日本100名城

ちはやじょう

千早城

大阪府南河内郡

別名 : 楠木詰城、金剛山城
旧国名 : 河内

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千早城
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しんちゃん

楠木正成の奇策。籠城戦の最終兵器も投入。 (2024/11/03 訪問)

千早城は金剛山城とも呼ばれ、元弘の乱(1331~1333)において楠木正成が籠り、鎌倉幕府の大軍相手に戦ったことで有名な城です。金剛山への登山道から裏参道を通って社務所のある三の丸下まで登り、そこから本丸を目指しました。千早神社は二の丸の跡とされ、その上が本丸になりますが、櫓台と見られる最高所は聖域とされているので登ることは出来ません。
千早城の籠城戦では、大石や大木を落としたり、矢を四方八方から射かけたり、火攻めを行ったりと、あらゆる奇策を以て、幕府の大軍をさんざんに手こずらせたようです。一説には例の最終兵器を煮詰めて敵に撒いたりしたとか・・「フン尿」を戦に用いたというのは後にも先にも「千早・赤坂城の戦い」でしか聞かないエピソードですが、当人の騎馬像が皇居の前にカッコ良く鎮座しているのを見ると、結局何でも有りなのか? という気持ちにならんこともないです。

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スミヤキ

東の高尾山・西の金剛山 (2025/01/31 訪問)

東の高尾山に対し、西の金剛山と呼ばれ、年間登山者数100万人超と関西随一の人気を誇る金剛山の中腹に千早城は、あります。

登山口になる金剛山「山の豆腐」の駐車場を利用、百名城スタンプをゲット(99城目)。登城ルートを聞いて、ご褒美の
おから豆乳ドーナツ、豆乳パンを購入して、出発します。
金剛山登山道を進み、途中千早神社の裏参道ルートに入ると15分程で千早神社(千早城二の丸)に着きます。神社、霊山など聖域特有の静寂で張りつめた空気を強く感じ、聖地巡礼と言った方がしっくりします。平日のお昼頃だったのですが、登山道では多くの人達に遭遇しましたが、境内に入ると本当に静かで人が訪れた気配が無く、前日か朝方の降雪がうっすらまだ残っていて、そのコントラストにとても驚きました。

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2022/06/09 訪問)

※高取城と共に登城
※京都市内に後泊

7:07品川(新幹線)、9:27,9:47新大阪(地下鉄)、10:02,10,12なんば(南海)、10:45,11:55河内長野(路線バス)、11:23金剛山登山口
 (徒歩1分)千早城跡(百名城スタンプ 山の豆腐屋9:00-17:00)
 ※金剛山登山口からスタンプのある豆腐屋まで徒歩4分です
 ※河内長野からのバスは最近廃線になったと思うので要注意

12:30金剛登山口、13:04,13:16富田林、13:22,13:37古市、14:11,14:20壷阪山、14:31壺坂寺前
 (徒歩1分)壺阪寺

16:05壺阪寺前、16:14鶉町
 (徒歩6分)夢創館(高取城 百名城スタンプ 9:30-16:30)
 ※高取城への散策マップなどがあります
 ※帰りは城下町散策がてら徒歩で壺阪山駅へ行きました

16:54壷阪山(近鉄)、17:02,17:06橿原神宮前(近鉄)、18:21京都

京都市内泊

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初芽

徳川光圀公も認める楠木正成公の城! (2023/10/21 訪問)

滞在時間:1時間ほど

今回は千早城址だけを登城しましたが、
金剛山登山客が多かったです。
案内板を撮影し、確認しながら登城しました。
本丸跡の場所が分からず、多分神社の後ろ?
茶宴台広場付近から見えた砦みたいなのも本丸跡だったのかな?
表登山口の二柱の石碑の銘(徳川光圀公が
楠木正成公をめっちゃ推してる)がかっこよかったです。

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概要

鎌倉時代末期に後醍醐天皇の挙兵に応じた楠木正成が、赤坂城に代わる拠点として築城し、鎌倉幕府軍を迎え撃った。金剛山の中腹に築かれ、城跡には千早神社が建立された。改変されているものの、曲輪跡や空堀、竪堀、堀切などが今も残っている。

城郭情報

城地種類 連郭式山城
築城年代 正慶元年〔北朝〕/元弘2年〔南朝〕(1332)
築城者 楠木正成
主要城主 楠木氏
文化財史跡区分 国史跡(千早城)
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、横堀(空堀)
住所 大阪府南河内郡千早赤阪村千早
問い合わせ先 千早赤阪村役場
問い合わせ先電話番号 0721-72-0081