あやべじょう

綾部城

佐賀県三養基郡


旧国名 : 肥前

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綾部八幡宮 (2023/02/25 訪問)

 綾部八幡宮より登城しました。城ダンといわれる曲輪には土塁と石碑があります。主郭まで行き周囲の帯曲輪を散策した後、北東の曲輪周辺にある竪掘りを見に行きました。上下二段になった畝状竪堀が確かにあると思いますが、浅くなっていました。写真にするとわかりにくいですね。なぜ北東部だけ畝状竪堀があるのかなと縄張り図を見ながら散策しました。

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昌官忠

202206遠征(対馬&五島&北部九州)4日目:綾部城 (2022/06/08 訪問)

柳川城からの転戦です。
宿泊ホテルから西鉄柳川駅➡西鉄久留米駅に電車で向かい、西鉄久留米駅でレンタカーを借り、綾部八幡神社駐車場(33.360465、130.441806)に駐車しました。

築城年代は定かではないようですが、1159年(平治元年)頃に藤原通良によって築かれたと云われています。
1159年(平治元年)藤原通良は平氏に対して蜂起したて籠りますが、平氏の大軍に包囲され落城しました。
鎌倉時代に通良の子通俊が綾部荘を賜わり、綾部氏を名乗って居城としました。
その後は九州探題方の拠点として利用され、永正年間(1504年〜1521年)には九州探題渋川氏を追って大宰少弐武藤氏の居城となりましたが、大宰少弐武藤氏は1571年(元亀2年)滅亡しました。
その後は筑紫氏の城となっていましたが、天正年間(1573年〜1592年)頃には龍造寺氏の家臣綾部鎮幸が城主となっていました。
綾部城は別名=宮山城とも呼ばれるそうですが、一般的に綾部城はこの辺り一帯の城郭群(少弐山城、白虎山城、臥牛城など)を指しているそうです。

綾部城は綾部八幡神社の北西背後にある宮山に築かれおり、綾部八幡神社境内北西側から遊歩道があり、そこから登っていきます。
登り口から北少し行くと、南西側に曲がりその道を進むと折り返しになって、北側に進むと「城ダン」と呼ばれる3郭の虎口に着きます。土塁の側面部に岩があります。
3郭虎口の脇から上に登ると2郭、さらに進むと主郭です。主郭は山頂にあり中央に一段小高い土壇があって宝塔が祭られています。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=堤土塁に向かいます。

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ryu

風天山登山と綾部城探訪 (2021/06/24 訪問)

鎮西山城探訪後、宮山城(綾部城)を訪城する。

宮山城(綾部城)は、藤原通良によって築かれたと云われ、
鎌倉時代に通良の子通俊が綾部荘を賜わり綾部氏を名乗って居城としたらしい。その後、天正年間(1573年〜1592年)頃には龍造寺氏の家臣綾部鎮幸が城主となっていたらしい。

綾部八幡宮近くにある風天山公園駐車場に車を停めて、まずは綾部八幡宮にお詣り、神社の横から遊歩道を登る。登山道は夏草が生い茂って覆い隠されて歩きづらく、遺構も草に覆われてよく確認できなかった。やはりこの季節は山城巡りにはあまり適さない。

下りてきて参道の喜久屋というお店で名物の「あやべさんぼたもち」を買って帰る。

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todo94

1000城目 (2015/05/09 訪問)

記念すべき1000城目の登城となりました。周辺諸城を総称して綾部城と言うのだそうで、綾部八幡宮の後背に位置する城は宮山城というのだそうですが、城址碑は綾部城となっていました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 藤原幸通
築城年 平治元年(1159)
主な城主 綾部(藤原)氏、武藤氏、筑紫氏
遺構 曲輪、土塁
住所 佐賀県三養基郡みやき町大字原古賀