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ryu

立花山城探訪登山 (2023/01/08 訪問)

久しぶりに立花山に登って立花山城をじっくりと探訪しようと、縄張り図を片手に立花山七峰を巡り遺構を見て回った。
連休中日で登山者は多かった。
探訪ルート
立花口の登山口より入山。イバノヲ・大タヲの石垣(立花口側)~下原側の隅角部を持つ石垣~登り石垣と空堀~松尾山山頂部の曲輪、堀切~白岳山頂部の二段の曲輪~大つぶらの曲輪~小つぶらの防塁状の石積み、畝状竪堀群~井楼山西側の石垣、曲輪~山頂部の虎口、櫓台~三日月山への尾根上の堀切~古井戸~馬責め場~大一足の曲輪、石垣~小一足の曲輪~立花口の登山口に下山

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チェブ

あれは、異国の黒船か!いや、平家か!里見か! (2022/12/25 訪問)

いやでござんす(1853年)ペリーさん。
と、学生時代にテスト前、必死で暗記したせいか『浦賀』と言ったらペリーさんしか出てきません。

黒船を睨もうと『東叶神社』へ。左手に古い説明板があり
『源 頼朝が再興の折、伊豆より移植奉納。』
立派な蘇鉄でした。頼朝さん、、、?
幕末気分が鎌倉時代に移ります。
こちらの神社、1181年 源氏の再興を願って霊をお迎えしたんだとか。願いが叶って『叶大明神』と呼ばれるようになりました。

階段を上ります。かなり ゼイゼイする頃に「浦賀城」に到着します。
『勝 海舟 断食の跡』の碑があり、幕末へ。
少し高くなって海が見渡せる所に「浦賀城」の説明板がありました。
「三崎城」の出城として、北条 氏康さんが浦賀水道と里見氏の房総半島を睨むため、築いたんだそうです。
気分は戦国へ。
と、頭の中で、いろんな時代を楽しめます。

そうそう、京急 浦賀駅のそばの壁に学生達が描いた 大きな絵画が、いくつかありました。
車の信号待ちで見つけ、じっくり見られませんでした。絵画からも『浦賀』を学べます。
『いやでござんす』だけだった『浦賀』の歴史でしたが、
たくさんの先人たちが、自国を守る為に「浦賀城」で睨んできたのでしょう。

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todo94

2022年・城納め (2022/12/28 訪問)

神浦城からの転戦です。結構な距離があり、時間がかかってしまったので、予定していた福田城はパスしてしまいました。中に踏み込んでみましたが、海岸に降りていく道は見つけられませんでした。翌29日に、高島に渡ったのですが、その折りに渡船より、四郎ヶ島台場を観ることが出来たのはラッキーでした。世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の1つ、ジャイアントカンチレバー・クレーンもよく見えて長崎港からの船旅はなかなかのお薦めです。良い形で2022年の城納めができたと思います。

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遊如

コンパクトで見やすい (2022/05/04 訪問)

帰省のついでに立ち寄り。
平城で町中にあるので、周りから見えづらいのが勿体ない。

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遊如

石垣、見晴らし、最高! (2022/11/08 訪問)

高松から足を伸ばして行ってみた。
行ってよかった、期待以上。
圧巻の石垣と、瀬戸内海を一望できる眺望が最高!

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遊如

凄すぎる、、、語彙力^^; (2023/01/15 訪問)

30年ぶりくらいの訪問。
菱の門が綺麗になってた。
圧倒的存在感で、脳がバグります^^;

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遊如

鉄板張りになって白と黒のコントラストが最高! (2023/01/16 訪問)

リニューアルしてまだまだピカピカ。
白と黒のコントラストがフォトジェニック。
伏見櫓の裏側、カワイイ!

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遊如

写真でも凄いが、実物はもっと凄い! (2023/01/17 訪問)

自然の岩と石垣の融合が最高!
天守裏の2重櫓の岩と石垣も必見。
土塀も素晴らしい。
大手門の石垣は圧巻!

