上平寺城から車で20分くらいで、菩提入口(35.385139、136.489889)に着きました。
本曲輪の説明板によると、『美濃国諸家系図』に1413年(応永20年)岩手弾正左衛門頼重が居城していたとしていますが、「菩提山城」の名が見える最も古い記録は、1544年(天文13年)美濃国守護職・土岐頼芸が岩手四郎に宛てた書状に見えるそうです。
1558年(永禄元年)竹中遠江守重元は、岩手氏を攻略して岩手付近一帯や福田、長松(現大垣市)をあわせた6,000貫の領主となり、翌1559年ここに城を築きました。
重元の子・竹中半兵衛重治は菩提山城を居城にしていたが、1565年(永禄7年)稲葉山城を攻略し、その後織田信長、豊富秀吉に仕えました。
1579年(天正7年)竹中半兵衛重治は播磨三木城攻めの陣中で病没しました。
1588年(天正16年)重治の子・重門は菩提山城を下り、岩手に陣屋を構えました。陣屋は行ったことがあるので、今回はパスです。
遺構としては曲輪、竪堀、土橋、虎口、堀切、土塁、空堀を確認できたので、個人的には満足です。
攻城時間は100分くらいでした。次の攻城先=西高木家陣屋に向かいました。
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