たいまじょう

大間城

福岡県大牟田市

別名 : 大間館
旧国名 : 筑後

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小城小次郎

三池氏の平時の居館というが (2022/11/13 訪問)

鎌倉時代の能吏であった中原氏の一族とされる三池氏は鎌倉時代のごく初期にこの地の地頭職を得たらしく大間城はその時以来の「平時の居館」だという。もっとも16世紀にはこの地に「平時」はなかったような気もするが(汗)。

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大間八幡神社 (2023/02/24 訪問)

 大間八幡神社付近が城址です。案内板に「周辺には、空堀、土塁、水堀などの遺構も残っており、、」と記載がありますがよくわかりませんでした。
 新幹線「新大牟田駅」からバスに乗り「羽山台小学校前」で下車。徒歩10分くらいで大間八幡神社に行くことができます。

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昌官忠

202206遠征(対馬&五島&北部九州)3日目:大間城 (2022/06/07 訪問)

鷹尾城からの転戦です。西鉄銀水駅から徒歩20分くらいで、説明板付近(33.048253、130.475352)大間神社付近に着きました。

1200年(正治2年)三池氏によって築かれました。
三池氏は源頼朝の家人であった藤原親能が三池郡の地頭職に任ぜられ、三池氏を称したことに始まるようです。
三池氏は中原氏の末裔を称しており、安芸木工助定時の末裔で、三池南郷の地頭職を得て下向し今福城を築きました。
三池師員(貞)の8代孫上野介鑑速と紀伊介親久兄弟は大友方に属しましたが、1567年(永禄10年)龍造寺隆信に攻められ、兄弟ともに戦死。
天正年間(1573~1592年)嫡子三池上総介鎮実は大友氏の支配下となり、1587年(天正15年)秀吉の九州征伐の後、三潴郡内において1,000石を賜り、1620年(元和6年)柳川城へ入った立花宗茂の家臣になったそうです。

大間神社周辺が城址で、周辺には空堀・土塁・水濠などの遺構が残されていると説明板には記述されていますが、周辺は住宅地で遺構はみあたりませんでした。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=三池陣屋(城びと未登録 福岡県大牟田市)に向かいます。

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ヒデタカ

大間城跡 (2015/09/12 訪問)

現在は八幡宮になっていますが空堀や土塁が確認できます😊

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 三池師員
築城年 正治2年(1200)
主な城主 三池氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物 説明板
住所 福岡県大牟田市大字三池字古城