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にのまる

36見附めぐり②〜筋違御門〜

 筋違(すじかい)御門は徳川将軍が上野寛永寺の将軍家墓所や日光東照宮へ社参する際に通った門です。
 万世橋と昌平橋の間の旧万世橋駅舎前の歩道に説明板があります。
 旧万世橋駅舎はレトロな雰囲気はそのままに商業施設になっていて、1階には駅舎模型があり、テラスからは神田川を眺めることができます。2階に上がると目の前を中央線が通過していきます。
 湯島聖堂や昌平坂学問所跡、神田明神へも10分くらいで行けます。おすすめスポットは御茶ノ水駅の聖橋です。神田川(外濠)のカーブがいい感じに見られます。ここは鉄ちゃんの撮影スポットとしても有名で、中央線・総武線・丸ノ内線が同時に来たところを撮ろうと橋の上で粘ったのですがなかなか3本同時には来てくれず、20分くらい待ってやっと撮れたのですが、めちゃブレしてしまいました( ノД`)

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カズサン

【三河茶臼山織田信長戦地本陣】愛知県新城市 (2021/12/11 訪問)

 新東名を往来する度、気に成って居た「長篠設楽原PA下り」より直接登城出来る、織田信長の設楽ヶ原合戦時の茶臼山信長戦地本陣跡が在ります、以前にチェブさんが投稿されて居り近くに在住するものとして一回は寄らなくてはと思って居りましたが、浜松浜北ICから近く目的地に急ぐあまり中々長篠設楽原PAに立ち寄って探訪する事が出来ませんでした。
 今回は城びと登録城で未踏の川口城に初登城の前に登城しようと定め初登城する事が出来ました。

 PAからは登城階段を登って直ぐに茶臼山頂上に在る設楽原合戦の織田信長本陣跡が幟旗も数多く立ち櫓台に神社が鎮座しPAからの見学者も気軽に立ち寄って居ました。信長の歌碑が立って居ります「きつねなく 声もうれしきこゆなり 松風清き 茶臼山かね」。
 設楽原合戦側は杉が林立して見通しはよく有りません。合戦の解説板はPAの登り階段の前に有りますので往時の雰囲気を想像して見て下さい。

 同本陣には下の県道から直接階段、県道からPAに入れる道も有りPAから登る階段を利用できます、勿論高速利用の方は直接登れます、新東名下り線の「長篠設楽原PA」からの登城です。念のため上り線のPAではありません。
 PAには3階建ての見晴らし展望台も有り、売店では戦国グッズが多く売られてます、自販機も設楽原合戦絵図をプリントし合戦を醸しています。

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赤い城

例のマンション (2021/12/05 訪問)

幕張駅から徒歩で15分。
城好きの間では「例のマンション」と呼ばれてるとか。
もちろん遺構はありませんがマンションが建つ高台とその下の道路の高低差にはロマンを感じます。
近くの三代王神社では発掘調査で堀の跡もあったそうです。
周辺も住宅地、高速道路も通っていて普通にある場所となっています。

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いんげん丸虫

岩ヶ城 長野県箕輪町 (2021/11/21 訪問)

中の小屋から150mの距離にあります。直角に曲がる尾根に三角形の主郭があり、
北東尾根に2重堀切と竪堀、東南尾根にも堀切があります。
歴史散策コースとなっていて数年前の看板が立ってます。詳細は無し。

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ばばよ

町歩きも楽しんで (2021/04/24 訪問)

本川越駅からは少し歩きます。
このサイトに来る方は皆さんご存知であろう、現存の本丸御殿は言うまでもありません。
旧川越街道自体は田舎の街道といった感じですが、別に古屋敷や時の鐘を中心とした街並みは風情あり、お店にも活気があります。
小江戸と言われるだけのことはあり、お城だけでなく町歩きも一緒に楽しむといいでしょう。

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前ちゃん

二度めの登城 (2021/12/14 訪問)

