小牧長久手の戦い当時は尾張国だった竹ヶ鼻城が羽柴方の攻撃対象となり、関ヶ原の戦い当時は美濃国だった竹ヶ鼻城が福島正則の攻撃対象になったという究極の境目の城(大変だぁ)。羽島市民俗資料館のあたりが城域という。
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2026/09/30 22:01
究極のハイブリッド境目の城 (2025/11/24 訪問)
小牧長久手の戦い当時は尾張国だった竹ヶ鼻城が羽柴方の攻撃対象となり、関ヶ原の戦い当時は美濃国だった竹ヶ鼻城が福島正則の攻撃対象になったという究極の境目の城(大変だぁ)。羽島市民俗資料館のあたりが城域という。
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2025/12/14 09:46
お城地蔵大菩薩 (2025/11/30 訪問)
羽島市映画資料館が城址とされています。関ヶ原の戦いの前には織田秀信の家臣・杉浦重勝が城主を務めていましたが、8月22日に東軍に城を包囲され、奮闘するも城に火をかけ自害したとのこと(案内板による)。西にある竹鼻別院の前にはお城地蔵がおりました。
ながいこと忘れられてきた竹ヶ鼻城の戦いの犠牲者を弔おうと町の某志が供養塔をたてようとしたが、戦時下の情勢の悪化で中断されたと案内板には書かれています。戦後に町内の有志がその意志を継ぎ、塔に代わってお城地蔵を建立したとのこと。
良い話ですな・・その後不思議な霊験が現れ城跡辺の蓮田から一茎双蓮の花が咲き、この霊験の有難さが四方に伝わってお城地蔵は一躍有名になったそうな。チャンチャン
ちょっとあやしくなってきましたが、お城の魂(城魂)が「ありがとう」ってお礼を伝えたとのことですな。
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2024/10/16 10:56
南美濃未踏の城探訪1/7竹ヶ鼻城 (2024/10/14 訪問)
秋日好天続きで急ぎ未踏の空エリア南美濃の城探訪へ、浜松より高速を飛ばし岐阜羽島ICを出て北に約2km程の竹ヶ鼻城へ初登城しスタートを切りました。
駐車場:羽島市歴史民俗資料館駐車場を利用。
参考資料:城郭放浪記さん古城盛衰記さんグーグルマップに依る。
城郭風建物の羽島市歴史民俗資料館が故地に成り、西側の道側に案内解説板と「史蹟 竹鼻城本丸之趾」石碑が並んで立っている、西側には立派な東本願寺竹鼻別院が建ち、門前横にはお城地蔵菩薩立像が建立されている、この地蔵は竹鼻城玉砕の風雪忘れ去られた戦没者の供養をと、昭和に入り町内某氏が供養塔建立発起したが戦時下の情勢悪化で中断、戦後町内有志でこの意志を継ぎ昭和25年お城地蔵菩薩を建立したと案内板に記載されている。
朝8時半に着きました、歴史民俗資料館は9時より開館でしたが係りの方が出勤しており早めの入館と成りました、入館料大人300円、丁度1階の企画展示室ではこれから訪ねる八神城の「八神城と毛利氏」題して企画展示が令和6年10月5日~12月15日まで開催中でした。
清和源氏を祖とする名家毛利氏、当代の提供を受けてこの展示となった、八神城の江戸期絵図と立体模型、毛利氏系図では八幡太郎源義家からの系図が展示、古文書、古文書写真写し、菩提寺金寶寺に在る歴代城主の墓の写真など展示。
尚展示の資料は「八神城と毛利氏」展示会の案内パンフレットとA4の配布資料のみ、係りの方に今回の展示の小冊子を訪ねましたが無いとの事で残念がって居ましたら、展示会が終了後に羽島市歴史民俗資料館のHPにアップするそうです。
又2階の資料展示室の奥角に「竹ヶ鼻城」の展示がされて居ます、ここも秀吉の水攻めが小牧長久手の戦い時あった様で、一夜堤の跡地を示す石碑の写真展示3ヶ所(竹鼻町今町、市営斎場前、羽島郵便局前)。
関ケ原の戦いでの前哨戦で東軍と戦い落城炎上した旨の解説がなされています。
尚帰宅後に羽島市歴史民俗資料館のHPを開くと「竹ヶ鼻城」の解説説明がA4で4~5頁ほどの解説が掲載されいました。
また、羽島市歴史民俗資料館には映画資料館も併設されて2階には懐かしい映画ポスターが貼られて美空ひばり、大川橋蔵などの人気俳優を久しぶりにポスターで眺めました、映写機などの機材も展示、視聴室も併設で鑑賞会も有る事でしょう、昭和の時代を内蔵してる異空間でした。
行き帰りに竹鼻町の狭い道を通り抜けましたが古き良き時代を彷彿させる伝統的建物群が連なって居ました、良い街並み家並みです。
この後は約1.4km程北西の一夜堤秀吉本陣の太閤山砦を目指します。
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2024/04/02 23:55
実は歴戦の城。 昭和が懐かしい‥ (2024/03/30 訪問)
竹ヶ鼻城は応仁年間(1467~1469)の築城とされています。小牧・長久手の戦いでは羽柴秀吉の水攻めにより開城したとされています。当時の城主は不破広綱とされています。関ヶ原の合戦では織田秀信の重臣・杉浦重勝が城主を務め8月22日に東軍に包囲され降伏を勧められるも拒否し、大身槍を奮って奮闘し城に火を放って自害したと有ります。翌日には岐阜城は陥落し、織田信秀は高野山に送られた後、慶長10年5月27日(1605.7.13)に高野山から下山させられ山麓にて死去と伝わります。享年は25とされ自害とも伝わっています。怪しすぎますね。
本丸と二の丸の中間あたりに城郭風の歴史民俗資料館及び映画資料館が立っています。定期的に昭和の名作映画を上映しているようです。入館料は300円くらいなので格安です。メチャうらやましい‥。昭和の時代はメチャクチャでしたが、歪んだ綺麗ごとをむりやり押し付けられる今の時代は正直息苦しくてたまりません。たまらなく昭和の時代が懐かしくなったりするのも齢をとってきたせいなのでしょうか。多少理不尽であろうと範を通そうとするものがいなくなってしまったのは残念ではあります。
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| 分類・構造 | 平城 |
|---|---|
| 築城主 | 竹腰尚隆 |
| 築城年 | 応仁年間(1467〜1469) |
| 主な改修者 | 不破広綱 |
| 主な城主 | 竹腰氏、不破氏、一柳氏、杉浦氏 |
| 廃城年 | 慶長5年(1600) |
| 遺構 | 消滅 |
| 指定文化財 | 市史跡(竹鼻城跡) |
| 再建造物 | 石碑、説明板 |
| 住所 | 岐阜県羽島市竹鼻町丸の内3 |
| 問い合わせ先 | 羽島市役所教育委員会生涯学習課 |
| 問い合わせ先電話番号 | 058-393-4672 |