写真も凄いけど、実物の凄さは何倍も上。行かないと損。

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侍ホリタン

「丹波の赤鬼」と呼ばれた赤井直正公の居城を訪ねて (2022/05/08 訪問)

一度は丹波攻めの明智軍を八上城主の波多野秀治公と連携して大敗に追い込みましたが、直正公の死後、再度の明智軍の丹波攻めにより落城しました。明智光秀公の丹波平定後は重臣の斎藤利三公が黒井城麓の下館(現興禅寺)を陣屋として西丹波を統治しました。下館ではのちの徳川三代将軍家光公の乳母である春日局(幼名お福)が誕生し、3歳までを黒井城下で過ごしたと言われています。
駐車場は興禅寺前と登山道入り口前に無料駐車場あります。興禅寺前の駐車場はトイレと休憩所が併設されていて休憩所ではゆかりのある赤井直正、明智光秀、春日局を紹介した展示物があります。登山道は緩やかなコースと急なコースに分かれています。 本丸跡は遮るものがないので360度のパノラマが楽しめます。
100名城スタンプは春日住民センター、御城印は道の駅「丹波おばあちゃんの里」にあります。

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トク

⑫【関ケ原の26人 】(7)細川忠興 (細川忠興陣跡) (2022/10/25 訪問)

(7人目)は「細川忠興」です。
関ケ原の「細川忠興陣跡」を訪れてきました。

細川忠興は5,000の兵をもって笹尾山にいる石田三成が見える位置に陣を構えます。忠興の陣に立ってみました。しかし、すべり台やブランコがある小さな児童公園の中にあり、回りは住宅に囲まれていて、あまり展望できませんでした(写真①)。しかし逆に、石田三成の陣(笹尾山)から見た忠興の陣の位置を見て私は「ハッ!」と驚きました。この(写真②)を見て下さい。忠興の陣は三成の陣の真正面に位置し、かつ東軍諸将の誰よりも三成に最も近い場所に陣を敷いていた事がお分かりになると思います(直線距離にしてわずか300mです!)。それはなぜだったのでしょうか?

私は想像しました。この時の忠興の思いは、愛する妻「ガラシャ(玉)」の命を奪った憎き石田三成を討ち仇を取る事、そしてこの戦に勝ち田辺城で敗れ捕らえられている父の細川幽斎(藤孝)を助け出す事。もうこの二点しか考えていなかったのではないかと思いました。そして忠興は、黒田長政とともに現在の決戦地の碑がある付近(写真②中央)で、三成と壮絶な死闘を繰り広げます。

次は、(細川忠興と小倉城)へ続きます。
 

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小城小次郎

見違えるほどの変貌ぶり (2023/01/18 訪問)

以前は贔屓目に見てもフォトジェニックとは言えなかった天守がライザップに通ったかの如く精悍な姿に変貌した。チームラボの誘致を含め福山城アピールに全力投入する福山市の姿勢には見習うべき点が多いと思う。

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本多俊政 (2023/01/21 訪問)

  久しぶりに高取城へ行ってきました。以前に行ったのが2011年4月新緑の季節に行ったので次は冬に行こうと思っていましたが、ずいぶん時間が経ってしまいました。
 八幡口から登城して壺阪口門から本丸周辺を散策した後、二ノ門方面から下りてきました。石垣パラダイスの山城で、主要な曲輪以外にも多くの石垣が残っています。何気なく振り向いたり、下を見たりすると木の間などから石垣を見つけることもあります。二ノ門まで行って引き返して、さらに散策するつもりでしたが、かなり歩き回ったこともあり心身ともにヘタっていてニノ門から登って戻る気力がなく、そのまま黒門方面へ下山しました。吉野口門方面へも行きたかったのですが、伐採作業をされていたので、今回は遠慮させていただきました。江戸時代、本多氏から植村氏と変わっていますが石高は25000石。維持するのは大変だったのではないかと思ってしまいます。
 弁当を持ってきて1日過ごしてもよかったかなと思いました。

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モト

主郭に残る石段が素敵でした (2023/01/12 訪問)

城跡では山の上にある主郭は自然公園になっています。
個人的には主郭部分に残る石段が雰囲気があって印象に残りました。
もちろん主郭部分の囲む土塁もそこに残る少しある石垣にも目がいきました。
ここはぜひ林小城tセットがおすすめです。
松本市に残る城跡はどれも見応えがある物ばかりですね。

私は大嵩崎から登りました。
ここは林小城のある山との間にあります。
林大城と小城の連携を想像しながら登ることができました。
主郭のある頂上まではまぁまぁの勾配があり、頂上までは時間は15分くらいでした。
大嵩崎とは反対の橋倉には駐車場もあるようなのでそこを目指して行ったのですがこの時期は場所によっては雪があります。
おかげでスタッドレスを履いていなかった車は坂を登る事ができずたどり着く事ができませんでした。
その時は半分諦めかけて小城だけでも行ければと行ってみた結果小城の入り口付近に少々の停めるスペースがあり両城跡に行く事ができました。

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侍ホリタン

山陰の名城を訪ねて③ (2022/05/05 訪問)

