⑫【関ケ原の26人 】(7)細川忠興 (細川忠興陣跡)
(2022/10/25 訪問)
(7人目)は「細川忠興」です。
関ケ原の「細川忠興陣跡」を訪れてきました。
細川忠興は5,000の兵をもって笹尾山にいる石田三成が見える位置に陣を構えます。忠興の陣に立ってみました。しかし、すべり台やブランコがある小さな児童公園の中にあり、回りは住宅に囲まれていて、あまり展望できませんでした(写真①)。しかし逆に、石田三成の陣(笹尾山)から見た忠興の陣の位置を見て私は「ハッ!」と驚きました。この(写真②)を見て下さい。忠興の陣は三成の陣の真正面に位置し、かつ東軍諸将の誰よりも三成に最も近い場所に陣を敷いていた事がお分かりになると思います(直線距離にしてわずか300mです!)。それはなぜだったのでしょうか?
私は想像しました。この時の忠興の思いは、愛する妻「ガラシャ(玉)」の命を奪った憎き石田三成を討ち仇を取る事、そしてこの戦に勝ち田辺城で敗れ捕らえられている父の細川幽斎(藤孝)を助け出す事。もうこの二点しか考えていなかったのではないかと思いました。そして忠興は、黒田長政とともに現在の決戦地の碑がある付近(写真②中央)で、三成と壮絶な死闘を繰り広げます。
次は、(細川忠興と小倉城)へ続きます。
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