にしおじょう

西尾城

愛知県西尾市

別名 : 西条城、西丘城、鶴城、鶴ヶ城、錦丘城
旧国名 : 三河

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本丸丑寅櫓
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ぴーかる

西尾城 (2024/05/11 訪問)

【西尾城】
<駐車場他>西尾市歴史公園駐車場30台分程あり。
<交通手段>車

<見所>屏風折れ土塀・復元天守台・復元建造物・水堀
<感想>岡崎平野・知多半島ちょこ城巡りの旅12城目。現地で貰えるリーフレットによると西尾城は承久の乱の戦功により三河国の守護に任じられた足利義氏(吉良氏)が築城した西条城が始まりと伝えられます。戦国時代末には酒井正親・重忠、田中吉政と城主が代わり、関ヶ原の戦いの後には本多康俊が2万石の西尾藩主として入ります。1638年に太田資宗が総構えの体制を企画し、井伊直之が工事を継いで完成します。1764年より大給松平氏が6万石で入城し明治まで存続します。
 現地は本丸跡と二の丸跡の一部が残されており二の丸跡に復元建造・構造物の鍮石門・丑寅櫓・屏風折れ土塀・天守台があり、移築した旧近衛邸があります。どれも見応えがあり、下見板張りがいい感じです。本丸⇔二の丸の間の水堀は遺構が良く残されています。復元の本丸丑寅櫓は16:30を過ぎていたため入城出来なく残念でした。無料資料館の展示物も充実していて、もっと時間を取ればよかったと後悔しました。

<満足度>◆◆◇

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街中の門跡など (2024/06/01 訪問)

 西尾市歴史公園の周辺、街中の門の跡などを散策しました。

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足利義氏 (2024/06/01 訪問)

 以前にも登城したことはありましたが、近くへ来たので寄ってきました。
承久の乱(1221年)の戦功により三河国守護に任じられた足利義氏が築城した西条城(さいじょうじょう)が始まりと伝えられています。天正13年(1585年)三河を治めていた徳川家康の命により城が修復され西尾城の基礎となる城が完成しました。この城の天守は本丸ではなく二の丸にあります。本丸丑寅櫓、鍮石門、本丸と二の丸の土塁や堀、天守台、二の丸丑寅櫓と二ヶ所の屏風折れのある土塀などが復元されています。また城下を堀で囲む総構えであったようです。街を歩くと門の跡などに石柱や説明板がありました。
 葉の茂るこの季節は城址は山城でなくても見学に不向きだと思っていますが、それなりには楽しんで散策できました。

名鉄西尾駅から徒歩15分くらいで城址である西尾市歴史公園に行くことができます。

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今川氏発祥の地 (2024/06/01 訪問)

 駿河の領主というイメージが強い今川氏ですが、ルーツは三河にあります。吉良荘西条城主であった吉良長氏が次男の国氏に今川荘を与え、国氏が地名にちなんで今川氏を名乗ったことが今川氏の始まりと伝えられています。今川氏は後に駿河に移り住み勢力を伸ばしていきます。跡地には石柱と説明板、奥には今川了俊の供養塔がありました。
西尾城の旧称が西条城であり、周辺観光として投稿させていただきました。

 名鉄西尾駅からは西尾城と反対方向に徒歩15分くらいで行くことができます。

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城郭情報

分類・構造 梯郭式平山城
天守構造 複合式望楼型[3重4階/1585年築・1645年頃改/解体]
築城主 足利義氏
築城年 承久年間(1219〜1222)
主な城主 吉良氏、酒井氏、松平氏
廃城年 明治11年(1878)
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀
指定文化財 市史跡(西尾城跡)
再建造物 丑寅櫓、復元門、石碑、説明板
住所 愛知県西尾市錦城町231-1
問い合わせ先 西尾市教育委員会事務局文化振興課文化財担当
問い合わせ先電話番号 0563-56-2459