国宝、現存十二天守の一つです。関ヶ原の戦功により月山富田城主となった堀尾忠氏公の父吉晴公が孫の忠晴公と共に築いた城です。堀尾氏の跡、京極氏と続き松平直政公から松平家10代の居城となりました。
GW期間中で近郊の駐車場は満車でしたが、島根県民会館横の有料駐車場が空いていました。

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にのまる

まだ続きがありそうな…… (2022/12/31 訪問)

障子ケ岳を見上げたあと大内氏館へ移動。徒歩40分くらいでした。
歴史民俗史料館も大路ロビーも龍福寺資料館も休館でしたが、大晦日なので全然OKです。(スタンプは2箇所とも外に出してくださっていました。写真⑨が歴史民俗史料館で⑩が大路ロビーです。)
龍福寺の大内義興馬上展望像、池泉庭園、石組みかまどなどを見て、西側の石組溝、復元西門、枯山水庭園、北側の土塁へまわりました。往時の姿が思い浮かぶ復元と解説がありがたいです。

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にのまる

光秀が逃げ出した

勝竜寺城は「麒麟がくる」が始まる少し前に行きました。
土塁上から狙われる枡形と北門の定番写真📷

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ぴーかる

映える白い石垣 (2022/12/30 訪問)

【鹿伏兎城】
<駐車場他>JR加太駅前駐車場
<交通手段>車

<見所>石垣・土塁
<感想>神福寺前の城跡説明板によると、鹿伏兎城は関盛政の4男盛宗(鹿伏兎氏祖)が正平年間(1346〜1370年)に築いた。はじめ「牛谷城」と呼ばれたが7代定好の時に改修を行い鹿伏兎城と改めた。9代定義の時秀吉の軍勢に攻められ落城しました。
 駐車場と登城ルートは魁のヒロケンさんの案内が非常に役立ちました。ありがとうございました。案内通りに<34.839933, 136.335336>ポイントの石碑の裏の小径奥に進み⇒線路を跨ぎ⇒池の右奥から山に入り⇒寺社跡?の石垣の脇を通り⇒石仏祠の並んだ右手の土橋状の尾根を渡り進むと石垣が見えてきました。虎口横の大石垣は少し丸みがある薄灰色、光の反射で白く輝き美しい。虎口は内型の右折曲がりになっていて主郭より高い位置にある。城跡はほぼ単郭で山尾根を利用した高土塁、谷側は土居、主郭奥に石組井戸、尾根上曲輪・付属の曲輪がある。城跡に至る残り2方向の尾根を少し確認したが堀切等は無く防備は少し甘いと感じた。

<満足度>◆◆◇

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赤い城

神社の裏手に深い堀切 (2023/01/09 訪問)

近くまでいくと案内板があります。
それに従い進むと小川の先に駐車できるスペースがあります。
さらに進むと案内板があり、民家の脇から登って行きます。
少し登って右側に入ると深い堀切がありました。
東ノ郭と三郭の間かな?おそらく夏は藪です。
さらに登城路を登ると鳥居があり、折り返す感じで登ります。二郭と主郭の間にも堀切がありますが伐採された枝で埋まっていました。
おそらく深いです。
手前に井戸跡もありました。
主郭には神社が鎮座し、説明板も立っています。
この主郭背後に降りると深い堀切。
この時季でもやや藪ですがそれでもよく掘ってあることがわかります。
常陸と磐城の境の城で何度も争奪戦が繰り広げられた城です。

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侍ホリタン

山陰の名城を訪ねて② (2022/05/05 訪問)

近年テレビで紹介され天守台から見る大山から登る朝日が「ダイヤモンド大山」として注目されている城跡です。
吉川広家公が日本海側の支城として築城を始めてその後城主となった中村一忠公により完成しました。その後加藤氏、池田氏と城主を変え荒尾氏が明治まで11代に渡り城を預かり管理することになります。
「内膳丸」経由で本丸を目指される方は、湊山公園駐車場が便利です。 ただ、駐車場へ向かう道路は道幅が狭いので運転に気をつける必要あります。御城印、100名城スタンプは山陰歴史館内にあります。

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侍ホリタン

山陰の名城を訪ねて① (2022/05/05 訪問)

尼子歴代の居城です。尼子氏滅亡後は毛利氏、吉川氏、堀尾氏と城主を変えて1615年一国一城令により廃城となりました。
駐車場は麓から登られる方は、道の駅「広瀬・富田城」の駐車場を利用することになります。隣の歴史資料館でトレッキングポールの貸し出しを行っていました。中腹から登られる方は「花の壇」近くに駐車場あります。登山道は整備されていて登りやすいですが、「山中御殿」から三の丸へ向かう登山道は急な曲がりくねった階段が続きます。御城印、100名城スタンプは歴史資料館内にあります。

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