越川城(城びと未登録 滋賀県彦根市)から徒歩10分ちょっとで、城跡説明板前(35.201349、136.207394)に着き、その後、土塁豪跡(35.199217、136.205128)➡水攻堤(35.206342、136.204678)の順番で廻りました。
築城年代は定かではないようですが、大永年間(1521年〜1528年)に六角氏配下の高野瀬隆重によって築かれ、隆重・秀隆・秀純(秀澄)が居城としたと云われています。
高野瀬氏は代々六角氏に仕えていたが、高野瀬秀隆の代に浅井氏に付き、1559年(永禄2年)の「肥田城の水攻め」、1560年(永禄3年)の「野良田表の合戦」の2度にわたり、六角定頼・義賢(承禎)父子に攻められました。六角義賢は城の周囲に土塁を築き、肥田城を水攻めにしたが、土塁が崩れ、水攻めは失敗に終ったそうです。
浅井氏が織田信長によって滅亡すると、高野瀬秀隆は柴田勝家に仕えますが、1574年(天正2年)越前一向一揆に敗れて自害したそうです。
その後、1574年(天正2年)蜂屋頼隆が城主となり、1584年(天正11年)には長谷川秀一が城主となりますが、長谷川秀一が朝鮮の文禄の役で病没すると廃城となったそうです。
城址は、田んぼの中にあります。山王祠があり、城跡碑、説明板もありました。
移動時間を含め、攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=山崎山城へは徒歩で向かいました。
+ 続きを読む