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ぴーかる

多喜山城 (2023/02/04 訪問)

【多喜山城】
<駐車場他>日向山登山口駐車場を利用。
<交通手段>車

<見所>枡形・眺望
<満足度>多喜山城の築城者・築城主ともはっきりしませんが、在地土豪かあるいは織田信長が佐々木六角氏攻略の為に築いた城との説もあります。
 麓の登山口駐車場から山頂まで石の階段が通っています。721段と多いですが山城マスターの方なら有難い楽なもんです。城跡の遺構も山頂の主郭部分しかないようで、広い削平地に東と西の虎口、土塁枡形、石垣のほんの一部が残されています。北西方向の眺望が素晴らしいです。

<満足度>◆◆◇

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todo94

戸畑図書館と若戸大橋 (2023/01/28 訪問)

岩国城の城カードを手に入れるための西下で続100名城のスタンプは小倉城を狙っていたところ、にのまるさんの投稿を拝見して戸畑図書館前の記念石を見に行きたくなって急遽、赴くことにしました。黒田六端城の若松城は若戸大橋の直下あたりに存在していたとのことなので、小雪舞う冷え込みの中、若戸大橋にも脚を伸ばしてみました。

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赤い城

麓からも望める大堀切 (2023/02/18 訪問)

お丸山公園となっています。
麓には駐車場もあり、大手門が模擬ですが復元されています。
公園へ登って行くと途中の斜面に竪堀状のくぼみも見られます。
主郭と二郭、二郭と三郭の間には深い堀切が切られています。
まずは三郭へ、さらに先のスカイタワーが建つあたりが外郭で三郭との間には堀が切られています。
この堀は竪堀となって落ちていました。
この後二郭、主郭と戻って行きました。
主郭からは喜連川の街も見渡せます。
以前はスカイタワーや温泉施設で賑わっていたようですが東日本大震災で閉鎖とのこと。
桜の季節には綺麗な風景が見られそうです。

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にのまる

播磨灘を望む (2023/01/05 訪問)

一宮城登城を終えて路線バスで徳島駅に戻り、JR高徳線特急で引田駅へ。
いにしえの空気漂う町並みの中の讃州井筒屋敷で続100名城スタンプとパンフレットをいただいてから、城址の山容を仰ぎつつ引田港側登山口へ向かいました。

ところどころに岩盤のある遊歩道を進み、見晴らしのよい狼煙台跡を経て本丸へ。やがて見えてきた石垣は、現状から完成形を想像するのは難しかったですが、がっつりお守りするぞという風体が思い浮かびました。
ここから天守台までは70メートル。
「南の郭」「城山82.3m」の表示、祠、三角点。これらが本丸であることを示してくれているのだろうと思いつつ歩くとベンチのある展望所に出ました。遠くまで見渡せ、且つ港の様子も手に取るようにわかる一等地。本丸の説明板には天守台推定地とありましたが、遺物の発見により城内には瓦葺の礎石建物があったことが確認されているそうで、城下からも日夜仰ぎ見られていただろうなと想像できる場所でした。

続いて化粧池に向かいました。約250メートルの下りです。道幅があまり広くないところもありこの時季でも下草が繁っていたので、夏場などは草の下に地面があるかストックや杖(登城口にありました)などで確認しながら歩いたほうがいいかもしれません。
化粧池は今なおその形状を留めており、茂みの中から石垣が覗いています。海が近くても飲料水やお姫様の“化粧”のための水の確保は別問題。苦労のあとがうかがえました。
ここまできたらそのまま引田鼻灯台へと突き進みます。化粧池から230メートル。今も昔も海の監視と航海の安全を守る大事な場所であることがわかりました。

灯台から東の丸を抜けて、上下二段の石垣が残るという北二の丸へ。上段の石垣はシートで覆われていましたが下段の石垣が見られただけで満足でした。この曲輪は大手門の近くで御殿があったと推測されるとのこと。建物はなくても残された石垣に充分に威厳が感じられました。
最後に80メートル先の北曲輪へ。ここは織豊期以前の土づくりの遺構と考えられているとのことでした。

