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チェブ

説明板に見つかる。 (2023/02/04 訪問)

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に葛西 清重さん、出演してたかな~?と記憶をたどり、「葛西 清重館」に向かいました。

葛西 清重さんは源 頼朝さんに仕え活躍します。
実朝さんが暗殺されてしまった、鶴岡八幡宮での拝賀の式の行列に従っていたようです。
源 仲章さんと公暁さんしか思い出せない、、、。

「葛西 清重館」は『西光寺』に説明板がありました。
『西光寺』、葛西 清重さんが建立しました。
親鸞聖人が「葛西 清重館」に逗留しました。
梅雨のために足止めになった親鸞聖人の教えを、たくさん聞く事ができ弟子になったそうです。
「葛西 清重館」に『西光寺』を建立しました。

『西光寺』の門前で視線を感じます。
説明板らしい物は、見えません。
と、右斜め上に覗く説明板がありました。
なんだか、こちらが見つかったような気がした「葛西 清重館」でした。

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移築門2 (2023/03/11 訪問)

 犬山城を木曽川の対岸から見ていると、まだ行ったことのない移築門があったことを思い出して行って来ました。犬山城の寺の山門として残っているものが5つあるとされています。

瑞泉寺  内田御門
常満寺  松の丸裏門
専修院  二の丸矢来門
徳林寺  黒門
浄蓮寺  松の丸表門

瑞泉寺と常満寺は犬山市内にあり犬山城から比較的近くにあります。以前に行ったことがあり投稿したので、他の3つの門に行って来ました。犬山城からは少し離れていて名鉄電車の駅からも少し歩きます。

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カズサン

天守閣が真っ白修復されました (2023/03/08 訪問)

 令和4年6月から令和5年1月末で約30年近く成る復元天守閣の修復工事が行われて居ます、昨年の12月には工事延長され、令和5年3月末まで、修復工事の仮設足場は2月末頃には撤去されて、掛川桜鑑賞花見に訪ねた時には天守閣の外壁は白漆喰で真っ白、廻縁・高欄は腐食など修復されて黒漆塗りでピカピカに成って美しい姿を再び現しました。
 白漆喰が少し薄い黄色帯びて居ましたので、二の丸御殿の係員の方に伺うと、天守閣の漆喰は土佐漆喰塗りだそうで最初は薄い黄色ですが時間が経つと真っ白に成るそうです、これが土佐漆喰の特徴の様です。

 太鼓櫓も少し痛みと屋根のたわみが有りましたが修復工事の最中でした。
 写真は真っ白な天守閣・漆黒高欄を5枚、定番の建物、遺構より修復中太鼓櫓、三日月堀、十露盤堀、大手門番所、復元大手門を入れて投稿致します。

 4月以降になれば天守閣への登閣が公開され、大河ドラマどうする家康にも花を添えて呉れますのでどうぞ真っ白な木造復元天守閣をご堪能下さい。
 来年の令和6年は復元天守閣30周年の節目を迎えます。
 

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赤い城

秩父22番札所 永福寺 (2023/02/25 訪問)

秩父三十四観音の22番札所である永福寺が城跡。
駐車場もあります。
秩父駅から徒歩での登城も可能です。
永福寺が建つ部分が主郭で周囲は崖で守られていますか
西側は民家や畑になっていて一部土塁と堀が残っていました。

この日の山城攻めクールダウンで秩父氏館跡に続き登城。
これで埼玉県もコンプリートとなりました。
で、クイズと思いましたが、また微妙なものになりそうなのでやめておきます。

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イオ

太閤山砦(岐阜県羽島市福寿町間島) (2023/02/04 訪問)

太閤山砦(城びと未登録)は、小牧・長久手の戦いの戦いで羽柴秀吉が竹ヶ鼻城を水攻めした際に築いた砦で、秀吉の本陣が置かれました。太閤山砦のあった太閤山は削平されて遺構は消滅していますが、畑地の中の道路沿いには石碑と説明板が立てられ、畑地西隅のマキの大木は太閤山のすそ部にあたるようです。

石碑と説明板から北に徒歩2分の八幡神社にも間山太閤山の石碑が立てられており、石碑の裏側には由来の記載と、太閤山の削土から出土した水攻めの戦没者を弔ったものと思われる五輪石が祀られています。八幡神社は微高地上にあるので砦跡っぽく見えましたが、説明板によればやはり石碑と説明板のあたりのようです。ただ、八幡神社の裏手から東に続く土盛りは水攻めの土提跡のようにも見えました(たぶん違うと思いますが)。

太閤山砦と竹ヶ鼻城の間には水攻めの際に堤が築かれ、一夜堤と呼ばれています(秀吉あるあるですね)。堤は現存していませんが、跡地には一夜堤跡の石碑が立てられているので4か所の石碑をたどってみたところ、西的場緑地から竹鼻町蒲池交差点を経て羽島郵便局にかけては道路が緩やかにカーブしながら続いており、堤自体は残っていなくても町割りに堤の痕跡を感じることができました。
 