忍城から丸墓山古墳まで徒歩約1時間。

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☆ナンバー★357☆

冬の甲府城 (2021/12/11 訪問)

新名所「城のホテル甲府」の屋上からは甲府15万石の夜景が。🌃🌉✨

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イオ

紅葉狩りと前山 (2021/11/28 訪問)

根来寺は半年ほど前に訪れていますが、南側に東西に広がる前山と呼ばれる丘陵地の曲輪群は未訪だったため、紅葉狩りを兼ねて登城しました。根来寺駐車場(無料)に車を駐めて、まずはもみじ谷公園へ。根来寺内を流れる大谷川沿いに設けられたその名の通りの紅葉の名所で、見ごろとあって多くの人が訪れていました。公園内をひとめぐりして駐車場に戻り、ストックを手に今度は眼前に広がる前山に向かいます。

前山には四国八十八箇所の石仏が祀られており、五百仏山(いよぶさん)遊歩道として整備されています。こちらも見事に色付いている神池の脇から遊歩道に入り、石仏を順にたどると随分と遠回りになるので、直登ルートで尾根に出て、少し西に進んだ先にある石仏の背後に小さな削平地がありました。前山の東端の曲輪のようです。遊歩道をさらに西に進むと北側の眺望が開け、根来寺の大塔、大伝法堂、光明真言殿を一望できます。次の曲輪の南下には堀切があるようなので、奥に踏み込んでみると、竹藪の中に浅くなった堀切らしき窪みがありました。

東屋のある六十五番石仏から遊歩道は石仏をたどるルートと根来寺の南大門跡に向かうルートに分岐しますが、ここはもちろん南大門跡へ。このあたりから遊歩道の南側に土塁が東西に長く続いています。城好きとしては前山の防衛ラインと考えたいところですが、江戸後期に築かれた境界土塁とも言われています。さて、南大門跡を目指して土塁沿いに進んでも進んでもそれらしき場所には行き着かず、そうこうするうちに整備された道もなくなり、稜線上の土塁だけを道しるべにひたすら灌木と藪をかき分けて西端の曲輪に到達しました。西端の曲輪には不自然な二つの大穴があり、その南下には堀切と土橋が明瞭に遺っていました。その堀切の先にはもう一条の浅い堀切があり、前山の遺構はここまでのようです。南大門跡を見落とした(道を間違えた? 藪に沈んでいて気付かなかった?)のは心残りながら、道なき道をまた戻って探索し直す気力はもう無かったので、堀切の西斜面を下ってすぐそこに見えている墓地に下山しました。やれやれ…。

…ということで、遊歩道は一応整備されているものの、前山の城郭遺構はほぼ未整備で藪の中ですし、また行きたいかというと微妙ですが、いつでも行ける近場ではあるので、気が向いたら南大門跡を再探索してみようと思います。…気が向くかなぁ?
 

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ふゆづき

武田家の落日 (2021/12/10 訪問)

