玄蕃尾城は、南北に主要4つの曲輪で構成し、その曲輪を土橋で連結、また各曲輪を土塁と空堀で囲い多重防御を施しています。その広がりは南北250m、東西150mにも及んでいます。また主郭には南側と北側に馬出、東側に出曲輪を設け主郭を防備しており、主郭の北東隅には、方形の一段高くなった場所があり、櫓のような建造物があったのではないかと推定されています。主郭部北側の搦手がある曲輪は最大の広さがあり兵糧などの物資や兵の駐屯の為のスペースであったと推定されています。
玄蕃尾城は、賤ケ岳の合戦のおり、織田家重臣の柴田勝家公が本陣とした山城です。越前と北近江との国境にあった城で、越前北ノ庄城の城主であった勝家公が国境の守りとして合戦以前に築いたものとされています。(所説あり)
ですが、この賤ケ岳の合戦では勝家公はこの城では戦わずして撤退していることから、玄蕃尾城は合戦当時のまま、良好な状態で保存されています。(地元の方が草刈りや整備をして頂いているお蔭様で何時行っても良好な状態で見学することが出来ます。)
しんちゃんさんへ 紫波洲崎城に行かれたのですね(#^.^#) 私はお化けと蜘蛛と百足が大の苦手で掴みどころのないものを見るとゾッとします。しんちゃんさんのお城にかける情熱というか執念というか見習いたいもので、感心してしまいます。
ところでしんちゃんさんの最寄りのお城は高縄城とお聞きしましたが、意外と自分とご近所さんかもしれませんね。
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