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但馬 山名氏を支える国人の城を巡る (2023/03/05 訪問)

城びと先人が遠望(ホトトギスさん)と縄張り図(おっちゃんさん)をアップされているので、現地写真を中心に投稿します。
城は、 円山川右岸にあり、玄武洞に行く道沿いに登城口(愛宕山登山口)があります。愛宕神社があるのは、Ⅳの郭ですが、広くて、説明板もあり、Ⅲの郭へは、一旦下りるので、主郭かと思いました。主郭付近には、畝状竪堀が認識されます。
玄武洞が近いだけあって、六角形の玄武岩が、さりげなく転がってました。鶴城の山体は、玄武岩・流紋岩を伴う安山岩質凝灰角礫岩ですと。

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小城小次郎

龍造寺隆信はここから雄飛した (2022/11/12 訪問)

佐賀城の下に眠る村中城ともども龍造寺氏のお城で水ヶ江は村中の分家なのだが両城はお隣同士と言えるほど近い。水ヶ江に生まれ還俗して水ヶ江を継いだ龍造寺隆信は村中を糾合しやがて九州を三分する勢力へと雄飛していった。

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侍ホリタン

小寺氏三代の居城を訪ねて (2023/03/04 訪問)

播磨守護職赤松氏の家臣小寺氏三代の居城でした。御着城最後の城主小寺政職公は重臣小寺孝隆(のちの黒田官兵衛)の進言により織田方につきましが、荒木村重公の謀反に呼応して毛利方に寝返ります。しかし1580年別所長治公の三木城が落城後に御着城も落城、鞆の浦へ逃れた小寺政職公は足利義昭公に仕える事になりました。本丸跡にはお城を模した姫路市役所東出張所が建てられています。アクセスはJR御着駅より徒歩10分、車利用の場合数台程停めれる市役所駐車場と西隣のグランド北側にも臨時駐車場があります。土日には地元小学生のボランティアガイドの方々が本丸跡、黒田家廟所、顕彰碑・目薬の木、二の丸跡、天川橋の説明をしてくれて大変勉強になります。時間は20分程です。

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侍ホリタン

史上初の層塔型天守が建てられた名城を訪ねて (2022/08/20 訪問)

関ヶ原の戦功で伊予の半国20万石の大名となった藤堂高虎公により築城され、史上初の層塔型天守が建てられた海城です。層塔型天守とは、各階を順次小さくして積み上げられた形で従来の望楼型に比べ構造が単純で工期が短縮出来る特徴があります。藤堂高虎公が伊勢・伊賀に移封後に今治城の層塔型天守は丹波亀山城に移築されています。現在の天守は本丸跡の北隅に再建された模擬天守です。
JR今治駅からの距離2キロ、最初に堀の広さに圧倒されます。弓矢が届かないように設計されてるようです。3つの櫓内部は資料館になっていて天守入場券で中に入れます。天守は最上階以外は撮影禁止、天守の展望は回廊型で今治市内を360度見渡せます。

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じゅんじん

水野氏 (2023/01/01 訪問)

どうする復元?

すすまんねえ。

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じゅんじん

元旦サイク (2023/01/01 訪問)

2023年初お城は緒川城。自転車で行きました🚴

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じゅんじん

天守台 (2022/12/30 訪問)

周りに堀がめぐってます。

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じゅんじん

(2022/12/30 訪問)

久しぶり。現存はよいですね。

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じゅんじん

目前で (2022/12/30 訪問)

突然黒いお尻の獣・・・(;'∀')

引き返しました。

後で冷静になれば鹿でしたね(/ω\)

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じゅんじん

西側 (2022/12/30 訪問)

中の城から5分程度。西の城になります。ここのほうが高いです。

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朝田 辰兵衛

本宿役場前で降りたのは自分だけ。 (2023/02/26 訪問)

武蔵五日市駅からのバスには,大勢の登山客で満員状態でした。しかし,本宿役場前で降りたのは自分だけ。周囲は山だらけだけど,どこか悲しく感じました。
標高:449m,比高:170m。吉祥寺奥の墓地にアーチ門の登城口があります。魅力は,東側に開けた眺望ではないかと思います。

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シェル

堀の広さが凄まじい!! (2023/03/07 訪問)

JR東北新幹線・IGRいわて銀河鉄道線の二戸駅東口から徒歩約30分
積雪の影響かは不明ですが、二ノ丸・本丸への入口は冊が設置されていて入れませんでした。
ですが二の丸切岸や三ノ丸などの遺構は見ることができ、中でも二ノ丸大手門脇の堀の広さは圧巻でした!!
城跡から二戸駅に向かう途中にある埋蔵文化財センターでスタンプを押印。
埋蔵文化財センターの展示によると、現在の遺構は、蒲生氏郷が九戸の乱ののちに改修したもので、戦国期のものではないとのことです。

