⑧【関ケ原の26人 】(3)福島正則 (福島正則陣跡)
(2022/10/28 訪問)
(3人目)「福島正則」の続きです。
関ケ原の「福島正則の陣跡」を訪れてきました。
畑に囲まれてひっそりと立つ小さな神社(春日神社)の中にありました。樹齢800年という杉の樹があったので、当時の正則はどのようであったかと問いかけると突然後光が・・・!(写真①②)
福島正則6,000の軍勢は東軍の先鋒を任されます。そして西軍の先鋒で最大勢力の「宇喜多秀家」17,000の軍勢と対峙し、宇喜多軍を壊滅させました。この功績は高く評価され、清州24万石から安芸備後49万石に加増転封され広島城に入ります。正則は、領地の整備や年貢に対しても良心的な措置をとるなど、戦場でのイメージとは違い領民には大変親しまれた大名だったようです。しかし、彼の順風満帆はここまで😯!
その後、名古屋城など各地の天下普請に駆り出された後の1615年、大坂の陣では出陣叶わず江戸にて幽閉されます。いつ豊臣に寝返るかわからない(間違えなく秀頼につくであろう)危険人物と見なされていたようです。そして1619年、洪水で壊れた広島城の石垣修理を届け出たにもかかわらず、不十分として武家諸法度違反をとがめられ、越後魚沼と信濃高山合わせて4万5千石への大減封。そしてその後、正則は高山村にて死去します(享年64)。死後福島家は取り潰しとなったようです。
私はこの陣跡に立って考えてみました。結局彼は徳川からいいように利用されたあげくに捨てられただけなのではないでしょうか? 福島正則にとって、ここ関ケ原での活躍はいったい何だったのでしょうか? でもこれだけではあまりにも可哀そうなので、せめて私はこの福島正則に「敢闘賞」をあげたいと思います😊。
次は(4人目)へ続きます。
---------------------------------------------
【余談】福島正則と「黒田節」
皆さんは福岡藩黒田家に伝わるこの唄を御存知でしょうか?
酒は飲め飲め 飲むならば ~♪
日の本―の 此の槍を ~♪
飲み取る程に 飲むならば ~♪
これぞ真の 黒田武士(節)~♬
これは黒田官兵衛の重臣「母里太兵衛(友信)」(もりたへえ)(写真④)が使者として福島正則の屋敷を訪れた時、正則は太兵衛が黒田家一の酒豪と聞き、飲み比べようと挑発したそうです。太兵衛は拒否するも、黒田武士は腰抜けか? わしに勝てば何でも欲しい物を授けよう、と再度挑発します。 受けて立った太兵衛は、何とこの飲み比べに勝ち、正則が豊臣秀吉から賜った日本三大槍「日本号」を所望し勝ち取ったそうです。その時の様子がこの唄になりました。そしてその「日本号」は福岡市博物館に展示されています。この様子は、大河ドラマ「軍師官兵衛」で母里太兵衛役の「速水もこみち」さんが、見事に演じられていたのを思い出しました😊。
+ 続きを読む