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まーやん

福束輪中の城 (2023/02/19 訪問)

この日は午後から輪之内町の施設で第三回丸毛(兼利)サミットというイベントがあり、午前中に諸々輪中の史跡を回った。もちろん、丸毛兼利なんて武将は知らなかった。
最後に福束城跡を回ったが現在はほぼ遺構がなく、跡地の一部に浄土真宗東本願寺派の寺院が建っている。
これまで2日間に渡り見てきた城跡は関ヶ原の戦いに関わる場所ばかり。福束城は兵糧の運び入れに利があり東西両陣営から誘いを受けたが西側に付き、夜襲で挟撃されたと勘違いした丸毛が大垣城に撤退、あっけなく落城したと説明があった。大垣城が膠着した状態で残ったことから関ヶ原の戦況に諸々影響を及ぼしていく、と理解した。大河ドラマでやるかなー?

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イタさん

仙元山遊歩道の奥に城跡 (2023/02/22 訪問)

 本郭内説明板に、江戸時代に書かれた『関八州古戦録』には永禄六年(1563)に「松山城へは上田安楽斉、同上野介朝広を還住なさしめ青山・腰越の両砦と共に堅固に相守らせ」たとあり、松山城の支城であったと伝えられています。と書かれている。

 南東の山麓には、下里・青山板碑制作遺跡があり、緑泥石片岩の採掘・加工跡を見学出来る。遊歩道を離れれば直ぐに三の郭手前の堀切に着く。三の郭から堀切先に本郭があり、北がやや高い土塁とも思える。北に虎口らしき窪みを下がれば、土橋状の道と左右の堀があり、小さな平地が見られる程度。南西虎口下に板状の石が散乱している。先が土橋状で二の郭になり、土塁・東の下に帯郭が確認出来る。二の郭の先は大きく下がり、小さな平場が幾つか見られる。

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あらし

東北地方を治めた古代律令国家の城 (2018/03/06 訪問)

JR東北本線「国府多賀城」駅から徒歩約15分

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カズサン

下屋敷庭園紅白の梅が見頃でした (2023/02/23 訪問)

 下屋敷駐車場側北東の入口より入り、時期的に白梅紅梅の咲き誇り丁度見ごろでした、昼頃は家族連れがお昼を囲んで居ました、梅の写真を撮ってる方々も多く華やいだ情景でした。
 下屋敷は昭和60年ごろからの整備構想に始まり、六間川の改修、発掘調査、用地買収、庭園の復元整備、関連建物の移築復元、駐車場整備されて平成8年8月公開されて居ます。
 庭園には築山、下屋敷泉水、大溝が水をたたえ、旧六間川跡は敷石で地表表示されて、脇の土塁は低く成って居ますが残って居ます、江戸期後半の田中城絵図に由ると現在の下屋敷は半分ほどの広さとか。
 六間川の改修で下屋敷に置かれて居た亀石が見つかり設置されて居ます、同時に在ったと言われる鶴石は見つかっていない様です。
 散策探訪の中紅白の梅で目で見て鮮やか匂い麗し癒される雰囲気情景です。

 本番の城郭内部遺構探訪Ⅰに続きます。
 

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菱の門番所と2階櫓部の特別公開 (2023/02/23 訪問)

菱の門の門番所跡と初公開の2階の櫓部の特別公開に行って来ました。
以前、門番所と馬見所は公開されてましたが、櫓部については初公開です。
どうやって2階の櫓部に入ると思いますか?
菱の門を入って左側に行くと雁木があります。
雁木の階段を登って行くと、花頭窓の横に入り口があります。
これが正規の入り方ですが、雁木が危険なので新しい階段が付いていました。
中は、土造りの壁に火頭窓が二つがあり石落としが4つありました。
その後、にのまるさんが見落としたるの門跡に行きました。
どうして、皆さんるの門だけを見落とすのか検証してきました。
枡形のぬの門出ると、目の前に看板が見えます。
その看板には、右に行くと出口で西の丸に行くことが出来ますと示しています。
るの門跡への行き方は表示していません。
だから、右に行ってをの門跡とりの櫓跡を見て出口か西の丸の方へ行くのですね。
しかし、解ってしまえばなってことないのです。
天守閣に登らなければ、菱の門から右へ行って三国堀を通って進んでいくと、石垣をくりぬいた埋門のるの門の孔門にぶつかります。
そのるの門跡には、門の礎石が残っております。
敵が攻めてきたら、門を閉めて石垣を崩して埋めてしまうのですね。

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まーやん

桑原輪中の城 (2023/02/19 訪問)

当地はかつて木曽川、長良川、逆川(2川を繋ぐ水路のような川)に囲まれた桑原輪中であった地に応仁年間からあった城とみられており、現在の本丸跡地と推定される場所に羽島市歴史民俗資料館がある。
小牧・長久手の戦いでは不破広綱が秀吉軍に水攻めに遭い開城し、関ヶ原の前哨戦では、西軍に与した織田秀信の家臣杉浦重勝が守ったが東軍に包囲され落城する。
「どうする家康」で取り上げられるか、楽しみである。

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ろっし

お城探訪 (2033/02/25 訪問)

196号線から入ってすぐあります。
Googleマップで見ると城跡かな~?実際見に行くと町に馴染んでいる神社です。
水堀は少し見にくいですが確認できました。

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ろっし

お城探訪 (2023/02/25 訪問)

城跡は公園になっているため遺構を見る事は難しいかな?