ぐるっとまわって1時間。見学ポイントの一つ一つがその時代の息遣いを映し出しているように感じました。
ただ……、ほんの数時間前に一宮城で帰りのバスに乗るために300メートルダッシュをしたばかりなのに、ここでも時間配分を考えていなくて1時間に1本の特急に乗るために猛ダッシュ。登城口から駅までは10分で駆け抜けました。二度と無理。いやでもまたきっとやる。

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小城小次郎

砦という名に惑わされるが (2022/11/03 訪問)

砦という呼称に惑わされるが発掘成果を踏まえて復元整備された姿はどこからどう見ても方形館。長野氏の勢力範囲にあって長野氏一門の中に新波を名乗る人物も見られるようだ。隣接するお寺には大永銘の石造物もあるらしい。

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ぴーかる

青地城 (2023/02/04 訪問)

【青地城】
<駐車場他>小槻神社駐車場に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>土塁・堀切
<感想>現地説明板によると青地城は鎌倉時代中頃に近江守護佐々木定綱の孫基綱が青木氏の養子となり、その子の忠綱が青木城を築きました。戦国時代には佐々木六角氏に属していましたが織田信長の進攻により青木氏は城を放棄して廃城となったそうです。
 城跡主郭部分はおそらく志津小学校になっているようですが、南側の横堀と<35.002009, 135.976747>辺りから堀切に入ることができます。堀切は深さがあって土塁は高さがあり見応えあります。土塁を登ると、ちょうど城跡の南西隅にあたる場所が小学校のフェンス外側にあり、城跡碑が設けられています。何故か小学校の校舎側に城の説明板が向けられていて、少し身を入れて撮影させてもらいました。残る遺構は少ないですが深い堀切・高い土塁は見事です。

<満足度>◆◆◇

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カズサン

【三河・織田信長本陣】愛知県新城市 チョイ寄り (2023/02/12 訪問)

 岩津城跡を目指して新東名走行中に長篠設楽原PAにトイレ休憩、久し振りにPAに隣接してる織田信長戦地本陣跡にチョイ寄り登城しました。下り線PAからは気軽に寄る事が出来ます。
 茶臼山頂上には茶臼山稲荷神社、案内板、信長が詠んだ歌碑「きつねなく 声もうれしくきこゆなり 松風清き 茶臼山かね」が建ち、今回は南の帯曲輪かなと思われる曲輪の草が刈られて居り曲輪を確認する事が出来ました。
 また、長篠設楽原合戦の南東側は杉林の植林が深く望み様が有りませんが、PA側の登り口に長篠設楽原合戦の解説板が有りその解説の中に長篠設楽原合戦俯瞰図が掲載されて居りますので眺めて空想するのも宜しいのでは?
 新東名を走行下り線では気軽に訪ねる事の出来る「織田信長戦地本陣跡」です。

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朝田 辰兵衛

正解できて安堵しました…<笑>。 (2022/12/18 訪問)

赤い城さんのクイズ,難易度が高かったですが,2度目で正解できて安堵しました。
実は,こんなヒントいただいて,もし正解できなかったら「煮るなり焼くなり…」かと。
ン?「煮るなり焼くなり…」といったら「二宮…」。ということで「二宮城」。
なんとかつなげたこの言い回し,嵐ファンのにのまるさんに喜んでいただけたら幸いです…<笑>。

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トク

㉓【関ケ原の26人】(12)田中吉政 (岡崎城大河ドラマ館) (2023/02/10 訪問)

(12人目)「田中吉政」の続きですがちょっと寄り道します。

せっかく岡崎城まで来て、カズさんら東軍諸将の方々のおすすめ記事もありましたので、思い切って「大河ドラマ館」へ潜入してみる事にしました(写真①②)。西軍の残党である事がばれぬよう、そろりと身を隠しながら入口付近まで近づいて行くと急に何やら殺気が! 振り返ると家康の銅像が私を鋭く見下ろしていました(写真③)(くせ者ではござりませぬ~何卒御容赦を~😭!)。そして九州弁をひたすら隠しながらチケットを購入し、いざ密かに潜入します😎!