長篠と併せて武田家没落の引き金となった高天神城を訪問しました。
武田家好きの私としては辛い訪問ですが、一度行かないことには気持ちが収まらず、青春18切符の期間が開始されるのを待っての訪問です。
アクセスは、東海道線掛川駅から静鉄バスに乗って約20分、追手門からアクセスする場合には「ひじかた」バス停、北門(搦手門)からアクセスする場合は大東北公民館前バス停で下車、それぞれ徒歩20分程度で登城口に到着します。
バスは1時間に1本程度ですので、公共交通機関でアクセスする場合には時間に注意してください。
私は追手門からアクセスし、帰りは搦手門から退出しましたが、追手門に向かう道の途中で、高天神城の全景が畑の中に迫ってきます。
登山道の前に10台程度停められる駐車場がありますが、訪問時には伐採工事が進められており、あまり駐車できない状況でした。
登り出すと、着到櫓跡、三の丸(ここからは駿河方面の眺望が開けています)、御前曲輪、本丸と連郭して現れ、上りはそれほどきつい訳ではありません。(残念ながら、崩落により二の丸、馬場平につながる道は閉鎖されていました。)
これらの郭には土塁の跡が残されておりますが、土塁から直下を見ると極めて急峻な崖であり、ここからどのようにして登れるのであろうかとの感がします。
各郭間は連結していますが、各郭の面積は比較的狭く、この城の性格上、少数の兵で守ることを想定しているのが良く判ります。
本丸から一度下り、西の丸(高天神神社)に向かい、的場曲輪を経由して二の丸に到着。高天神社でお参りし、袖曲輪にある堀切、空堀などを見学し、搦手門から下城しました。
城からは、徳川が築いた付城や砦を眼下に納めることができるため(掛川駅の観光案内所で頂ける高天神城のパンフレットを見れば位置関係が良くわかります)、諏訪原城が落城し補給を絶たれた最後の城主であった岡部元信は、徳川の様子を見ながらどのような思いをしたであろうかと、その心中を察するに余りある思いがしました。
もし、武田勝頼がこの城を落としたという自分の名誉のため、この城の確保を命じた上で救援しなかったとしたら、それは武田家落日のダメ押しとなっても仕方ないと思わせるものがありました。

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やま

萌える山城③ (2021/09/02 訪問)

飫肥城見学した後、鹿児島空港に車で向かう途中、案内表示で酒谷城の文字が。慌てて引き返したところ神社の鳥居があり、横に案内板がありここがお城なのだとわかりました。車を止めるところがなく、道脇のスペースに違法駐車させて頂き、ダッシュで約160段の階段を駆け上がりました。階段の上には神社がありここが酒谷城の大手門かと思われます。神社裏から一本道があり、道なりに歩いて行くと左右に曲輪がいくつもあるのが確認できます。これが知覧城や、志布志城など南九州(島津氏)特有の城郭の作り方かと感動しましたが、草が凄過ぎて奥まで見ることができませんでした。手入れすれば見応えのある良い城跡になると感じました。場所も交通の要所に築かれており、萌える山城でした。次に行く機会があれば鎌を持参していきたいと思います。

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やま

萌える山城② (2021/09/04 訪問)

いつも遠くから眺めることはありましたが、なかなか登城する機会がなく、満を持して今回登城してきました。まずは錦帯橋から俯瞰でお城を眺めテンションを上げて城郭へ。城郭エリアまでは情けなくもロープウェイで上がり、まずは当時の方々が見ていたであろう絶景の街を視察。岩国城の天守は遠くから眺めるだけのものと思っていましたが、資料館は見どころがあり、とてもよかったです。天守台の石垣を見学したあと、北ノ丸へ。途中の大堀切は迫力がありました。また北の丸下の石垣と水の手付近の虎口を見学。北ノ丸は、石垣下に犬走りがあるため石垣を見ながら二の丸へ戻ることができます。水の手曲輪は、大釣井から北に削平地を北西に進むと内枡形の虎口跡を見ることができます。この辺りは未整備のエリアなので石垣の崩落したあとも確認でき、荒々しい山城らしさを感じることができます。縄張りもよくわかり、流石100名城と思える萌える山城でした。

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todo94

本佐倉城に向かいがてら (2021/11/03 訪問)

本命寺の説明板、近くの標柱を確認して用水路下のトンネルをくぐり用水路側から藪漕ぎをしてみましたが、これという遺構にはたどり着けませんでした。白幡神社の方にも脚を伸ばしていないので、いつか再訪したいと思います。

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前ちゃん

みかん畑を突っ切って (2021/12/13 訪問)

何の準備もナク、アプリのナビに従ったらみかん畑を歩く羽目に。帰りは車道を通り、ふもとの海蔵寺の堀秀政(久太郎)の墓に立ち寄る

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カズサン

10年前の諏訪原城は? (2011/11/15 訪問)

