現地案内板より抜粋。
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2022/07/22 00:15
王舎城図、鹿野城下町鳥観図 (2018/09/02 訪問)
現地案内板より抜粋。
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2022/07/22 00:12
丸山城跡発掘調査図 (2018/09/02 訪問)
現地案内板より抜粋。
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2022/07/22 00:08
秋葉公園案内図 (2017/03/18 訪問)
現地案内板より抜粋。
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2022/07/21 23:24
平成20年天守閣宇土櫓の眺め (2008/05/23 訪問)
平成28年の熊本大震災の前、平成20年5月下旬、熊本城築城400年祭を目途に復元された熊本城を訪ねました、本丸御殿、飯田丸五階櫓、西出丸建物群の復元整備に圧倒され感激しっぱなしでした。この頃フィルムカメラ主体での撮影で予備コンパクトデジカメに天守閣、宇土櫓、復元御殿外観など残ってましたので、熊本震災前の姿を見て頂けたらと投稿致します。
復旧復興作業はまだまだ20~30年の根気のいる整備作業で私が生きてる内には全体を観るのは無理でしょうが、熊本城の復興を祈り願って居ます。
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2022/07/21 22:53
西出丸平成19年順次復元整備成る (2008/05/23 訪問)
14年前の平成20年5月下旬、復元整備された熊本城を訪ねました、その当時まだまだフィルムカメラ主体でしたが予備カメラのコンパクトデジカメの写真データーが残って居ましたので、西出丸復元整備の写真を投稿致します。
西出丸は南大手門の平成14年復元が最初で、戌亥櫓、土塀、元太鼓櫓、西大手門、奉行丸土塀、未申櫓が平成19年までに木造復元され、熊本城築城400年祭に花を添えました。
(尚、平成19年には本丸御殿、平成17年には飯田丸五階櫓も木造復元しています)
平成28年の熊本大震災で被害大きく、戌亥櫓一本石垣の姿、土塀の崩壊など被害甚大で復旧復興は大天守閣小天守閣は復興し登閣出来る様になりましたが、西出丸が復元整備された平成19年の姿に帰るのは20~30年は係るのでしょうか?
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2022/07/21 21:53
礼砲用の台場 (2022/07/03 訪問)
東神奈川駅から徒歩で10分ちょっとで台場公園。
説明板が立っています。
そこから少しのところの民家脇に石垣が一部露出しています。
ここには石碑が立っています。
ここから徒歩15分くらいの星野町公園にも石垣が残っていました。
ここはブラタモリでも紹介されていましたね。
幕末、開国の頃勝海舟が設計した台場です。
結局海外船の礼砲用の台場として使われていました。
ほとんどが地下に埋まっていますが一部でも石垣が見れるのは嬉しいですね。
工事もしていましたが復元されることは無いですかね。
ちょっと期待してしまいます。
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2022/07/21 21:38
木造氏の城 (2022/07/21 訪問)
田園地帯の中に石碑と案内板がありました。
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2022/07/21 21:34
2022/07/21 21:29
愛洲移香斎 (2022/07/21 訪問)
伊勢市駅より三重交通バスに乗り五カ所バス停下車、徒歩約10分で登城口のある愛洲の館へ行くことができます。そこから長い階段を上ると主郭近くへ行くことができますが、自分は川沿いの道を歩いて牛鬼の像、井戸のある所を経由して登城しました。途中、多数の地面に動くものがありびっくりしましたが沢蟹でした。見どころは二重掘りです。写真に撮るとわかりにくのですが、形状を確認することができます。それなりに道は整備されていて歩きやすかったです。石垣も所々ありますが、いつのものかはわかりません。主郭の側面にも石垣の痕跡らしい所がありました。帰りは愛洲氏居館跡を経由して降りてきました。
愛洲移香斎という人をこの城を調べていて初めて知りました。移香斎が起こした愛洲影流は、後に新陰流、柳生新陰流など剣術の源となり、江戸時代には多くの流派が生まれたといわれています。歩いていると「日本剣道のふる里」と書かれた剣士の看板が多く立っています。
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2022/07/21 21:10
竹神社 (2022/07/21 訪問)
近鉄斎宮駅から徒歩5分くらいの場所に竹神社があり、標柱と案内板があります。
斎宮駅の北側には斎宮跡があり、10分の1の模型がありました。
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2022/07/21 19:17
田原坂(熊本県熊本市) (2022/07/11 訪問)
田原坂は言わずと知れた,西南戦争最大の激戦地です。もともと,熊本城主であった加藤清正が,田原坂の両脇に土手を築いて攻撃しやすいように改変し,熊本城防衛の要としていました。
西郷隆盛率いる薩摩軍はこの地形を利用し,17日間にわたり官軍の猛攻を凌ぎ続けましたが,旧式の武器・火薬・砲弾・食料不足により敗北を喫してしまいました…。
雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに超されぬ 田原坂
と,熊本の民謡にも歌われております。
私は田原坂を下って登りました。ぶっちゃけ比高差はたいしたことありません。田原坂西南戦争資料館のスタッフに伺うと,当時は赤土の土壌であり,フラットに整備されたものでもない。しかも雨続き…。「じゃあ,なぜ田原坂で西南戦争?」という疑問になりますが,大砲を大人数で運搬できるほどの道幅があったのは田原坂のみという回答でした。
にのまるさん,ありがとうございます!