中では、ドラマのこれまでのストーリーや登場人物が紹介され、使われた衣装や家康が大高城で身につけた金の鎧兜などが展示されていました(写真④⑤)。中でも関ケ原のコーナーは広くスペースが割かれていました(ばり銭をばかけとんしゃ~あごたるなあ🤔)。大型スクリーンに10分間の映像が流れ、その下の動くジオラマとともに、合戦の様子が家康の語りで解説されていました。(ここは撮影不可のため、写真でお伝えできないのが残念です)。大河ドラマ館の方々も、後半最大の山場はやはり関ケ原だと思ってこのようなものを作成されたのでしょうか・・・?(やっぱあげんしも関ケ原っち思うちょるげな🤔)

(ムフフ😎 こりゃ~ちかっぱよか展示ばい!😊)

次は、(田中吉政陣跡と柳川城)へ続きます。
 

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赤い城

熊野神社の裏手に (2023/02/18 訪問)

熊野神社に駐車場があります。
神社向かって左手から登って行きます。
この時季は藪もなく下草も刈ってあるので歩きやすいです。
本丸直下に堀があり、その東側には二重の堀切があります。
本丸下の堀は本丸を囲むようになっています。
西側は広めの堀があり、その外側にも堀のような地形がありました。
説明板や石碑もありませんが遺構は残っている城でした。

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小城小次郎

味わい深い見所が満載 (2022/10/16 訪問)

発掘された天守台と復元櫓群、更には博物館の開館と話題に事欠かない駿府城だが、植物に埋もれた人名刻印石やビルに埋もれた石垣や、地味にカラータイル表示されている大手礎石等、味わい深い見所が満載なのだ。

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ぴーかる

千石堀城 (2023/01/29 訪問)

【千石堀城】
<駐車場他>せんごくの社 里山駐車場<34.418059, 135.370135>十数台駐車可能
<交通手段>車

<見所>堀
<感想>千石堀城は石山合戦の後に根来寺の支城の一つとして根来衆によって築城されました。北東に近木川が流れており畠中城・積善寺城・千石堀城が近木川のすぐ南西側にあることから近木川が根来衆・雑賀衆の防衛ラインだったことがよく分かります。1585年豊臣秀吉軍の猛攻を受け(千石堀城の戦い)双方多数の死者を出して落城しました。
 城の範囲は三ノ丞山と呼ばれる南北2㎞が城跡と思われているが北側3分の1程から分断されていて(かつては堀切だったのを現代に削って道にしたか?)範囲はよく分からない。城跡入口から重機の通ったような広い道があったので不思議と思ったらやっぱり主郭の北側に大きなユンボが置いてあり、主郭西側が削られ改変されていました。主郭の東側は生き残っており2重の堀や傾斜のある曲輪が残っています。分断された南側にも行ってみました。切岸を登ると折れた石碑と説明板があります。尾根上を南に下っていくと堀切があって丘陵上ピークに竹林が整備された削平地があります。東側に牛神池があります。かつては城の一角ではあったかもしれませんが、瓦が落ちていたので近世にここに家があったかもしれません。

<満足度>◆◆◇

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カズサン

【尾張・浅野城】愛知県一宮市 浅野長政公宅跡 (2023/02/12 訪問)

 浅野長政公宅跡として浅野公園として整備されています、養父長勝、秀吉の妻寧々などの思いも詰まる屋敷跡庭園です。
 奥殿陣屋、岩津城跡を終えて高速の豊田東ICが数km程の距離で移動に大変便利、西に約60km程、一宮ICを降りて北へ3km程の所に浅野公園・浅野長政公宅跡が在ります。

 住所:愛知県一宮市浅野八釼(浅野公園)
 駐車場:浅野公園駐車場12~13台可能、浅野公園手前の通り沿い北(35°17'46"N 136°49’40”E)

