しょうえいじ

勝栄寺

山口県周南市

別名 : 勝榮寺
旧国名 : 周防

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にのまる

春の18きっぷで🚃 (2025/03/22 訪問)

仕様が変更になった18きっぷの5日間ver.で山陽山陰城めぐりに出かけてきました。
最初の下車駅は炎のストッパー⚾️津田恒美投手の故郷、新南陽です。

線路沿いに歩いて数分で勝栄寺に着きました。城館的寺院だったそうで、残存土塁を見学できました。環濠の水紋も表面再現してあり往時をイメージしやすかったです。

毛利元就がこの地で「三矢の訓」を認めたことを示す碑や豊臣秀吉か朝鮮出兵の際に植樹したと伝わる「太閤松」の切株の説明板がありました。(切株は探したのですがどれなのかわかりませんでした。)

線路沿いなので列車と土塁を撮れたらいいなと時刻表を見ましたが来そうになかったので駅に向かおうとすると貨物がやってきました。が、あと10秒くらいのところで間に合わなかったです。

10枚目の写真は防府市の毛利邸・毛利博物館です。(別日に行きました。)

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朝田 辰兵衛

「三矢の訓」はここで…🏹🏹🏹 (2024/06/21 訪問)

JR下関駅から山陽本線を2時間ほど進んだところで途中下車。JR新南陽駅から,徒歩約5分の駅チカ物件です。
あの毛利元就公の教訓状発祥の地です。駅は無人駅でしたが,もうちょっとPRしといた方がいいのでは…と感じました。

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しんちゃん

勝栄寺土塁及び旧境内 毛利元就教訓状発祥の地 (2024/01/02 訪問)

勝栄寺は南北朝時代に建立された寺院で開基は大内弘世の重臣・陶弘政とされています。寺院でありながら周囲に堀と土塁をめぐらせた城館造りで現在も土塁を良く残しています。弘治元年(1555)の厳島合戦で陶晴賢を破った後、大内氏の残党が起こした一揆を鎮圧するため弘治3年(1557)に元就は勝栄寺を本陣とし、一揆を鎮圧したとあります。毛利家の三矢の訓とされる教訓状はここに滞陣中に書かれたとされ、それらは14ヶ条にも及ぶそうです。

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三本の矢 (2024/02/23 訪問)

 開山は其阿上人、開祖は陶弘政と伝わっている時宗寺院(現在は浄土宗)です。土塁と環濠を守られた寺院でした。土塁の一部が残っています。
 厳島の合戦後、一揆を鎮圧した際に毛利元就が本陣を置いたことも知られています。ここで3人の息子に14ヶ条の教訓状(3本の矢の教え)を書き残したといわれています。

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城郭情報

分類・構造 城郭寺院
天守構造 なし
築城主 陶弘政
築城年 正平5年〔南朝〕/観応元年〔北朝〕(1350)
主な城主 陶氏
遺構 土塁
指定文化財 県史跡(勝栄寺土塁及び旧境内)
再建造物 石碑、説明板
住所 山口県周南市中央町古市北3-10
問い合わせ先 周南市生涯学習課文化財保護担当
問い合わせ先電話番号 0834-22-8677