まだスタンプ帳も手元にあり,送付していません。
書き込みは,ここまできたらマイペースでいこうかと思います。
リクエストがあれば,優先して書き込みしたいと思います。
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2022/07/21 17:38
真夏の唐沢山 (2022/07/02 訪問)
上杉謙信をもってしても落とすことが出来なかった唐沢山城を訪問しました。
今回は、車での訪問となり、登城途中ではかなり狭い処もありましたが、唐沢山神社参拝用兼城内見学用の駐車場は100台程度の駐車が可能と思われるほど広く、祭礼の時期などでなければ問題無いと思われました。(僕は佐野ICから行きましたが駐車場まで30分はかかりませんでした)
登城に望むと、先ずは食違い虎口があり、 四目堀、 大炊の井戸を見ながら、三の丸、二の丸方面へ進みます。
二の丸から本丸に上がる途中に唐沢山神社の社務所があり、そこで御朱印と御城印を入手できます。本丸の周囲には有名な高石垣が巡らされておりますが、これは上杉謙信の攻城の際には築かれておらず、その後に築かれたとのことです。
石垣には加工された石は使われておらず、野面積のように感じました。
現在本丸を巡る一部の石垣は修復作業が行われており、 南側の石垣にはアクセスできない状態となっておりました。
本丸の比高はそれほどではないように思いましたが、何分眼下には平野が広がっているため、天気さえ良ければ随分遠くまで眺望が開けているように思いました。
関東では、笠間城と並んで石垣が用いられた珍しい山城ですが、雰囲気も良く、遺構もキチンと整えられていることから、気軽に近世の山城の雰囲気を楽しむことができるように感じました。
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2022/07/21 15:06
本丸 続き (2022/07/17 訪問)
本丸を囲んだ石垣、これが一番美しいです。本丸の周りを回ると横矢掛けとなっているため不可能。石垣は野面積みにもかかわらず、比較的隙間がないので登りにくいです。おそらくこの石垣の上には土塀が建っていたのではないかと考えています。
赤木城は山が連なっているところにひっそりとある城なので見つけにくいです。
あとここには未来遺産である丸山千枚田があるのでそれも一緒に行くことをおすすめします。
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2022/07/21 14:28
乾小天守、東小天守などの特別公開 (2022/07/20 訪問)
ただただ感動!
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2022/07/21 06:32
2022/07/21 06:24
田丸城跡 (2022/04/01 訪問)
続日本100名城。最寄駅からは徒歩数分ですが、名古屋から行くのは、めっちゃ遠い。電車の本数も少ない。
北畠氏の城をのちに、北畠を乗っ取った織田信雄によって改修を受け、近世城郭と中世城郭の両方の遺構が楽しめる贅沢な城跡。
近年、豪雨被害があったようで、以前、訪れた時は無残な状態だったが、いくらかは立ち直っていた模様。
江戸時代には、紀州藩領として、紀州藩の家老が城代として派遣されていました。
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2022/07/21 00:45
南の水門跡 (2022/06/08 訪問)
基山駅からとうれぎ土塁を見て基山町民会館へ向かいました。
続100名城72個目のスタンプを押し、道路復旧の最新状況を伺うと、水門から先の通行止めは解除されていないけれど遺構を見ながら草スキー場や山頂の方まで行くハイキングコース(約2時間)は問題ないとのことでした。いただいた案内図にも東側散策路からの登山・登城は可能と記されています。
ただ、そこから先、進むにしても戻るにしても相当な距離があります。車両は無理でも人が歩ける抜け道はないかと思ったのですがそれもなさそう。前日の鬼ノ城より山深そうな中、全域まわる心の準備も出来ていなかったので、今回は水門跡までにすることにしました。
町民会館から水門跡までは30分くらいでした。案内が出ていて道もわかりやすかったです。いつ山道に入るのかとドキドキしていたのですが、ずっと舗装道路でした。
そしてついに現れた水門跡。整備されたばかりの多目的広場には真新しい案内図や説明板が設置され、お手洗いも完備。ひと休みするベンチもあります。
