かるたの投稿をする前に、よく考えたら大野城は地元福岡なのにまだ一回も行ったことはない事に気がつきました(笑)。同じ四王寺山(しおうじやま)の中腹にある岩屋城には何度も行っているのに・・・。ということで今回はあと1km足を延ばし、山の頂上の大野城まで登ってきました。
663年白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れた天智天皇は、この連合軍がもし日本に攻めて来た場合を想定し、翌年に大宰府政庁を防衛の拠点とし、その北側に「大野城-水城(みずき)-基肄城(きいじょう)」の防衛ラインを築きました。(岩屋城より見た防衛ライン:写真①)
訪れてみて驚きました。関ケ原より1000年も前の築城だというのに、野面積の石垣や土塁などを用いています。説明板から、この四王寺山は山の頂上から麓まで全体が大規模に要塞化されていたようです。同じ頃に造られた鬼ノ城も訪れた事がありますが、推測するに大野城の方がさらに規模が大きかったのではないかと感じました。百済から技術者を連れてきて築城したらしいですが、当時の朝鮮にはすでにここまでの築城技術があったのには驚きました。
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