説明板に「土塁と空堀で区画された主郭と、細長い第二郭が並ぶ直線連郭状の城跡で、現在城山団地になる一帯にも、山小屋と呼ばれる腰曲輪(郭)が存在していた。そのため長軸で500m、短軸で240mが城域と考えられる。南西部はガンガン坂と呼ばれる切り通しで区切られるが、かつては城域を区切る堀切であった可能性が高い。緩傾斜の北側斜面には腰曲輪(郭)が回り、堀切や削り落としを持つ支尾根が数多く延びている。
一説には土気酒井氏が土気からいったん田間城に移り住み、城地の狭いことから東金城へ移ったというが、裏付ける資料はない。むしろ縄張から判断すると、16世紀中ばころ東金酒井氏領域の東端の境目の城として機能し、天正18年(1590)に東金城落城とともに、廃城となった可能性が高い。」と載る。
田間神社さんに断り駐車させてもらう。城跡の西側(搦手)からも行けるようだが、社殿左横から上り出す。道は整備されているが、斜面はほぼ密集した竹林になっている。主郭と二の郭を分ける堀の先が長い帯郭で、田間神社元宮が建っている。帯郭・主郭は端から下は竹林化し、竹の間から腰郭が見える程度。主郭の二の郭側に土塁と虎口表記があるが、篠・下草等が多くほぼ分からない。二の郭も主郭同様に檜?・笹等が多い。特に南側下の法面は木々が鬱蒼としている。
西方面は緩い斜面に幾段もの平地を設けている。堀と思われる場所があるが、主要な郭も切岸くらいで、全体に堀が少ない。城山団地西は現代の切岸になり、上に熊野神社・城山公園がある。
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