菩提山城の投稿ラストです。本曲輪は堀切で仕切られ南は二の曲輪になります。西の虎口から台所曲輪(調査のため立入禁止)に至り、台所曲輪の南は三の曲輪に続いています。台所曲輪の東の道から西の曲輪に北上し、北側の遺構まで確認しています。
竪堀や空堀もいくつか見られ、遺構も充実しています。また比較的大規模な城址ながら、曲輪がコンパクトに配されていて散策もしやすいです。今回は三の丸の写真は割愛しています。麓の芭蕉句碑も省略の予定でしたが、一枚省いて載せました。
此の山の 悲しさ告げよ ところほり はせを翁(芭蕉)
と刻まれています。元禄4年ごろの大凶作の際に、人々がところ芋を掘ってしのいでいる姿を詠んでいるようです。各地を歩いて旅していた芭蕉翁は困窮する人々の生活を身近に感じていたようです。
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