ぼだいさんじょう

菩提山城

岐阜県不破郡

別名 : 菩提山寺城、岩手山城、(竹中氏陣屋、竹中陣屋、岩手陣屋、岩手城)
旧国名 : 美濃

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本曲輪から空堀を挟み土橋・虎口方面
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T-Shionoya

関ヶ原の城郭訪問第1段 菩提山城 (2024/03/30 訪問)

2月に関ヶ原で聴講した「山城シンポジウム江濃境目の城」で興味を持ち、3月末に訪れた岐阜県不破郡垂水町の菩提山城。

濃尾平野の西端、比高約300mの菩提山山頂部に築かれた西美濃最大級の山城。

1500年代前半には岩手氏の詰城が存在したとされ、1558年にその岩手氏を追放し岩手の地に入った竹中氏が再構築。
重元、重治(半兵衛)、重門の竹中氏3代が1608年の廃城まで守備したとのこと。

現在は麓からのハイキングコースが整備され、本曲輪からは濃尾平野の眺望が利く観光スポット。

訪問時は竹中氏菩提寺の禅幢寺から大手山道をひたすら進み、小さな土橋を渡って城域へ。
先に見どころの1つである畝状竪堀を確認し、続いて本曲輪へ向かうと、台所曲輪・二の曲輪・本曲輪の接合部が写真には収まらない楽しいエリア。

禅幢寺からの登りが1時間、下りが45分、城域滞在時間が約2時間。
300m登る価値十分の、私の城郭巡りの179城目でした。

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TMN97

竹中氏陣屋跡 (2022/10/09 訪問)

竹中氏陣屋跡

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まーやん

竹中氏陣屋跡 (2023/02/18 訪問)

この日は関ヶ原〜大垣城を攻めるため近江から東進し竹中氏陣屋跡を訪問した。
お城エキスポで垂井町のブースがあり凄く熱心にご説明いただいたので一度訪れてみたくなった。
まずは竹中氏菩提寺である禅幢寺を訪れ、半兵衛ほか歴代の方々にお参り。
菩提山城はなかなかな山なので予定満載かつ雨天のこの日はパス。陣屋跡に行った。
今も櫓門跡や石垣などが良好な状態で現存する。
菩提山城は半兵衛の父の時代、陣屋は子の時代に形成されたが、櫓門跡には半兵衛の銅像がある。軍師半兵衛の知名度が勝るゆえか。
半兵衛の子重門は父の影に隠れたような扱いがあるが、関ヶ原の戦いでも功績を上げている。時勢を読み竹中氏存続の基礎を築き、関ヶ原の戦後処理も行うなど立派な御仁かと思う。

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トク

⑲【関ケ原の26人 】(10)竹中重門 (竹中陣屋・菩提山・五明神社) (2022/11/29 訪問)

(10人目)は「竹中重門」です。
菩提山城の麓にある「竹中陣屋」を訪れてきました。

竹中重門の父は、あの有名な軍師「竹中半兵衛」です。亡き半兵衛は背後に見える菩提山城を居城としていました(写真④の背後の山の頂上)。そしてこの関ケ原一帯は実は竹中氏の領地でした。

重門は当初は西軍に加わり犬山城を守ります。しかし黒田長政に説得されて東軍に寝返り、長政と共に石田三成と戦いました。

黒田長政は幼少(松寿丸)の頃、父の黒田官兵衛が荒木村重の三木城から帰らぬのを(実は三木城で幽閉されたのを)織田信長は謀反と勘違いし、信長は秀吉に「松寿丸を殺せ!」と命じます。しかし、秀吉は殺す事はできず半兵衛が密かに匿います。その匿ったとされる五明神社が陣屋から300m南の地にありました(写真⑦⑧⑨)。ここで幼少の頃の重門と長政は出会っていて、次第に気心の知れた仲になったと思われます。よって長政からすれば重門をこの時から弟のように思っていたのでしょう。岐阜城が落ち、犬山城の戦いが始まってから徳川に寝返ったのでは遅い! 何としても重門を死なせるわけにはいかない! と急ぎ説得したようです。そして、自分の陣(岡山烽火場)に招き入れ、一緒に西軍と戦ったという既成事実を作って家康を納得させようとしたものと思われます。

そして重門は伊吹山中に逃げる小西行長を捕らえるという功績を上げ、これで家康からも認められました。さらに戦後、家康の命により、東塚と西塚を造り、戦死者を東軍西軍分け隔てなく弔いました。そして農民には当面年貢を免除し、家康からもらったお金を領民に分け与え、戦で荒れ果てた田畑の復興に尽力しました。

関ケ原から後、重門は菩提山から麓の現在の場所に陣屋を構えます。そして旗本となり幕末まで竹中家は続きました(写真①)。重門が建てた陣屋にもかかわらず、なぜか?半兵衛の銅像がありました(写真②)。駅前にも半兵衛の銅像が?(写真⑩) 地元への貢献度は重門の方がはるかに上だと思うのですが・・・、半兵衛の方が垂井の人々にとってはスーパースターなのでしょうか?(重門がちょっとかわいそう・・😩)

〈アクセス情報〉
垂井駅前(半兵衛銅像前)の観光案内所で自転車を500円でレンタルすることができます。また同じく駅前から1時間毎に、菩提山方面行や南宮山方面行のコミュニティバスが走っているので便利です(1回100円先払い:いずれも写真⑩の場所)。私は雨だったのでバスを利用し菩提山(竹中陣屋)や南宮山(吉川広家陣跡)を訪れました。

次は、(11人目)へ続きます。
 

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城郭情報

分類・構造 山城、(陣屋)
築城主 竹中重元、竹中重門(陣屋)
築城年 永禄2年(1559)、天正16年(1588)(陣屋)
主な城主 竹中氏
廃城年 慶長5年(1600)
遺構 曲輪、腰曲輪、土塁、堀切、竪堀
指定文化財 県史跡(竹中氏陣屋跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 岐阜県不破郡垂井町岩手
問い合わせ先 垂井町観光協会
問い合わせ先電話番号 0584-22-1151