 城域は南東側南に張り出し、北側西に張り出し、北東は入角を周囲全周を水堀で覆ってる、大正6年に整備し水路は元堀跡の名残、水堀として整備もされる、公園としてツツジが植栽されて居り時期には綺麗に咲くでしょう、また藤棚も有り時期が待たれます。
 北側奥には小高く土が盛られて石碑が有り元屋敷が在ったそうです、その西側に寧々の歌碑(「たちばなを 庭のまがきに 眺むれば 雲井の花を 恋しくぞ思う」天正16年1588年4月後陽成天皇聚楽第行幸を後に偲んで詠だ和歌)、寧々の水なる井戸が在り掘り起こされた時に出てきた神石と共にまとまって整備されて居ます。
 更に西に長政公も好きだった囲碁の石碁盤も露出展示、夫々には解説板が付いています、西の隅に小山が有り傘亭(カラカサテイ)、この小山は狐山と呼ばれ、養老山脈、伊吹山が眺められる風光明媚な場所との事、更に西張出の南角に手植杉が有り浅野家の最終の藩は芸州広島藩ですが、最後の藩主浅野長勲(ナガコト)の手植杉と碑と一緒に在ります、他各界各氏の手植杉も有ります当時の海軍大将加藤友三郎後の総理大臣等。
 中心部は広場に成って居り見学時は子供達が遊んでいました、東側には一宮市浅野老人いこいの家、その南は寧々晩年の京都高台寺からの寄贈でシロヤブツバキ、ホンキリシマツツジが植わって居ます。

 城びと登録の濃尾平野には戦国武将の館、屋敷、城が多くありますが車で回れて、一に駐車場の心配があり未だに回り切れていません、そんな中数年前から城郭放浪記さん城郭案内写真館を眺めて居り、浅野城浅野長政屋敷がヒットして駐車場も有り、平城、高速道ICからも近いと、此処を拠点に濃尾平野の城々を廻ろうかと温めていた城跡でした。
 情報は城郭放浪記さんグーグルマップに依ります。
 

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todo94

岸岡山緑地 (2023/01/05 訪問)

近鉄千代崎駅から徒歩にてアプローチしました。古墳としての形状はとてもはっきりしているのですが、空堀となるとちょっと微妙な感じです。岸岡山緑地の南側のエリアも恐らく城地なのでしょうが、ちょっと踏み込んでみて遺構を見つけられそうな気配が感じられなかったのでこれにてこの日の攻城を完了といたしました。

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T-Shionoya

縄張図に刺激され栗橋城へ (2022/12/31 訪問)

個人的には、北条氏照が関宿城攻めの拠点とした小田原北条氏の支城というイメージがある茨城県五霞町の栗橋城。
ほとんど遺構がない認識でしたが、江戸期に書かれた縄張図に刺激され、昨年末に行ってきました。

今は権現堂川(元渡良瀬川・太日川)の東岸に位置する栗橋城。
河川工事前は対岸まで城郭の一部であったとも伝わり、川は今より西側を流れていたのでしょうか。
いずれにしろ川辺の微高地に築かれた城で、鎌倉街道中道の通り道でもあり、陸路と水運の要衝だったことでしょう。

古河公方設立の1500年代中頃から約100年間、その重臣の野田氏の居城。
その後、北条氏照の手に渡り、改修されたでしょうか。秀吉の小田原征伐後、しばらくして廃城となりました。

現在は北外郭の南部から東外郭付近の遺構を残すのみ。
訪問時は、中まで公開されている雰囲気ではなかったため、法宣寺から七曲りの堀を眺めるに留めました。

堀は写真以上に深く、向こう側(城内)は1段高い印象。
江戸期に描かれた「築城規範」を見ると、各虎口が馬出や桝形で守られた魅力的な城。
その仕掛けを直接見ることはできませんが、残る堀が嘗ての巧妙な城を今に伝えているような...
そんな周辺含め約2時間の栗橋城訪問が、私の城巡りの139城目でした。

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赤い城

クイズの答えと千葉の城

クイズの答えは朝田さんご回答通り久留里城です。
さらに仰る通り弥陀曲輪から東に伸びる尾根の先端にある切通状の通路の写真でした。
弥陀曲輪から少し進むと写真2の堀切があります。
この尾根にはいくつもの堀切が設けられていました。
朝田さん訪問時は足元悪かったようですが晴れた冬の日に訪れた際には是非行ってみてほしいです。

