しょうえいじ

勝栄寺

山口県周南市

別名 : 勝榮寺
旧国名 : 周防

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征19日目:勝栄寺 (2026/05/29 訪問)

宿泊先のホテルの朝食前に、勝栄寺を攻城しました。
新南陽駅から徒歩5分くらいで、勝栄寺土塁入口(34.070343、131.765558)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、1350年(正平5年・観応元年)頃に陶弘政によって築かれたと云われています。
陶弘政は富田保を領して陶氏館に住んだ大内氏の重臣で、勝栄寺の開祖となり、開山は其阿上人によるものだそうです。
厳島合戦で陶晴賢を敗った毛利元就は、1557年(弘治3年)大内氏の本拠である周防・長門の平定に乗り出して、勝栄寺に陣を構えました。
「三本の矢」で著名な三子教訓状はこの地で書かれたものとされています。

現在、勝栄寺周囲に土塁だけは残っています。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=敷山城を攻城する前に、ホテルに戻って朝食を食べました。

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カズサン

土塁が町中によく残って居ます (2025/11/01 訪問)

 今回の城探訪9日目、豊前の旭城を終えて九州は終了、高速道を乗り継いで約170km程徳山西ICを降りて周南市図書館近くの勝英寺へ、毛利元就が息子三人に教訓状「三本の矢」を勝英寺で書いたと言われる。
 駐車場:西隣の周南市図書館駐車場、と思ったのですが工事中で進入禁止、勝栄寺西の土塁横に路駐。
 参考資料:城郭放浪記さん城びと皆さんの投稿グーグルマップに依る。

 城びと皆さんの投稿に触発されて認知して今回の城廻りの帰路に加える事にしました。
 土塁が西側に北から西側へ南側は道路とJR山陽本線で削られてのでしょう、昔はぐるっと土塁で囲まれていた事でしょう。土塁の西側外に勝栄寺土塁の説明板が在るが経年劣化して見にくい。路駐してるのでサラッと見て終了。
 三本の矢の教えを説いた城造りのお寺です。
 
 

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にのまる

春の18きっぷで🚃 (2025/03/22 訪問)

仕様が変更になった18きっぷの5日間ver.で山陽山陰城めぐりに出かけてきました。
最初の下車駅は炎のストッパー⚾️津田恒美投手の故郷、新南陽です。

線路沿いに歩いて数分で勝栄寺に着きました。城館的寺院だったそうで、残存土塁を見学できました。環濠の水紋も表面再現してあり往時をイメージしやすかったです。

毛利元就がこの地で「三矢の訓」を認めたことを示す碑や豊臣秀吉か朝鮮出兵の際に植樹したと伝わる「太閤松」の切株の説明板がありました。(切株は探したのですがどれなのかわかりませんでした。)

線路沿いなので列車と土塁を撮れたらいいなと時刻表を見ましたが来そうになかったので駅に向かおうとすると貨物がやってきました。が、あと10秒くらいのところで間に合わなかったです。

10枚目の写真は防府市の毛利邸・毛利博物館です。(別日に行きました。)

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朝田 辰兵衛

「三矢の訓」はここで…🏹🏹🏹 (2024/06/21 訪問)

JR下関駅から山陽本線を2時間ほど進んだところで途中下車。JR新南陽駅から,徒歩約5分の駅チカ物件です。
あの毛利元就公の教訓状発祥の地です。駅は無人駅でしたが,もうちょっとPRしといた方がいいのでは…と感じました。

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城郭情報

分類・構造 城郭寺院
天守構造 なし
築城主 陶弘政
築城年 正平5年〔南朝〕/観応元年〔北朝〕(1350)
主な城主 陶氏
遺構 土塁
指定文化財 県史跡(勝栄寺土塁及び旧境内)
再建造物 石碑、説明板
住所 山口県周南市中央町古市北3-10
問い合わせ先 周南市生涯学習課文化財保護担当
問い合わせ先電話番号 0834-22-8677