たけがはなじょう

竹ヶ鼻城

岐阜県羽島市

別名 : 竹鼻城
旧国名 : 美濃

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城跡碑
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ぴーかる

竹ヶ鼻城 (2023/07/15 訪問)

【竹ヶ鼻城】
<駐車場他>羽島市歴史民俗資料館に駐車
<交通手段>車

<感想>日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第1弾ラストの13城目。竹ヶ鼻城の築城は応仁年間(1467~1469年)に竹腰尚隆によって築城されました。その後土岐氏や長井氏が入城しました。信長が美濃を攻略後は織田氏の支配に移ります。小牧長久手の戦いで織田信雄の配下の不破広綱が城主の時に羽柴秀吉によって水攻めに遭い落城します。関ヶ原の戦いの時は岐阜城主織田秀信配下の杉浦重勝が城主として籠城していました。八神城主の毛利広盛が援軍として二の丸・三の丸に詰めていましたが福島正則の降伏勧告に応じてしまったために落城しました。竹ヶ鼻城はその後廃城となったようです。
 城跡に遺構は残っていないようなので先にイオさんに倣って羽柴秀吉本陣の間島太閤山跡を訪れました。ここには小山が残されています。その後に羽島市歴史民俗資料館前の城跡説明板を撮影して資料館に行きました。資料館内は竹ヶ鼻城の資料・ブラタモリで放送していた木曽三川の輪中の資料が展示されています。映画館と古い映写機が十数台展示されていて興味が無くても十分楽しめます。
 北隣にある、はしま観光交流センターには葛アイス(味5種程)が販売されており夏場の城巡りの一服にはサッパリ最高です。
 この日のプランは終了し時間が少し余りましたが10城目の大野城跡で自家用車の運転席側のサイドミラーが急に故障してしまい気分がへこんでいたのでこのまま帰路に着きました。第2弾に続く…走行は事故無く400㎞無事走破。

<満足度>◆◇◇

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)10日目:竹ヶ鼻城 (2023/04/27 訪問)

加賀野井城からの転戦です。羽島市歴史民族資料館駐車場(35.324096、136.701879)に駐車しました。

築城年代は諸説あり定かではないようですが、応仁年間(1467年~1469年)に竹腰尚隆によって築かれたと云われています。
文明年間(1469年~1487年)頃には長井利隆が城主となりましたが、1497年(明応6年)加納城へと移っています。
長井氏の後は不破広綱が入城し城を改修するとともに城下町の形成を行ったが、小牧・長久手の合戦で落城しました。
最後の城主は杉浦重勝で10,000石を領したが関ヶ原合戦で岐阜城の織田秀信に呼応したため、東軍の攻撃にあい自刃して落城しました。

遺構は残っていません。現在は、羽島市歴史民族資料館前に石碑と説明板があります。
攻城時間は15分(羽島市歴史民族資料館の見学時間含む)くらいでした。次の攻城先=伏屋城に向かいます。

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イオ

太閤山砦(岐阜県羽島市福寿町間島) (2023/02/04 訪問)

太閤山砦(城びと未登録)は、小牧・長久手の戦いの戦いで羽柴秀吉が竹ヶ鼻城を水攻めした際に築いた砦で、秀吉の本陣が置かれました。太閤山砦のあった太閤山は削平されて遺構は消滅していますが、畑地の中の道路沿いには石碑と説明板が立てられ、畑地西隅のマキの大木は太閤山のすそ部にあたるようです。

石碑と説明板から北に徒歩2分の八幡神社にも間山太閤山の石碑が立てられており、石碑の裏側には由来の記載と、太閤山の削土から出土した水攻めの戦没者を弔ったものと思われる五輪石が祀られています。八幡神社は微高地上にあるので砦跡っぽく見えましたが、説明板によればやはり石碑と説明板のあたりのようです。ただ、八幡神社の裏手から東に続く土盛りは水攻めの土提跡のようにも見えました(たぶん違うと思いますが)。

太閤山砦と竹ヶ鼻城の間には水攻めの際に堤が築かれ、一夜堤と呼ばれています(秀吉あるあるですね)。堤は現存していませんが、跡地には一夜堤跡の石碑が立てられているので4か所の石碑をたどってみたところ、西的場緑地から竹鼻町蒲池交差点を経て羽島郵便局にかけては道路が緩やかにカーブしながら続いており、堤自体は残っていなくても町割りに堤の痕跡を感じることができました。
 

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イオ

比定地と周辺散策 (2023/02/04 訪問)

室町中期に竹腰尚隆が築いたとされ、織田信雄に仕えた不破広綱が城主の頃に城を改修し城下を拡張しましたが、小牧・長久手の戦いで羽柴秀吉の水攻めにより開城。関ケ原の戦いの際は織田秀信配下の杉浦重勝が城主でしたが、秀信が西軍についたため福島正則ら東軍の攻撃を受けて落城し廃城となりました。

市街化により遺構は消滅しており、比定地も諸説あるようですが、本丸比定地には天守風の歴史民俗資料館が建ち、資料館前には竹ヶ鼻城本丸之趾の石碑と説明板(関ケ原の戦い)が立てられています。歴史民俗資料館には映画資料館も併設されており、そちらもあわせて見学したいところでしたが、時間に余裕がなかったので諦めて、隣のぐるっと羽島(観光交流センター)に車を駐めて周辺の散策を。歴史民俗資料館の裏手(東辺)の水路は堀の名残とされ、北に徒歩3分の光照寺の西辺まで続いています。資料館の斜向かいにはお城地蔵大菩薩が建ち、杉浦重勝ら関ケ原の戦いでの戦没者が弔われています。お城地蔵の奥は真宗大谷派竹鼻別院で、藤の名所として知られているようです。

資料館の北西1.4kmには羽柴秀吉が竹ヶ鼻城を水攻めした際の本陣があるようなので、折りたたみ自転車で行ってみました(続く)。
 

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 竹腰尚隆
築城年 応仁年間(1467〜1469)
主な改修者 不破広綱
主な城主 竹腰氏、不破氏、一柳氏、杉浦氏
廃城年 慶長5年(1600)
遺構 消滅
指定文化財 市史跡(竹鼻城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 岐阜県羽島市竹鼻町丸の内3
問い合わせ先 羽島市役所教育委員会生涯学習課
問い合わせ先電話番号 058-393-4672