ちなみに忠勝さんの居城にも写真3の堀切が残っています。
駐車場から遊歩道に入って行くと見ることができます。
こちらは夏でも大丈夫。

POYOさん、大人になったらぜひ房総にもお越し下さい。
写真4は万喜城の尾根道、5は本佐倉城のセッテイの空堀です。

未登録城でも見逃せない城は多いですよ。
写真6は千本城。
房総名物の岩盤堀切の中でもかなり大きな堀切です。
城域は広く奥まで進むのは難易度高いですがここは登城してすぐに見れます。

写真7は最近登城した峰上城。
上総や安房はこのような岩盤を削った遺構も多いです。
先日聴講した金谷城の説明によると岡本城の石段も当時のものなのではないかと。

写真8は森山城隣の須賀山城。
写真9は多古城、10はその近くの並木城の二重堀。
多古町は最近、城の整備をしていてこの他にも整備された城があります。

千葉は安房の里見氏、上総の武田、正木、酒井氏、下総の千葉氏、足利氏と比較的小さな領主が多く、その分城も多かったとのこと。
北条氏の影響も受ける城もあります。
何より岩盤を削った遺構は見応えありです。
難易度の高い城も多いですがハマるか引くかのどちらかかも。

尚、久留里城もそうですが上総、安房の城は夏はヤマビルと藪のため攻城は冬がおすすめです。

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ぴーかる

西曲輪群と畝状竪堀 (2023/01/29 訪問)

 2回目の登城。前回の登城は2020年の5月、西曲輪群へ行く方法が分からず攻略できず不十分で、必ず再訪攻略する意思で最大の見所の西曲輪群にある畝状竪堀を攻略しに来た。前回と同じ所に駐車してまず殿の墓にご挨拶し入城した。進入口の竹の倒木が綺麗に整備され入口が明瞭になっていました。先に南側の小径を通って大堀切に行きました。堀切の北側奥の方の荒れ方は同じでしたが、南側の竪堀付近が整備され、イオさん投稿にあるように西方向に堀切を登る鉄パイプが設置され道がつくられていました。
西曲輪群は尾根上に小さめの曲輪が続いて奥に広い主郭があります。主郭の西側から関空・大阪湾の眺望が見事です。主郭だけ綺麗に間伐されていて整備されています。主郭の西側に高い切岸の堀切があり先が曲輪がありますが羊歯藪化してここまでしか進めませんでした。さて、畝状竪堀ですが主郭の南側から下へ降ります。主郭からは畝状竪堀は見えません。かなりの急勾配ですのでストック要、体力によってはロープを持参した方が良いかと思います。100m弱程下ると上から見えてきます。大阪には珍しい大きい竪堀が7条程あり、その起点となる横堀も見事で圧巻です。
戻りに東曲輪群に行って最北の曲輪の西側の堀切を発見し、前回見落とした2段の石垣遺構を探しましたが1か所しか見付けられませんでした。なかなか散策と遺構探しの難易度が高いですが、かなり見応えある城跡でした。満足度も暫定◆◆⇒◆◆◆へ修正です。

<満足度>◆◆◆

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小城小次郎

めまぐるしい (2022/10/10 訪問)

伯耆国の真ん中なのに東伯郡というのが境目らしいというか尼子・毛利が争奪戦を行った挙句に織豊期にも毛利の飛び地だったのを南条が掠め取ったとかいろんなことがあって中村、市橋、池田、津田でやっと落ち着いたという・・。

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にのまる

阿波青石パラダイス (2023/01/05 訪問)

徳島駅から路線バスで「一の宮札所前」下車。
帰りのバスまで2時間半あるので時間を気にしないでゆっくり見てまわることにしました。
登城口から縄張り図のコースどおりに、まずは倉庫跡方面に向かいました。山道ですが整備された歩きやすい道でありがたかったです。しばらく登ると神宮寺跡、経筒出土地、神宮寺谷道の案内板があったので、コースからは外れますが行ってみることにしました。どこまでも続くかに見える石敷き道と随所に渋めの石積み。自然の中で芸術鑑賞をしているような気分を味わえました。石の道を抜け出たところは登城口のすぐそばだったので登城リスタートとなりましたが、それも全く苦にならないくらいの満足感でした。

