にしおじょう

西尾城

愛知県西尾市

別名 : 西条城、西丘城、鶴城、鶴ヶ城、錦丘城
旧国名 : 三河

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拾荒山男

本丸丑寅櫓 (2024/09/20 訪問)

本丸丑寅櫓

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T-Shionoya

西尾城の丸馬出・障子堀・転用石 (2024/08/10 訪問)

昨日は西尾市資料館の企画展「西尾城跡発掘調査40年のあゆみ」の展示解説を聴いてきました。

西尾城は一般に西条城が起源とされるが、鎌倉・室町時代の遺構・遺物はほとんどなく、当時の居館は吉良氏菩提寺の実相寺がある上町エリアにあったとする説が有力とのこと。

発掘される遺構・遺物は戦国時代以降のもので、個人的に興味深いのは小牧長久手の戦いの頃の改修とされる丸馬出と障子堀。
昨年の訪問時は見逃した丸馬出の二重の堀。現在は枯山水で表現されています。
二重堀は一方の堀が築かれた直後、もう一方に作り替えられた可能性もありますが、発掘結果では二重で存在したと考えられている模様。
また障子堀の独特な形状の障壁は、元の堀を更に深く広くしたためとのことで納得。

そして本丸表門の石垣には墓石が転用されているとのこと。
知らないと気付かないものですが、探すと真四角の石材が2~3個使われていました。

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ぴーかる

西尾城 (2024/05/11 訪問)

【西尾城】
<駐車場他>西尾市歴史公園駐車場30台分程あり。
<交通手段>車

<見所>屏風折れ土塀・復元天守台・復元建造物・水堀
<感想>岡崎平野・知多半島ちょこ城巡りの旅12城目。現地で貰えるリーフレットによると西尾城は承久の乱の戦功により三河国の守護に任じられた足利義氏(吉良氏)が築城した西条城が始まりと伝えられます。戦国時代末には酒井正親・重忠、田中吉政と城主が代わり、関ヶ原の戦いの後には本多康俊が2万石の西尾藩主として入ります。1638年に太田資宗が総構えの体制を企画し、井伊直之が工事を継いで完成します。1764年より大給松平氏が6万石で入城し明治まで存続します。
 現地は本丸跡と二の丸跡の一部が残されており二の丸跡に復元建造・構造物の鍮石門・丑寅櫓・屏風折れ土塀・天守台があり、移築した旧近衛邸があります。どれも見応えがあり、下見板張りがいい感じです。本丸⇔二の丸の間の水堀は遺構が良く残されています。復元の本丸丑寅櫓は16:30を過ぎていたため入城出来なく残念でした。無料資料館の展示物も充実していて、もっと時間を取ればよかったと後悔しました。

<満足度>◆◆◇

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街中の門跡など (2024/06/01 訪問)

 西尾市歴史公園の周辺、街中の門の跡などを散策しました。

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城郭情報

分類・構造 梯郭式平山城
天守構造 複合式望楼型[3重4階/1585年築・1645年頃改/解体]
築城主 足利義氏
築城年 承久年間(1219〜1222)
主な城主 吉良氏、酒井氏、松平氏
廃城年 明治11年(1878)
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀
指定文化財 市史跡(西尾城跡)
再建造物 丑寅櫓、復元門、石碑、説明板
住所 愛知県西尾市錦城町231-1
問い合わせ先 西尾市教育委員会事務局文化振興課文化財担当
問い合わせ先電話番号 0563-56-2459