おもてなし感いっぱいのこのスペースに(人里離れたものすごく寂しいところだったらどうしよう……)という不安も払拭されましたし、水門までしか行かないことに多少敗北感を抱いていたのですが、この水門自体がたいへん貴重な遺構であることを理解し、“水門までしか”と通過点のように考えていたことを反省しました。
果たしてその石垣は表情豊かに生き生きと見えました。設置してあった石垣保存修理事業の解説には平成21年度から崩壊や孕みのすすむ石垣を徹底的に調査し修理が行われたとあります。todo94さんの平成30年の被災後のお写真が衝撃的で印象深く記憶に残っていたのですが、跡形もなくなった住吉神社の無残に倒れた石碑の背後でびくともしていない様子の石垣の写真に、この時の丁寧な修理がきっと石垣を大水害から救ったのだろうと感じました。(同時期に私も基山町民会館までは行ったのですが踏み込んでいませんでした。)貴重な記録写真を見せていただきありがとうございました。住吉神社は再建され、再建碑には基山町歴史的風致形成建造物第1号に認定されたと記されていました。
道路の復旧にかかわらずハイキングがてら歩けそうだということがわかったので、次回はもっとコマを進めたいです。
朝田さん、200名城達成おめでとうございます。書き込み達成もまた大変かと思いますが楽しみにしています!憧れのゴールド3個並び✨✨✨
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2022/07/20 22:44
紫陽花堀底道 (2022/06/26 訪問)
上毛電鉄の膳駅から徒歩で15分くらい。
山上城址公園になっていて駐車場もあります。
駐車場から木橋を渡ると芝生公園でここが三の丸。
西側の南北にナガイ空堀はこの時季紫陽花ロードになっていました。
三の丸の北に二の丸、その先に本丸が置かれています。
本丸の西側は二重の堀になっていました。
ここも戦国時代には北条、上杉、武田の間で争奪戦が繰り返された城です。
遺構も良く残り、近くの膳城とともにおすすめの城です。
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2022/07/20 15:34
岩屋城攻城(ハイキング)コース (2022/07/12 訪問)
私がよく行く地元の「岩屋城」の攻城ルート(ハイキングコース)を御紹介します。
岩屋城といえば、豊後大友の家臣「高橋紹運」がわずか763名で、薩摩の「島津忠長」率いる約3万の軍勢に対し2週間にわたり互角以上に戦い、最後は全員壮絶な討死をした事で有名な場所です。この犠牲があり、立花山城にいる実の息子「立花宗茂」を守る事ができ、島津は九州制覇を断念しました。紹運は私の最も好きな武将です。
① 西鉄「都府楼(とふろう)」駅
ここからスタートします。
② 坂本神社
坂本神社は令和の年号で有名になった場所です(写真①)。政庁に来た客をもてなしていた「大伴旅人」の邸宅でもあり、ここの歌会で詠まれた歌(万葉集)に令和の語源がありました。
③ 大宰府政庁跡(大宰府展示館)
大宰府政庁は奈良平安時代に九州の政治を司った場所で、「大宰府展示館」(写真②)で大宰府の歴史について学ぶ事ができます(ここは100名城「大野城」のスタンプ設置場所でもあります)。ここでトイレを済ませ、前にコンビニがあるので、そこで「お茶・おにぎり」を買います(この先、トイレ・自販機はありません)。
④ 攻城(登城)
いよいよ登城です(写真③)。さあ、島津の兵の気持ちになって、岩屋城を攻めに行きましょう! この先、登山道が続きます(約30分)(写真④)。高橋紹運の家臣(大友勢)がどこに隠れているかわかりません。注意しながら登りましょう!😲
⑤ 高橋紹運の墓
高橋紹運の墓が途中にあります(写真⑤)(あと5分で本丸です)。
⑥ 本丸(ああ壮烈碑)
本丸に到着です。有名な壮烈碑があります(いったいだれが建てたんだろう🤔?)(写真⑥)。本丸から眺める筑紫平野の絶景が私は大好きです。ここで、買ってきたおにぎりを食べながら休憩、下に薩摩(島津忠長)3万の軍勢がいる事を想像します(写真⑦)。高橋紹運はどんな気持ちで、ここから島津の軍勢を眺めていたのでしょうか? そして私が登ってきた道を同じく登ってくる島津の軍勢を、どのような気持ちで迎え討とうとしていたのでしょうか?
⑦ 大宰府天満宮(梅ケ枝餅)
本丸から舗装された道を下ると「大宰府天満宮」に着きます(写真⑧)。「菅原道真」公が祀られている学問の神様です。おみやげに名物「梅ケ枝餅」を買って帰ります(写真⑨)。
⑧ 西鉄「大宰府」駅
ゴールです。お疲れ様でした!
約3時間のハイキングコースです。いろいろな歴史にふれることができるので、みなさんもぜひいかがでしょうか?😊
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