コースに戻って左手の倉庫跡、竪堀、右手の上下二段(縄張り図を見ると三段のようでした)の曲輪跡を見学しつつ進みます。メイン会場にはまだ到達していませんが既に曲輪の数が多いなという印象です。その先進むと二つ目の倉庫跡の案内がありましたが、そちらは行けそうにありませんでした。さらに登るとダイナミックな堀切が見えて才蔵丸に到着。船戸谷川の景色を展望できました。
ここから分岐している外側の道へ進み城内最大の堀切を見て、本丸、明神丸へとまわりました。
はじめて見る緑泥片岩の野面積み石垣。想像していた以上の別天地で、唯一無二の個性の中に人の手による温かさを感じます。本丸を守る頑強な石階段を下り明神丸へ。本丸・明神丸・帯曲輪に三位一体の強さを感じました。

本丸に戻って小倉丸方面へ向かいましたが、この時点で10:30。帰りのバスは11:09発。
ここから後半の見どころだというのに、前半ゆっくりしすぎたせいで既に2時間が経過し、タイムアップまで残り40分を切ってしまいました。来た道を戻るのではなく一周する予定なのでこのあとどのくらいかかるかの見当もついていません。
……まっ、いいか。

小倉丸は虎口が崩落対策中ということでしたが行くことができて、湾曲した土塁や櫓台跡を見ることができました。才蔵丸も細長かったですがここはさらに細長かったです。青々と茂る羊歯に水場の近さも感じました。
空堀、竪堀を見つつ進むと、難所ありの椎丸経由で水の手丸へ行くか、椎丸を通らずに向かうかの二択を迫られました。時間もあまりないし、どちらにしてもこの先避けて通れない鎖場が待っているので椎丸には寄らずに進むことにしました。難所がないとは言え、登城口から小倉丸までの整備された道とは違い自然のままの山道を歩く感じでした。
水の手丸への分岐に着いたのが10:48。水の手丸に寄るとバスに間に合うかかなり微妙。「椎丸に寄らなかったついでに水の手丸にも寄らない」という意味不明な理由付けをして水の手丸はパスして貯水池と堤跡の方へ進みました。
ドキドキの鎖場は思ったほど大変ではなくて(でも鎖がないと降りられなかったです)ホッとしました。ここから登城口まで300メートルの表示があったのでダッシュして無事にバスに間に合いました。

このたびの四国7城めぐりのなかで一宮城がいちばん不安でしたが、楽しんで歩きまわることができました。もし一箇所だけ再訪できるとしたらここを選ぶと思います。(椎丸・水の手丸にも行きたいし。)
御城印収集は最近は積極的にはしていないのですが、整備の一助になればと缶バッチ2個とあわせて(500円硬貨しかなかったので^^;)購入させていただきました。
ここに限らずほぼすべてそうなのですが、城郭協会さんが100名城・続100名城の選定とスタンプラリーという一大企画を立ち上げてくださらなかったら知ることも行くこともきっとなかったので、城郭協会さん、それから何十年もお城に情熱を注いで険しい山道を登城し後進に道をひらいてくださったマニアの皆さまに感謝です。

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モト

空堀や郭が確認できました (2023/01/31 訪問)

城跡は片倉城址公園になっておりある程度整備されておりますので見学しやすかったです。
城跡は公園の小高い山の上にあります。
神社がある方と奥の沢の方からの登城ができます。
私は奥の沢の方から登りました。
登り切ると二の丸が下の方から臨め、空堀がしっかり守ってます。
二の丸に入ると出丸のような郭と本丸の間にも空堀を確認できました。
本丸には櫓跡の遺構や下の帯曲輪には神社が建っています。
神社からの本丸、櫓跡の眺めは城跡の雰囲気が漂っておりました。

季節によってツツジや桜が綺麗なようです。
駐車場も公園のがあり停める事ができます。
また、駅からも徒歩で5分くらいですので行きやすい城跡かと。
八王子城へ行った際になど立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

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