かせやまじょう

鹿背山城

京都府木津川市


旧国名 : 山城

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郭Ⅲの前の堀切
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しんちゃん

郭Ⅲ・主郭西側の堀切群 (2025/05/31 訪問)

郭Ⅱのエリアから郭Ⅲのエリアに移動しますが、やはりここにも堀があります。そのまま北に向かうと、竪堀となって下に続き、東側に土塁と堀切があります。このまま竪堀に沿って降りて右手(東)に回り込んでいくと畝状の堀群が有るようですが、訪問していません。ちょっち爪が甘いです。
郭Ⅲの南の腰郭を確認した後は、主郭北西の遺構を目指して進みます。城址の見どころはやはり、主郭の周辺に集中しているので、ここだけはしっかり見ておきたい。主郭の二つ目の腰郭の脇から西下に道が続いています。目の前には堅土塁があって、大堀切が南北に続いています。高所が土橋になっていて、その先には郭Ⅰ-13が有ります。そこからでは大手道に戻れないので、サブコースに戻って下山と相成りました。

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しんちゃん

郭Ⅰ(主郭)・郭Ⅱ (2025/05/31 訪問)

畝状竪堀群を堪能した後は郭Ⅰ(主郭)に、向かいます。主郭の虎口は南についていて土塁が西に続いています。東辺一帯には櫓台と呼ばれる一段高い扁平地が南北に続いています。櫓台は北西にも築かれていて、そこから北の腰郭(Ⅰ-5)を経由して水の手(井戸跡)を訪問し、そのまま主郭東の切岸を眺めながら、郭Ⅰと郭Ⅱのエリアを切り分ける堀切を確認しました。
郭Ⅱの西腰郭の間を通る堀道を通って、腰郭をいくつか経由して郭Ⅱに到達しました。郭Ⅱは東西をⅠ・Ⅲの郭に挟まれているので竪堀などの仕掛けが少ないですが、腰郭も多く、東西の境界を仕切る堀切もあるので、独立した郭としても成立すると思います。

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しんちゃん

見ごたえ十分の畝状竪堀(空堀)群 (2025/05/31 訪問)

鹿背山城は木津氏によって築かれたと考えられています。15世紀には南都興福寺の傘下の武将である古市氏らによって使用され、16世紀後半には松永久秀によって改修を加えられ、北方の防御の城として重視されたと考えられています。
南山城でも最大級の山城とされ、西から一郭(主郭)、二郭、三郭が並び、それぞれに腰郭が付いています。理想的な一城三郭の形態を持っています。余呉さんの縄張りを見ると、各郭の麓には池があり、主郭の北には水の手があります。東西の主要な郭には畝状の竪堀が付き、その縄張りの美しさを合体ロボで例えるなら「アクエリオン」実用性は「ダイオージャ」といったところでしょう。
なんのことかわからん?・・ググってくだされ。
西念寺の脇から大手道が続いていて、サブコースから回れば、すぐに城址に入ることが出来ます。早く畝状竪堀(空堀)を見たかったので腰郭群を登って行って西脇から訪問しました。比較的大きめの土塁が三条続いていて、その北側にも二条の土塁が竪堀と一緒に二条続いています。こちらの土塁は上の方で繋がっていて、西側を守っています。良く考えられた高度な縄張りで、隠れた築上名人として松永久秀の名を記憶する必要がありそうです(多聞山城・信貴山城・鹿背山城・龍王山城)。ちょっと地味かな・・。

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BUGTI

南ヤマシロ最大級の山城 (2023/12/09 訪問)

それほど名が知られている城ではないが、行ってみたら遺構の残り具合は良いし、城域も広くて驚きました。大手道から登ると数本の竪堀がはっきりと残り、各尾根には段になった曲輪がたくさん作られています。主郭の東西それぞれには櫓台と呼ばれる土塁の高まりが残り、堀切や土橋といった山城の遺構もみごとです。畝状竪堀もあちこちに残っており、見どころは十分です。なによりも地元の「守る会」の皆さんの活動により、城址が整備されていることがありがたいです。本当に感謝しかありません。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 木津英清
築城年 文治4年(1188)
主な改修者 松永久秀
主な城主 木津氏、松永氏
遺構 曲輪、土塁、横堀、井戸
再建造物 石碑、説明板
住所 京都府木津川市鹿背山鹿曲田、藪ノ浦、古寺