけないなあ」という攻め手側の気分を味わわせてくれました。近年に復元された極楽橋。本丸へ行く手段が限られていることを橋の下の大きな堀を見ながら実感できました。

 いよいよ本丸。これもまた近年整備された天守台に登りました。見晴らしはさることながら、本丸周りの木が伐採されており、堀を挟んだ曲輪と曲輪の高低差がはっきりとわかりました。城の守る側としてもいつも以上に実感できたと思えた原因は、いつもは天守台に登っても、まわりが木によって遮られていたからだったと気付かされました。入場料をとるお城ではないのに、緑地としてではなく、お城としての価値を重視してくれていることに感謝です。
 そして、大和郡山城といえば、やっぱり石垣に利用されたお地蔵さん。よほど石垣不足だったのだろう、と本を読んだときは思っていましたが、実際に来てみると仰天。大量の石垣があるじゃないか。しかも、ぱっと見、普通の石垣と何ら変わりはない。結局、変わった石垣は天守台でしか見つけられませんでした。思っていたよりも貧相な城ではありませんでした。それも当然豊臣秀長の城。天守台の石垣をじろじろ見られる人は限られているからでしょうか。門脇の石垣は、どこも大きな石でしたし、やはり表向きはとても豪華なお城でした。百聞は一見に如かずとはこのことです。天守台では、お地蔵さんの他にも明らかに転用されている石材を発見することができて楽しかったです。

 最後に、追手門を見てきました。枡形の中に入ると櫓と門の迫力がすごかったです。締めくくりとして最高でした。
 ここまでの行程は一時間程度でした。駅からも近く、城内も歩きやすかったので、ぜひおすすめです。本当に無料でいいのか・・・

 スマホですが、十分きれいな写真が撮れたと思うので、数枚載せておきます。

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カルビン

【城と生き物】 (2015/10/18 訪問)

鯉群が・・・鯉群が襲ってくるよ!



(ネゴシックス風に(笑))

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カルビン

【究極の1枚】 (2013/10/04 訪問)

お城巡りを始めて間も無い頃に遭遇したパックンマックン





遠目ではありましたが、失礼ながら撮影させて頂きました。。。これも良い思い出です


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朝田 辰兵衛

手取川古戦場(石川県白山市) (2022/05/01 訪問)

JR小舞子駅より,徒歩約10分。呉竹文庫駐車場に碑があります。
手取川の戦いは,1577(天正5)年,加賀国の手取川において,謙信軍が信長軍に大勝したとされる戦いです(詳細は,カルビンさんの投稿参照)。この後,すぐに謙信は急死してしまいますが…。
「上杉に遭ふては織田も名取川(手取川)はねる謙信逃ぐるとぶ長(信長)」の碑は,古戦場クイズを思い出します。
この日はずっと雨でしたが,JR金沢駅に近づくに連れ,ちょっと晴れ間ものぞく天候回復の兆しが見えたので,途中下車して立ち寄りました。電車旅の疲れもあったので,呉竹文庫にも立ち寄りました。専用の茶室まであったので驚きました。
なお,石川県のネーミングの由来は,この手取川が石だらけの川だったからというのが通説です。

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赤い城

意富比神社と畑 (2022/04/24 訪問)

東葉高速の飯山満駅が最寄ですがこの日は高根城から徒歩で転戦。
城跡は意富比神社と畑になっています。
説明板も石碑も標柱もありません。
遺構は無いと思っていたら畑の西側縁に土塁がありました。
ほぼ畑なので通路には注意、耕作地には入らないように。

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三浦の晃ちゃん

東北を代表する城 (2022/05/02 訪問)

ゴールデンウィークだけあって、すごい人手でした。天守閣、石垣のどれをとってもカッコ良かったです。以前に訪れたときは、はつきりしない天気だったのですが、今回は、晴れでした。やっぱり、青空にお城は似合うなと思いました。

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ryu

遠路、根室半島チャシ跡群を訪ねる~ノツカマフ1・2号チャシ跡(2017年) (2017/10/28 訪問)

