新府城に続き甲斐路二城目は甲府城。四十数年前私が働き始めたころ甲府に出張したおり電車の窓から見て初めてこの城の存在を知った記憶がよみがえった。その当時は櫓や門も復元前であり石垣上の大きな謝恩碑だけが目立っていたように思う。
今回の甲府探訪の宿泊地について市内の温泉地も考えたが、翌日の攻城を視野に入れ、旧城内屋形曲輪跡地に建つ「城のホテル甲府」に決めた。ホテルの13階にある大浴場展望フロアからは至近距離で本丸の姿を望むことができる。
現在の城址は市街化により往時の三分の一になってしまったようだが、本丸・天守台・稲荷曲輪・数寄屋曲輪・天守曲輪など野面積みの石垣が舞鶴城公園として整備されてきれいに残っている。また稲荷櫓や鉄門等が復元されており、とても美しく見やすい城址であると感じる。
天正10年(1582)の武田氏滅亡後甲斐は一時家康の支配地となるが、天正18年(1590)に家康が関東に移封された後は秀吉配下の羽柴秀勝、加藤光泰、浅野長政・幸長父子が城主となる。甲府城の完成は文禄年間、浅野氏時代といわれており、いわば関東抑えの城である。今も残る立派な天守台には織豊期の天守閣がそびえたっていたと想像をめぐらせてしまうのは私だけではあるまい。
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