にしおじょう

西尾城

愛知県西尾市

別名 : 西条城、西丘城、鶴城、鶴ヶ城、錦丘城
旧国名 : 三河

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二の丸二重丑寅櫓西面
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カズサン

夕陽に染まる二の丸丑寅櫓と続き屛風折れ土塀 (2025/11/15 訪問)

 夕刻の本丸丑寅三重櫓と鍮石門の続です。
 
 本丸の三重丑寅櫓、二の丸二重丑寅櫓も夕陽に染まり始めました、期待した二の丸二重丑寅櫓へは入館できず、その時は閉まって居ました、広場には結構な人が出て居りました、二の丸丑寅櫓を広場側より北の通り県道383号線側から見学撮影、西尾城には3月1日にも訪ねて居り2025年は2度目です、丁度三河国城びと登録最後の登城松平城山城(大田城)を初登城踏破した日で三河の未踏の城陣屋を廻って最後の夕刻でした。
 現在3月もそうでしたが県道383線と西の城下河川改修、橋の付け替え工事中で二の丸北西に在る天守台石垣の撮影が工事用機材によって撮影が出来ません。工事は令和8年3月15日に終了の様です。
 二の丸二重丑寅櫓と続き屛風折れ土塀土塁の復元は令和2年7月に完成しています、又二の丸天守台は平成26年に復元されています。

 帰りも国道23号線(第三の高速道路BP名古屋から浜松)を利用、西尾から入り大渋滞、行きも帰りも大渋滞で高速では有りませんでした。
 

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カズサン

夕刻の本丸丑寅三重櫓と鍮石門 (2025/11/15 訪問)

 知多半島沖の篠島に在る篠島城初登城で愛知県尾張国三河国の城びと登録の城を踏破の後、時間も有り第三の高速道R23への撮り道でもあり西尾城へ寄りました、近い以前しんちゃんの投稿で二の丸丑寅櫓に入れたとの投稿も有り、入れたら二の丸丑寅櫓入城したいとの微かな希望もあり寄った次第。
 何時もの二の丸丑寅櫓東の西尾市歴史公園駐車場を利用、夕刻でも混んでおり空いた処に入った次第。
 二の丸、本丸、西尾市資料館に寄って約30枚ほど撮影しましたので、本丸三重丑寅櫓と鍮石門の写真を投稿します。
 本丸三重丑寅櫓と二の丸鍮石門は平成8年復元で約30年を経過しています。

 夕陽の染まる二の丸丑寅櫓と続き屛風折れ土塀に続きます。
 

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しんちゃん

二之丸丑寅櫓 (2025/11/02 訪問)

西尾城の二之丸丑寅櫓は二之丸の北東隅に建てられていた隅櫓です。外壁は黒い下見板張で石落としなど史実に近い形で復元してあります。長いこと立入が出来ませんでしたが、久々に訪ねてみたら入れるようになっていました。
城址は西尾市歴史公園として整備され本丸丑寅櫓、二之丸丑寅櫓、屏風折れの土塀(土塁)、鍮石門(櫓門)などが再現されていて、なかなか楽しめる城址公園になっています。

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しんちゃん

ダブル忠次親父 (2025/08/09 訪問)

ちょっと西尾城に行ってきました。久しぶりに来たら屏風折れ土塁がツートンになってる。とがってる所だけ草を刈ってあるのかな?
冬場になると同じ色になるのだろうか? 微妙だ・・
ところで本多康俊って誰だっけ? どうやら酒井忠次の次男らしい。母は松平広忠(家康の父)の妹なので、何と徳川家康の従兄弟になるらしい。なにげに広忠も存在感薄いよな。
康俊は天正8年(1580)に本多忠次の養子となり、関ヶ原の合戦で武功を挙げ三河西尾に2万石の所領を与えられたそうな。出自と功績の割に扱いが悪いような気がする・・気のせいだろうか?
大坂夏の陣では首級を105取って近江膳所に3万石で移封になったそうな。家康、どケチじゃん。
しかし実の父と義理の父が同じ名前とは・・どういういきさつなのか? ちょっと忠次お父さん?

酒井忠次・本多忠次「おうよ?」  やっぱり同時に返事が来た

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城郭情報

分類・構造 梯郭式平山城
天守構造 複合式望楼型[3重4階/1585年築・1645年頃改/解体]
築城主 足利義氏
築城年 承久年間(1219〜1222)
主な城主 吉良氏、酒井氏、松平氏
廃城年 明治11年(1878)
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀
指定文化財 市史跡(西尾城跡)
再建造物 丑寅櫓、復元門、石碑、説明板
住所 愛知県西尾市錦城町231-1
問い合わせ先 西尾市教育委員会事務局文化振興課文化財担当
問い合わせ先電話番号 0563-56-2459