かねこやまじょう

金子山城

愛媛県新居浜市

別名 : 金子城、橘江城
旧国名 : 伊予

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天正之陣滝の宮口の石碑
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赤い城

滝の宮公園 (2024/07/15 訪問)

滝の宮公園の駐車場に車を置き登城します。
すぐに「天正之陣滝の宮口」の石碑がありました。
そう、四国の役の一部である天正の陣の舞台でもあります。
小早川隆景の攻めにより落城しました。

舗装された道路を登って上の駐車場から藤棚をくぐると主郭部となります。
石碑が立っていますが遺構は無さそうです。
主郭には展望台があり、瀬戸内海を望むことができます。
展望台の先を下ると段になった曲輪のような地形もあったのですが遺構かどうかは不明です。

下山し、金子氏館跡の慈眼寺へ。
なかなかのお寺で山門横に慈眼寺の歴史が書かれた説明板があり、金子氏館跡に慈眼寺が建った経緯がわかります。
枯山水や庭園も整備、金子氏の墓所もあり金子山城とセットで訪問するのが良いと思います。

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ろっし

お城探訪 (2023/02/25 訪問)

城跡は公園になっているため遺構を見る事は難しいかな?

景色は良かったです。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征5日目:金子山城 (2022/07/24 訪問)

生子山城からの転戦です。滝の宮公園駐車場(33.947084、133.277608)に駐車し、第一展望台(33.9486648、133.2765986)に向かいました。

築城年代は定かではないようですが、南北朝時代に金子氏によって築かれたと云われています。
金子氏は桓武平氏で武蔵七党の一つ村山党の庶家。村上頼任が武蔵国入間郡金子郷に居住して金子氏を称したことに始まるといいます。
頼任の子、金子十郎家忠は武勇に優れ、源氏に味方して各地を転戦し軍功を挙げ、恩賞として伊予国新居郡の地頭職を得ました。
武蔵国より伊予へ下向したのは建長年間(1249年〜1256年)の金子広家と云われ、金子山城はこの広家によって築かれたとみられますが、慈眼寺の案内板では広家の孫頼広がはじめて当地にきて館と城を築いたと記しています。
1585年(天正13年)豊臣秀吉による四国征伐で小早川隆景が伊予に侵攻します。
高峠城主石川虎竹丸はまだ幼く、金子備後守元宅は後見人として高尾城に籠もり、金子城には弟金子対馬守元春を置きますが、兵力に勝る小早川の軍勢に元宅は野々市原で討死し、金子城も落城しました。

現在は滝の宮公園として整備され、主郭のあった第一展望台に石碑が建っているのみで遺構はありません。
攻城時間は10分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストで本日の宿泊先に向かいました。

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ぽんたっく土佐守

市民の憩いの場になっています (2018/09/02 訪問)

新居浜市中心部から西条市方面へ。
現在は、滝の宮公園になっていて
この日は小さな子ども連れのファミリーが多かったです。
第3駐車場に車を停めて、
途中にあるミニ八十八か所を観ながら展望台をめざします。
展望台からは瀬戸内海が一望でき、よい眺めでした。
「石碑がある」とのことでしたが
なかなか発見に至らず、
生垣に囲まれた芝生の中に
身を隠すようにひっそりと建っていました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 金子広家
築城年 建長年間(1249〜1255)
主な城主 金子氏
遺構 曲輪
指定文化財 市史跡(金子城跡)
再建造物 石碑
住所 愛媛県新居浜市西の土居町2
問い合わせ先 新居浜市スポーツ文化課
問い合わせ先電話番号 0897-65-1303