きりはらじょう

桐原城

長野県松本市


旧国名 : 信濃

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モト

各郭にある石積みの段々が素敵です (2023/01/12 訪問)

登城道は周辺の城ではそんなに珍しい事ではありませんが、なかなか険し目の登山といったところです。
本郭へ向かう途中は竪堀、二重堀切りなどを見る事ができて、およそ20分前後のやや険しい登城道を飽きさせません。
いよいよ本郭に近づくと石積みがお出迎えしてくれます。
その石積みも素晴らしい物ですが、ここの他とちょっと違う魅力的なポイントは各郭にある石積みを見る事ができる点です。
段々になった郭に石積みがあり、段々になった石積みを見る事ができる事です。
これを見た時にはそこまでの登城道の疲れが一瞬で吹き飛びました。
本郭を囲んだ石積みもかなり素晴らしい物でした。
一見の価値ありだと思います。

駐車場がないため獣よけフェンスの手前に路駐しました。
獣よけのフェンスを開けて中に入ってすぐ右の登城道があります。
皆様の投稿にもありましたが気が付かない可能性ありです。
まっすぐは舗装された道路になってますが進んでも城跡へは行けませんのでお気をつけてください。

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todo94

県内の城めぐり2022㉔ (2022/04/07 訪問)

山家城同様、9年ぶり2度目の攻城だというのにこれまた山家城と同様、獣よけフェンスのすぐ右手に伸びる登城路に気付かず、舗装された林道を延々と進んでしまいました。体力と時間を無駄に消耗してしまいましたが、林間に石積や大量の石を見つけることが出来て改めてこの城のすごさを実感することが出来ました。9年前、同時に初攻城したときは林小城、山家城より下の評価でしたが、今回は桐原城に最も魅力を感じました。ただ、同じゴールデンウイークの時期の攻城なのに葉がずいぶん茂ってしまっていて石垣の写真は前回のほうが撮影しやすかったかな。降雪を避けつつ冬枯れの時期の攻城をお勧めします。この城も山家城同様、小笠原氏城跡として長野県史跡に指定されていますが、国史跡に指定されるだけの価値はあると感じます。

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ヒロケン

【城と生き物】 (2016/09/16 訪問)

防獣柵を開け攻城した先には、何と縞リス(#^.^#)夢中でシャッターを押した究極の一枚です。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り2日目:桐原城 (2021/06/28 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り2日目の4城目は桐原城です。
林大城から転戦。駐車スペースはなく、大手登城口付近(36.236776、138.023212)に路駐しました。

1460年(寛正元年)に桐原城を築いた桐原大蔵少輔真智は犬甘城主犬甘大炊介政徳の弟とされ、兄弟揃って信濃守護小笠原氏に仕えていたといいます。
桐原氏五代の居城となったが、1550年(天文19年)に武田軍の攻撃により小笠原長時の林城とともに落城し、以後は武田氏の管理下に置かれました。
1582年(天正10年)に武田氏の滅亡と織田信長の横死が続くと徳川家康に仕えていた小笠原貞慶が旧領を回復し桐原氏も桐原城へ戻ったといいます。

フェンスを入って舗道ではなく、右側の細い道を登って行けば主郭まで20分ちょっとで着きます。歩き易いです。
規模の大きさ、多くの曲輪を支える何段もの石積、二重の堀切・竪堀、桝形虎口など良好な状態で残っています。
攻城時間は50分くらいでした。

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城郭情報

分類・構造 山城
天守構造 不明
築城主 桐原真智
築城年 寛正元年(1460)
主な城主 桐原氏
遺構 曲輪、石積、土塁、堀切、虎口
指定文化財 県史跡(小笠原氏城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 長野県松本市入山辺桐原
問い合わせ先 松本市教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 0263-34-3292