ヲンネモトチャシ跡から根室市方面に少し車で走った所にある。こちらの方がヲンネモトチャシの遺構よりも壕跡や壕の内側の盛り土がよく分かる。
根室市に戻って、根室市観光インフォメーションセンターで100名城スタンプを押し、ついでに「日本本土四極最東端到達証明書」と「最東端駅東根室到着証明書」も入手する。
中標津空港行きのバスの待ち時間を利用して、乗り鉄の端くれとして、根室駅から最東端駅である東根室駅(無人駅)まで一駅乗り、東根室駅の写真を撮って根室駅まで歩いて戻る。

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ryu

遠路、根室半島チャシ跡群を訪ねる~ヲンネモトチャシ跡(2017年) (2017/10/28 訪問)

帯広での用件を済ませ、帯広から特急スーパーおおぞら5号で釧路へ。さらに花咲線で2時間半かけてようやく根室に着く。宿泊したホテルの裏に地元福岡の企業「ベスト電器」の店舗があるのに驚く。
夕食は、根室市内を歩き、喫茶「どりあん」でB級グルメのエスカロップをいただく。

翌日、駅近くで「ちょいのりレンタカー」を借りて反時計回りで根室半島をまわる。納沙布岬を見て、オーロラタワーの展望台からと、温根元の漁港からヲンネモトチャシ跡を遠望し、駐車スペースからチャシ跡まで歩いて見学する。

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ryu

高尾山と八王子城(2017年) (2017/07/15 訪問)

新宿駅を早朝の電車に乗り、午前中、高尾山に登った後、高尾駅北口から土日限定で運行する八王子城跡行きのバスに乗車。管理事務所でボランティアガイドの方に登山道と見所のアドバイスを聞いて登城。

管理事務所~金子丸~柵門跡~八王子神社~本丸跡~松木曲輪~小宮曲輪と見て回る。下山時にボランティアガイドから柵門跡近くに石垣の遺構があることを教わり寄り道して見学。下山後、大手門跡~曳橋~石垣~櫓門跡~御主殿跡~ガイダンス施設と見学する。
ガイダンス施設の展示はバスの時間が迫り十分に見る時間がなく残念。
高尾駅に戻り、駅前の玉川亭で食べた蕎麦(つけとろ)が美味しかった。

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ryu

徳島ラーメンと徳島城(2017年) (2017/05/19 訪問)

出張で数日滞在後、最終日に訪城。
「いのたに」で徳島ラーメンを食べて駅からお城まで歩く。
山上には石垣がよく残る。青石(緑色片岩)を用いた石垣が美しい。

鷲の門~下乗橋~蜂須賀家政像~東坂口~東二の丸跡~天守跡~本丸跡~弓櫓跡~西二の丸跡~帳櫓跡~西三の丸跡~西坂口~城山の貝塚~数寄屋橋~徳島城博物館~旧徳島城表御殿庭園~太鼓櫓跡~舌石~徳島駅と見て回る。

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カズサン

天空の城郭・主要郭編 (2009/06/11 訪問)

 城門編からの続きです。

 主要郭部は西中仕切り門、太鼓門櫓台、三の丸、本丸、天守台、二の丸、東中仕切り門までの写真を投稿致します。
 
 素晴らしい石垣の造り、岡城のビュースポット三の丸北側の絶壁に聳える高石垣は感動ものです、切込接ぎの石垣の美しさ、中川氏7万石でよく此処までの城郭を築いたのかと? 織田、豊臣時代を通り抜け石垣造りの技術を保持した織豊系大名流石です。

 続き(家老屋敷編)へ。

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tsuchinari

新たな発見! (2022/05/01 訪問)

宇和島城は現存12天守のなかではひっそりとした雰囲気で少し影が薄い印象があったけど、今回久しぶりに登城して、以前にはまだ見つかっていなかった区画、式部丸が全貌を現していた。広大な石垣もしっかりと復元され、宇和島城の新しい大きな見どころが加わった感じがしました。何より予想を大きく上回った事が嬉しかったですね!
宇和島城は現存天守だけじゃない、石垣の城としてもこれから有名になってほしい!