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カズサン

【遠江・掛川古城】静岡県掛川市 大堀切が見所 (2023/03/08 訪問)

 住所:静岡県掛川市掛川1104(龍華院) 掛川城から東約200m程の小山
 駐車場:今回は掛川大手門駐車場(有料)しましたが掛川古城跡龍華院の駐車場利用可能、但し登り坂は急勾配です。

 掛川桜、掛川城、二の丸御殿、二ノ丸茶室と喫茶を味わい、王将戦の場の雰囲気も実感し、二ノ丸美術館のある二ノ丸北側の出口から東に約200m程の所のある掛川古城を目指す、途中に報徳社の建物、ハス池、掛川中央図書館、掛川第一小学校を見ながらの散策。
 そうこうしてると掛川古城跡である龍華院へ、勾配のキツイ坂道を登ると左に龍華院と参拝駐車場、一段登って家光公のお霊屋である龍華院大猷霊屋が本丸中央に在る、案内板あり、東側一帯に土塁、その東は二の丸間の見所である大堀切、東の階段を降りて大堀切の底に到着、左右の堀切状態を確認樹々で鬱蒼としてる、東の二の丸へ登り遊戯公園と成って居る、東の尾根筋曲輪は開発開削されて掛川中央消防署として活用、南側は20~30m下に居館跡、現在は掛川第一小学校敷地。
 
 掛川古城跡は今川氏真が武田信玄の駿河侵攻により今川氏家臣の朝比奈氏が守る掛川城に逃げ入り込んだ城ですが、その後家康の遠江侵攻により掛川城の包囲合戦で約半年近く攻防を続ける中、家康は周囲に付城、砦を築きじわじわと攻め、その間には遠江の今川武将の守各城を攻略、ついに和睦をして今川氏真は妻と妻の実家である北条氏の領地伊豆に退去。
 掛川古城跡二の丸で見晴らしも良く、掛川城包囲合戦の付城、砦を遠望する、家康本陣の天王山龍尾山砦は北側の森の様な小山、南側の青田山砦、最近発掘調査された杉谷城を遠望するが良く分からない。
 この間の家康が今川氏真を完全包囲【遠江】掛川城攻め付城群は歴史群像2023年4月号No178に日本城郭協会理事の加藤理文さん香川元太郎画伯のイラストで5頁に纏められています。
 
 写真投稿は10枚です、10枚目は二の丸茶室で頂いた抹茶と練和菓子、王将戦の場で雰囲気良く頂きました喫茶セットです。
 
 大河ドラマどうする家康では掛川城の包囲合戦の扱いはどうなるでしょうか?ありやなしや楽しみな所です。
 


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イオ

比定地と周辺散策 (2023/02/04 訪問)

室町中期に竹腰尚隆が築いたとされ、織田信雄に仕えた不破広綱が城主の頃に城を改修し城下を拡張しましたが、小牧・長久手の戦いで羽柴秀吉の水攻めにより開城。関ケ原の戦いの際は織田秀信配下の杉浦重勝が城主でしたが、秀信が西軍についたため福島正則ら東軍の攻撃を受けて落城し廃城となりました。

市街化により遺構は消滅しており、比定地も諸説あるようですが、本丸比定地には天守風の歴史民俗資料館が建ち、資料館前には竹ヶ鼻城本丸之趾の石碑と説明板(関ケ原の戦い)が立てられています。歴史民俗資料館には映画資料館も併設されており、そちらもあわせて見学したいところでしたが、時間に余裕がなかったので諦めて、隣のぐるっと羽島(観光交流センター)に車を駐めて周辺の散策を。歴史民俗資料館の裏手(東辺)の水路は堀の名残とされ、北に徒歩3分の光照寺の西辺まで続いています。資料館の斜向かいにはお城地蔵大菩薩が建ち、杉浦重勝ら関ケ原の戦いでの戦没者が弔われています。お城地蔵の奥は真宗大谷派竹鼻別院で、藤の名所として知られているようです。

資料館の北西1.4kmには羽柴秀吉が竹ヶ鼻城を水攻めした際の本陣があるようなので、折りたたみ自転車で行ってみました(続く)。
 

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橋吉

お薦めの山城 (2023/02/28 訪問)

大給松平家の山城である大給城へ行ってきました。

まず、アクセスが簡単!
それでいて、土塁・虎口・石垣・堀切など山城の基本構造はしっかり残っています。
城内には巨石がごろごろある!
突然広がる眺望!
そして謎のダムである水の手曲輪!

いずれもすばらしいお薦めの山城です。
https://blog.goo.ne.jp/pf11/e/df7ee901eaeba1355df91a15727fa940

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