景色は良かったです。

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まーやん

天下普請の奥平10万石の城 (2023/02/19 訪問)

関ヶ原合戦の後、家康が命じ本多忠勝が天下普請で築城、奥平信昌が入ったらしい。加納城は本拠が岐阜城に移り廃城された後、関ヶ原を期に岐阜城を廃しその部材を使い再び築城された経緯を持つ。

現在は本丸跡とその付近が公園化されており、野面積みの石垣や土塁、枡形虎口部分が残されている。
古地図や説明を見ていると、東に荒田川、西に長刀堀、北は清水川が囲んでいたとあるが各曲輪が橋で結ばれる、まるで水城のような城だった模様。

奥平信昌は元々北三河亀山城に居り武田方についていたが、領内に武田の重臣馬場民部が古宮城を築いたからかどうなのか、徳川に転じ南下、家臣鳥居強右衛門の活躍などあり長篠城籠城戦で功をあげ、その後新城城を築く。
徳川の重臣となった信昌は亀姫を娶り姻戚関係も結んだ。亀山の殿さんが亀姫を。亀に所縁か。

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ヒロケン

日本三大湖城 (2014/04/29 訪問)

松江城は堀尾吉晴公が関ヶ原の合戦の功績により、遠州浜松から出雲・隠岐24万石の大名として月山富田城に入城しましたが、家臣を住まわせる広大な城下町を形成するには土地も狭、交通も不便等の理由から宍道湖のほとり標高28mの亀田山に築城を計画。1607年に着工し、約5年の歳月をかけ1611年に完成しています。城郭の広さは、東西360m、南北560mあり、周囲に幅20mから30mの内堀を巡らしています。南を流れる京橋川を外堀とする輪郭連郭複合式平山城で、宍道湖湖畔に築かれており、日本三大湖城の一つでもあります。
構造は、本丸を中心に、北に北の丸、南に二の丸上段、東に二の丸下段、二の丸上段のさらに南側には、三の丸が配されています。
望楼型天守は4重5階、地下一階で天守の南側に地下一階を持つ平屋の附櫓が付属しています。地下の井戸は城郭建築では唯一の現存例で、天守石垣は、「牛蒡積み」と言われる崩壊しない、技術が使用されています。

昨年、12月に実父が他界、その一週間後に初孫誕生という出来事があり、悲しみと喜びの複雑な心境のもと新年を迎えました。昨年から今まで、平日は仕事、休みは孫の世話でどこの城にも行けていません。
先週、娘と孫が金沢に帰ってしまい、虚脱感というか心にぽっかり穴が開いたようで((+_+))これほど、孫が可愛いものだと思っていませんでした。孫を撮りためた映像を見返しながら、もう少しの間、余韻に浸りたいと思っています。

この松江城は、約9年前に行ったもので古いものになりますが、投稿させていただきます。

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小城小次郎

復元木造建造物もよし、手つかずの遺構もよし (2022/11/03 訪問)

数年前に復元された門に続き本丸木橋が復元された。木橋の下にあった石垣が埋もれて見えなくなった?ような気はするが、木造構造物があるとないとではイメージが大きく変わる。白川口埋門のほぼ手つかずの風景もよし。

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TMN97

小谷城 (2022/10/09 訪問)

訪問が遅かった為、歴史資料館のみ訪問。次回は登城したい。

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TMN97

竹中氏陣屋跡 (2022/10/09 訪問)

竹中氏陣屋跡

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TMN97

駿府城 (2023/02/24 訪問)

駿府城

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TMN97

平井城址 (2023/02/25 訪問)

平井城址

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TMN97

一郷山城 (2023/02/25 訪問)

一郷山城

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三浦の晃ちゃん

麓に冠木門 (2023/02/25 訪問)

続100名城の一つです。麓に冠木門があります。御城印は、砺波市埋蔵文化財センターで、購入しました。

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三浦の晃ちゃん

堀が素晴らしい。 (2023/02/25 訪問)

数年ぶりに登城しました。公園として、整備されています。堀が見事です。御城印は、公園内の三の丸茶屋で購入しました。前田利長公の像が象徴的です。

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綾部八幡宮 (2023/02/25 訪問)

 綾部八幡宮より登城しました。城ダンといわれる曲輪には土塁と石碑があります。主郭まで行き周囲の帯曲輪を散策した後、北東の曲輪周辺にある竪掘りを見に行きました。上下二段になった畝状竪堀が確かにあると思いますが、浅くなっていました。写真にするとわかりにくいですね。なぜ北東部だけ畝状竪堀があるのかなと縄張り図を見ながら散策しました。

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大間八幡神社 (2023/02/24 訪問)

 大間八幡神社付近が城址です。案内板に「周辺には、空堀、土塁、水堀などの遺構も残っており、、」と記載がありますがよくわかりませんでした。
 新幹線「新大牟田駅」からバスに乗り「羽山台小学校前」で下車。徒歩10分くらいで大間八幡神社に行くことができます。

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