 城びとのサイトが開設され投稿が進むにつれて撮りためたデジカメ写真の整理が進んで居ります、やっと平成23年の写真データーまで辿り着きました。
 現在は発掘調査、景観整備、ビジターセンターの開設と整備保全が進みよく観察、見学が出来る様に成って来ましたが、10年前は今見所の二の曲輪中馬出は樹木で鬱蒼とし三日月堀も草木で埋まって居り、外堀もしかり、発掘調査も二の曲輪北馬出が始まった頃、二の曲輪も茶畑が更地なったばかり、本曲輪の樹木は伐採され空が抜けて見やすく成って居りました、内堀にあるカンカン井戸は観察出来ましたが、全体に説明板が古く成って居り、鬱蒼として現在とは比べ様が有りません。
 これまでの島田市教育委員会、文化資源活用課の整備保全の御尽力に感謝申し上げます。
 10年前の鬱蒼とした諏訪原城の撮影写真ですが投稿させて頂きます。

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小城小次郎

まずもってお城はあったと思う (2021/09/11 訪問)

お城の土塁と伝えられた土盛りは見る人が見れば明らかに古墳で、発掘の結果、埴輪片等が出土したらしい。城の存在そのものを疑う人もあるが、城としてよさそうな土塁もないわけではないので、私はお城があったと思っている。

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朝田 辰兵衛

淡島神社でロックオン! (2021/12/04 訪問)

そこから直線約800m。周囲は田んぼが広がっています。この直線がやたら遠くに感じました。もしかすると,田んぼになって消滅してしまうところを,奇跡的に逃れることができたのかも…と想像してしまいました。

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赤い城

最福寺の背後 (2021/12/05 訪問)

千葉モノレールの千城台駅から徒歩で40分。
西の郭に主郭があるようですが住宅地になっています。
登城口がよくわからなかったので断念。
東側の郭の最福寺に向かいました。
最福寺には駐車場もありますが城の案内はなさそう。
裏手から空堀に入ることはできます。
が、ちゃんと見学できるかは?お寺の方に会ったら一声掛けるのが良いと思います。
堀には折れもあり、住宅地に向かって下っていました。
千葉胤忠が多部田氏を名乗って築城されたと言われています。

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イシテル

石垣と紅葉が映える城跡 (2021/12/11 訪問)

石垣の見事な二俣城が紅葉で赤く染まり、言いようのない雰囲気でした。
この季節に立ち寄り本当に良かった。
曲輪、土塁、堀切も見どころです。

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ぴーかる

鶴居城 (2021/11/21 訪問)

【鶴居城】
<駐車場他>登城口<35.024355, 134.746130>にある墓地に駐車可能
<交通手段>車

<見所>眺望
<感想>北はりま攻城の旅、ラスト8城目。鶴居城は別名稲荷山城とも呼ばれ、南北朝時代に赤松円心の孫・永良三郎則綱が築城しました。山名氏との攻防の城ともなったようです。添付写真の登城口のゲートを開けて中に入り1000mの登山です。800mくらいまでは遺構は見られずここを過ぎるとようやく尾根上の細い曲輪や僅かに石積み遺構が見られます。主郭は割合広く山は比高が高いので眺望は抜群です。主郭から北側尾根上にも堀切があるようですが、少し鬱蒼としており急斜面で滑り落ちそうなので断念しました。登山の頑張り度から言えば見れる遺構の数は少ないです。

<満足度>◆◆◇

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🏯お城EXPO2021出展🏯 (2021/12/13 訪問)

今週末12月18日19日にパシフィコ横浜ノースで開催される「お城EXPO2021」に【沖縄の世界遺産 中城城跡】は今年も出城いたします!!

今年は、昨年世界文化遺産登録から20周年を迎えた「琉球王国のグスク及び関連遺産郡」の中から私たち中城グスクを含む3つのグスクの出城が決定し、沖縄ブースを華やかします✨

是非、遊びに来てください!!

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