近くへ来たので寄ってきました。西尾市歴史公園として整備されています。シルバーウィークの初日でしたが訪れる人はまばらでゆっくり散策できました。何回か登城していますが、一番少なかったような気がします。
本丸丑寅櫓、二之丸丑寅櫓と「屏風折れ」を持つ土塀、鍮石門などが再建されています。
名鉄西尾駅から徒歩15分くらいで行くことができます。
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2026/09/19 22:49
2026/09/19 22:17
佐久間盛政の墓がこんなところに? (2026/09/17 訪問)
西尾城から南へ約7Km、愛知県西尾市吉良町の海蔵寺には佐久間盛政の墓があるという情報を得て行って来ました。佐久間盛政は織田信長の家臣で柴田勝家の甥であり彼の与力として活躍した武将です。海蔵寺にある斜めに切り裂かれたような墓石がそれで正確には墓ではなく碑だそうです。
西尾市教育委員会の看板にはその逸話が書かれています。天正十一年(1583)の賤ヶ岳合戦で敗れた盛政は捕らえられ京都で最後を迎えます。家臣の鈴木八郎治が盛政の遺体をひそかに故郷である現在の西尾市吉良町萩原に持ち帰り埋葬しました。八郎治は佐久間の文字を避け索麻と刻み、自ら出家して供養したそうです。索麻塚と呼ばれています。
真偽はともかく興味深い話です。
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2026/09/06 16:35
二の丸に天守を配する城 (2026/07/10 訪問)
西尾城の城郭構造は梯郭式の平城です。碧海台地の端に築かれており、北から西を流れる矢作川の水利を利用して、水堀りを巡らせ築城されています。特徴は天守が本丸ではなく二の丸にある事です。二の丸の北隅に三重天守が置かれ、城主の住まいとなった御殿も二の丸に置かれました。
本丸には八幡社が祀られ、四隅には三重櫓の丑寅櫓(復元されています)と、今は見る事が出来ませんが、二重櫓の未申櫓、辰巳櫓、戌亥櫓が建てられていたそうです。さらに二の丸には三重の天守の他に二重の丑寅櫓(復元されています)があったとの事です。また、天守台から丑寅櫓へ続く土塀は2カ所に折れを持つ屏風折れの構造で全国的にも珍しい土塀となっています。(復元されています)
城内に建てられている西尾市資料館横にトイレもあり、鍮石門横に駐車場も完備されています。築城当時のものと見られる石垣や土塁、堀などが無料で見学できます。
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2026/08/16 10:20
吉良氏をはじめ、今川氏、一色氏という名高い一族は、全て西尾市が発祥の地であることは歴史的に意義深いところです、と (2026/08/13 訪問)
城びと先人の投稿を見て、行きたい城にノミネート。しんちゃんさん、カズサンさんは、近場なことからか何度も訪問され、整備や公開の進展が追えます。屏風折れ土塀が基礎の土塁まで三角に飛び出しているのを実際に見て、「ほっほう」。二の丸の天守台外下に「緊急防災対策河川整備」の看板がありました。二の丸の西側の川の整備と河岸の公園化が進められています。二つの丑寅櫓再建、鍮石門再建、天守台整備などどんどん手を入れているのですね。今回は、「法人事業税超過課税」もアピールされてます。
資料館に、「吉良荘の成立:..吉良氏をはじめ、今川氏、一色氏は全国的にも名高い一族で、全て西尾市が発祥の地であることは歴史的に意義深いところです」と。室町幕府の三管領四職の中の斯波、畠山、細川、一色、山名などは、室町時代になって急に表舞台に現れてきて違和感があったのですが、吉川英治 私本太平記に、全て、各地に土着した足利一族であることが書かれていて、納得しました。足利尊氏は、各地の一族を従えて大勢力になったのですなあ。今川、吉良もその流れです。因みに、四職の赤松と京極(佐々木)は、足利一族外です。
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| 分類・構造 | 梯郭式平山城 |
|---|---|
| 天守構造 | 複合式望楼型[3重4階/1585年築・1645年頃改/解体] |
| 築城主 | 足利義氏 |
| 築城年 | 承久年間(1219〜1222) |
| 主な城主 | 吉良氏、酒井氏、松平氏 |
| 廃城年 | 明治11年(1878) |
| 遺構 | 曲輪、石垣、土塁、横堀 |
| 指定文化財 | 市史跡(西尾城跡) |
| 再建造物 | 丑寅櫓、復元門、石碑、説明板 |
| 住所 | 愛知県西尾市錦城町231-1 |
| 問い合わせ先 | 西尾市教育委員会事務局文化振興課文化財担当 |
| 問い合わせ先電話番号 | 0563-56-2459 |