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カズサン

天空の城郭・城門編 (2009/06/11 訪問)

 岡城は頼朝に追われた義経を迎えるために緒方惟義が築いたとの伝聞が有り、南北朝は大友氏一族志賀氏が拡張し、島津氏の侵攻には撃退し秀吉に褒めれる、朝鮮の役陣中での不始末で大友氏改易され志賀氏も去り、三木城から中川秀成が文禄3年(1594年)7万石で入封し、現在みられる織豊系城郭を築き、江戸期を中川氏が継承して明治を迎える。

 前日、中津城、杵築城、日出城を探訪し大分駅前のホテルに2泊拠点とする、13年前の平成21年6月中旬大分県宮崎県城廻り2日目の4城目、岡城を初登城する。 レンタカーで岡城の登城口大型の専用駐車場を利用、入場料を払い巻物の絵図等資料を頂く。

 探訪ルートは、登城口、登城路、絶壁を望みながら、九十九折登城坂登る、かまぼこ型の石垣が縁に続いてる、大手門跡、桜馬場、家老屋敷南を通り、籾倉跡、西中仕切門跡、岡城ポイントの北側高石垣を眺める、太鼓櫓門跡石垣台、三の丸、本丸、天守台石垣を眺めて本丸に入る、神社が鎮座、東側の御金倉跡で東、北を眺める、本丸桝形虎口石段を降りて、二の丸へ滝廉太郎の銅像、北端石垣から足が竦む高さの石垣を望む、天守台下の南門から天守台本丸台の南面石垣沿い、東中仕切り門跡、清水門跡、御廟社跡各所の曲輪、下原門跡の曲輪石垣台、戻って清水谷を挟んで家老屋敷群を見る、中川覚左衛門屋敷は発掘調査の上、各柱と座敷間が畳寸法で立体地表展示されてる。 近戸門跡、中川民部屋敷跡、西の丸へ裏の西から東門方向へ、大手門をお降りて歴史資料館に寄る、岡城の立体模型を見学。
 2時間半の探訪でした。

 近世城郭山城では備中松山城、高取城、岩村城が三大山城と言われて居り、竹田城が天空の城として脚光を浴びていますが、豊後岡城は臥牛山山頂を総石垣で築いた天空の城郭で前述の城郭にまして壮大さが光ります。

 城門編として、大手門跡、大手登城路、元大手門だった下原門跡、近戸門跡、清水門跡の写真を投稿します。

 続き(主要郭編)へ。

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tsuchinari

国宝級の名城 (2022/04/30 訪問)

高知城ほど遺構が多く残る城は他にない。
天守、御殿、大手門、石垣。
江戸時代山内一豊が城主として入城して以降、山内家代々の当主が守ってきた。幕末には坂本龍馬をはじめ多くの志士を輩出。歴史の表舞台に立ち続けてきた。
その価値は国宝にしても何の不足もない。

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tsuchinari

しまなみから四国の玄関口 (2022/04/30 訪問)

今治城はとてもシンプルな縄張りです。
そして水堀、石垣、櫓、天守と藤堂高虎の騎馬像も含めて、デザイン性にとても優れています。
城壁や櫓に狭間や石落としはありますが、防衛を意識した城ではないことは容易に分かります。
お城のことを一から学ぶには適したお城ですね。

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tsuchinari

鞆の浦にて (2022/04/29 訪問)

ゴールデンウィークの連休を使い、広島県鞆の浦を初めて訪れました。
港の景色だけでなく明治以前から残る町並みが風情があってとても見応えがありました。道の細さもいい雰囲気を作っていてよかったですね。
坂本龍馬ともゆかりがあり、龍馬の隠れ家やいろは丸事件についての資料が充実していました。
鞆城は福山城の支城のような役割を果たしていたよう。鞆の浦の街の小高い丘の上にあったようですが、遺構はほとんど残っていませんでした。

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