遺構★★★★☆ 石垣(腰巻石垣、高石垣)、堀切、枡形虎口、土塁、雁木など
浜松城を終え、吉田城に行きました。吉田城はもともと今川氏と徳川家康が争った場所なのですが、最終的には家康が勝利し、酒井忠次に領地を与えられます。その後、池田輝政が愛知で生まれ、輝政は初めて城主となります。その城が吉田城でした。現在の吉田城は池田輝政の遺構であるそうです。
三の丸には鏡石を使った虎口が設けられていて三の丸と二の丸を土塁が囲んでいます。三の丸には太鼓櫓台が残っています。(土塁)
二の丸にはかつて御殿が置かれていたようです。二の丸と本丸は大きな堀切で仕切ってあり、堅固になっています。また堀切には一部石垣が使われていて、腰巻石垣も採用されていました。
本丸は4つの櫓で囲まれていたようです。本丸へ入れる門はたった3つで、周りが櫓と土塀で囲まれていたのでだいぶ攻めにくかったと思います。
本丸北側には枡形虎口の北御多門があり、それを通ると、腰曲輪に入ります。腰曲輪には高石垣と川手櫓跡、石垣の刻印が見れます。また、腰曲輪は大き豊川に面していて、貿易をしていたのではないかなと思います。
ざっと説明しましたが、いかがでしょうか?詳しい投稿は後日行います。吉田城は結構すごいところです。行ってみる価値は絶対ある!
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