だみねじょう

田峰城

愛知県北設楽郡

別名 : 田峯城、田嶺城、蛇頭(じゃずが)城、龍ノ城、竜の城
旧国名 : 三河

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田峯城
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T-Shionoya

田峯城 復元された中世の山城 (2025/11/02 訪問)

昨年11月に訪れた愛知県北設楽郡設楽町の田峯城。

三河山地中央部、東三河の豊橋平野と信濃国を結ぶ伊那街道の通過ポイント。東と南を寒狭川(豊川上流部)が蛇行して流れる田峯台地の南東部の小山に築かれた城。比高は川側が約150m、台地側が約30m。

1470年に菅沼定信が築いた田峯菅沼氏代々の居城。
長篠設楽ヶ原の戦いでは城主定忠が武田に従い出陣したが、敗走する勝頼の入城を留守居の定直らが拒絶したエピソードが有名。
1582年に菅沼定利が飯田郡代に就くと、田峯城は廃城となりました。

現在は、曲輪や堀が残り、本丸には他の中世城郭を参考に御殿や物見台などが復元されている城跡。

訪問時は、まず木橋から曲輪群を巡り、裏曲輪から東の堀切へ。再び曲輪群に戻り本丸へ上がると、本丸虎口は小規模ながら2つとも枡形を形成。
また本丸御殿の展示によると、長篠設楽ヶ原の戦い前から定直は徳川を支持していたという事も、個人的には収穫の1つ。

全景の撮影ポイント探しも愉しんだ、私の城郭巡りの217城目でした。

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しんちゃん

シンクロニシティ (2025/12/07 訪問)

合戦の際の武田勝頼のことを考えながら田峰城を訪れました。ここを攻めたら三河守ゲット・・あっ邪念が入った。長篠・設楽ヶ原の戦いで敗れた武田勝頼は田峯城主・菅沼定忠と共に田峯城を訪れますが、定忠の叔父の定直と家老の今泉道善に門前払いを食ってしまいました。
捕縛されるのを怖れた一行は武節城まで逃げ延び、なんとか一命をとりとめました。後に田峯城は定忠によって落とされ、定直と道善は「鋸挽きの刑」にされたそうです。いたそうだな~
勝頼氏の足跡をたどってここまで来ましたが、けっこう閉館が早い。戸がバタバタ閉まって行きます。こんな所まで勝頼氏と一緒か・・門前払いを食ってしまったでござる。
正確には門前払いで無く門の中には入れました。「リア攻め」できたしいいか・・前に訪問してるし。何回か来てるし。
そのうちまた来るでござる。

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しんちゃん

奥三河の山奥に再建された中世城郭の居館。 (2013/07/20 訪問)

古い写真で申し訳ないですが、2013年、およそ10年前に
訪問しています。たしか2回訪れているとは思いますが
この写真は最初に訪問した時の物ですね。
設楽城は主郭を中心に北から北西側に段々に多数の郭が配置されており
主郭には復元した居館が建てられています。
7月半ばなのに紫陽花が咲いてます‥ 温暖化を実感しますね。

城主の設楽氏は「設楽系図」によると菅原氏の後裔とされ
(三河大伴氏後裔説もあり)、戦国期は今川氏に従っていましたが
氏真の代になると、菅沼氏や西郷氏らと共に、松平氏に従ったと
伝わります。吉田城の近くの龍拈寺の門前で今川方に反旗を翻した
三河の豪族の人質が処刑されています。
串刺しという、当時では最も残酷な処刑方法の一つですが
その処刑された13人の中に設楽氏の妻子もいたのかもしれません。

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マコト

田峯城 (2022/01/29 訪問)

断崖絶壁とはここのこと。
でも写真では伝わらず。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 菅沼定信
築城年 文明2年(1470)
主な城主 菅沼氏、奥平氏
廃城年 天正10年(1582)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 町史跡(田峯城址)
再建造物 模擬御殿、模擬門、模擬物見櫓、石碑、説明板
住所 愛知県北設楽郡設楽町字田峯字城
問い合わせ先 設楽町観光協会
問い合わせ先電話番号 0536-62-1000