森城からの転戦です。説明板前(36.673858、136.734328)に路駐しました。
1183年(寿永2年)木曽義仲の軍を迎え撃つ為に、平家軍の平維盛が、小高い丘に砦を設け布陣したことがはじまりと云われています。
1190年(建久元年)には、井上庄の地頭津幡隆家が居城としました。その後、1351年(正平6年)富樫氏春が籠って桃井直常と戦ったそうです。
1576年(天正4年)から一向一揆が立て籠もっていましたが、1581年(天正9年)織田方の柴田勝家らに攻められ落城しました。
1583年(天正11年)前田秀継が築城し居城とし、1584年(天正12年)末森城合戦の時、ここで前田利家と秀継は末森城救済の軍議を開いたそうです。
1585年(天正13年)前田秀継は越中国今石動城の守将となり、後に越中国木舟城へ移りましたが、地震により没しました。
物見櫓跡と呼ばれる土壇に城址碑が建てられており、その手前に説明板があります。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=堅田城に向かいます。
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